2-14
夜のシーンだから夜に更新していいよね、うん。
密かな約束が果たされたのは宴も終盤になってからだった。
一通りの挨拶を終え、グランヴィレアの内情を探ろうとする面々を曖昧な笑顔で躱したアルシェラは、人気のないバルコニーに出るとほっと息を吐いた。
日中は灼けつくような暑さだが、砂漠の夜は冷える。
火照った身体を夜風で冷ましながらアルシェラは胸元からネックレスを引っ張り出した。先端についている魔石が淡い光を放っている。
アルシェラがその石を軽く握り、魔力を流し込む。
すると糸のように細い光が中空へ飛び出し、するすると夜闇に文字を描きはじめた。
――影霧の駆除が完了しました。
「えっ、もう?」
普段であれば深夜までかかる駆除が終わったというレオノーラからの報告に、アルシェラは思わず声を上げてしまった。
曰く、セレンティナから貸与された魔道具によって、影霧は拍子抜けするほど簡単に駆除できたらしい。怪我人は数名出たものの全員軽傷で、治癒薬によってすでに完治しているという。
しかも、あまりにも余裕ができてしまったため、他の部隊が担当しているエリアまで肩代わりしたのだとか。
その報告に、アルシェラの口元には自然と笑みが浮かんだ。
どうなるかと心配していたが、滑り出しは上々と言えるだろう。宴の間も、ふとした瞬間に作戦は大丈夫だろうかと気になって落ち着かなかった。
けれど、これでようやく安心できる。
アルシェラが宙に浮かんだ文字を掻き消したのと同時に背後から声がかかった。
「取り込み中だったかしら?」
「いいえ。シャムサなら、いつでも歓迎よ」
振り返った先に立っていたのは、スフリム王国の第一王女シャムサだった。
夜風に揺れる黒髪はゆるやかな波を描きながら肩から背へ流れている。大きな黒い瞳は月のない夜でも不思議と艶を失わず、彫りの深いはっきりとした顔立ちは柔らかな微笑みを浮かべていても人目を惹く華やかさがあった。
アルシェラが両手を開くと、シャムサは口元を綻ばせて近付いてきた。
二人は迷いなく歩み寄り、ぎゅっと抱き合う。
香油の甘い香りと、金細工の触れ合う涼やかな音がした。
「疲れたでしょう? 座りましょう」
「ええ、ありがとう」
顔を覗き込むと、艶やかに微笑むシャムサの表情にはわずかに疲労の色が滲んでいた。
アルシェラは半ば抱きかかえるようにして彼女を支え、傍らのベンチへ座らせる。
その時、シャムサの左の二の腕に巻かれた細いバングルが、しゃらりと小さな音を立てた。
それは一見すると、他の装飾品と同じ金細工の腕飾りにしか見えない。透かし彫りの腕輪や宝石を連ねた飾り紐が幾重にも重ねられ、巧みに紛れ込ませてある。
だが、アルシェラは知っていた。
その内側には土属性の魔術紋が刻まれ、砂色の小さな魔石が埋め込まれている。シャムサの身体を支え、短い時間だけ歩行を補助するための魔道具だ。
「ふぅ……こういう靴だと無駄に消耗するのよね。ほんと、参っちゃうわ」
砂漠の国らしく、スフリムの正装は露出が高めである。
足元は煌びやかな装飾のついたサンダルで、しかもヒールが高い。薄い布と金細工を重ねた衣装はシャムサの浅黒い肌によく映えていた。
豊かな胸元からくびれた腰、丸みを帯びた腰回りへと続くしなやかな線は、かつて砂竜の討伐にも参加していた王女の美しさと強さを今も感じさせる。
歩くたびに足首の飾りが鳴るその姿は美しいが、身体に負担が少ないとは到底言えなかった。
シャムサは冗談を言ったつもりなのだろう。
けれどアルシェラの胸はぎゅっと締め付けられた。
「その後、脚の具合は……どう?」
「残念ながら変わりないわね。まあ、命があるだけましって思っているわ」
スフリム王国の第一王女が何者かによる襲撃に遭ったのは二年前のこと。
砂竜の討伐から帰還する途中、野営地が襲われた。その際、シャムサは呪いのかかったナイフによって傷を負い、魔力暴走を起こしてしまったのだ。
元々魔力量の多いシャムサの暴走は凄まじく、スフリムの優秀な魔術師たちでさえ手に負えなかったという。
――このまま魔人化してしまう。
そう誰もが覚悟しかけた寸前、国王の要請を受けて駆けつけた調律者によって、彼女はかろうじて引き戻された。
後に聞いた話では、もう少し遅ければ手遅れだったらしい。
間一髪のところで人として戻ることはできた。
けれどその代償として、シャムサは両脚の自由を失った。そして魔人化しかけた証である黒紫の罅割れ模様が、今も薄く肌に残っている。
その一件により、姉妹の王位継承順位は入れ替わった。
本来であれば第一位であったはずのシャムサは第二位となり、妹のサフィーヤが王位継承第一位となったのである。
「支身の魔道具、随分と小さくなったわね」
「そうなの。お陰で、こういう場で車椅子に乗らなくて済むから助かっているのよ」
最後にシャムサに会ったのは一年前。その時は両脚を支える装具のような魔道具を使っていた。
けれど今の彼女には、以前のように形のよい脚を覆う無骨な装具は見当たらない。
細いバングル一つにまで小型化されたことは、確かに大きな進歩なのだろう。
自慢げに語っていたシャムサは、ふと表情を曇らせた。
「貴女が魔力暴走を起こしたと聞いた時、本当に心配したのよ」
自分自身の魔力を制御できない恐怖を、シャムサは嫌というほど知っている。
隣からぎゅっと手を握られ、アルシェラは言葉を詰まらせた。
「……ありがとう。なんとか戻ってこられたわ」
「後遺症は?」
「大丈夫。今は魔力制御の練習を続けているところ」
「そうなのね。制御は誰に教わったのか、訊いてもいいかしら?」
アルシェラは一瞬だけ躊躇った。
武国であるグランヴィレアが魔塔の力を借りたことを、他国の王女に告げるのはやはり抵抗がある。
だが、目の前にいるのは友人であるシャムサだ。彼女はそんなことで軽蔑したり、面白半分に言いふらしたりする人ではない。
そう思い直し、アルシェラは口を開いた。
「魔塔の調律者よ。初めて会ったけど、ちょっと変わっている子で……」
「あら、もしかしてセレン?」
「えっ?」
二人は思わず顔を見合わせた。
そして、ほとんど同時にぷっと小さく噴き出す。
「あの子、本当に不思議よね」
「ええ。どうしてシャムサは知っているの?」
「だって、私の魔人化を止めてくれたのはセレンだもの」
「ええっ!?」
アルシェラの驚きの声が、砂漠の夜に響き渡った。
明日からは通常通り、10時に更新します!




