2-10
その夜、グランヴィレア王城にある国王の執務室には盛大な溜息が響き渡った。
「どうして、そのような重要な事柄を相談なしに決めてしまったのですか?」
アンソニーの静かな問いかけにアルシェラは身を固くした。声を荒らげられたわけではない。むしろ口調は穏やかだった。だが質問の形を取ってはいるものの、そこには明らかに責める気配が滲んでいる。
レオノーラは兄と主人の板挟みになり、どう振る舞うのが正解かを決めかねているのだろう。心配そうな顔で扉の横に控えていた。
執務机の向こうでは、レナトスが黙って手元の書簡を見つめている。
現場から急ぎ届けられた第一報と、アルシェラたちからの口頭報告。それだけで状況を把握するには十分だった。
成長した火竜の襲撃を受け、謹慎中の魔術師長と魔術師団、そしてアルシェラが緊急出動した。
そして、大胆かつ緻密な作戦を立てた調律者とは、魔導騎士団設立を対価として天秤の契約を結んでいる。
それらはどれ一つ取っても、軽く扱えるものではない。
「仕方ねぇだろ。非常事態だったんだから」
「しかし……!」
「セレンと契約をしていなければ、調査隊は全滅していたかもしれない。それを救えたんだから安いもんだろ」
騎士団長からの援護射撃にアルシェラはほんの少しだけ安堵の表情を浮かべた。だがすぐに表情を引き締めると、正面の執務机に座る兄を見据える。
「無断で決めたことに関しては、どのような罰でもお受けいたします。ですが、この判断によって被害を最小限に食い止められたと思っています」
あの時、セレンティナが魔術師団を【移転】で現地へ連れてきてくれなければ、ガレスたち先行部隊の大半は戦闘不能に陥っていただろう。
火竜は騎士たちを焼き、装備越しに体力を奪っていた。時間が経てば経つほど戦線は崩れ、増援が到着するまでの間に警備兵や調査員も炎の餌食になっていたかもしれない。
調律者と契約したことで死者は出ず、ヴィルナタール鉱山も守られた。
巨大な火竜の襲撃に遭ったにしてはこの上なく軽微な被害で済んだ。そう自信を持って言える。
「それだけではありません。魔術武器を用いたことで、火竜を大きく損壊することなく仕留められました」
成長した火竜の表皮は、非常に丈夫なだけでなく高い遮熱性を持つ。これで防具を作れば最上級の耐火装備になるだろう。オルヴァンド火脈鉱山群をはじめとした火山地域での活動は、今よりずっと楽になるに違いない。
その極上の素材を手に入れられたのは、アルシェラが風を纏わせた矢を巧みに操り、逆鱗を正確に射抜いたからだった。
得られた成果から考えれば命令違反の咎を相殺できる。少なくとも、ただ責められるだけの失態ではないはずだ。
そうは思っていても、アルシェラの後ろめたさは消えない。
国王の許可を得ずに城を離れ、国の新たな軍制に関わる約束を独断で交わした。
どれほど理由があろうと、王妹という立場にある自分が軽々しく決めてよいことではない。それはアルシェラ自身が誰よりも理解していた。
だが、理解していてなお――選んだのだ。
「わたくしは、魔導騎士団の設立を推進します」
恐れを飲み込み、震える手をきつく握り締めながら、アルシェラは毅然と宣言した。
その声は大きくない。けれど執務室の空気をまっすぐに貫いた。
「魔術の行使を躊躇っていれば、これから先の脅威には対応できません。騎士団の中には高い魔力を持つ者は多くおります。それを活用する魔導騎士が増えれば、救える命は必ず増えます」
グランヴィレアは長く魔術を遠ざけてきた。その結果、合成獣に苦しみ、火竜を前にしても剣だけでは押し切れなかった。
だが今日、騎士団と魔術師団が共に前線で戦い、魔術武器を扱うアルシェラが逆鱗を射抜いた。
これが、グランヴィレアに必要な形なのだと確信したのだ。
「陛下。どうか、許可を」
アルシェラは深く頭を下げる。
その瞳には国を、そして国民を守る責任を負った者としての覚悟が宿っていた。
まっすぐに向けられた眼差しを、レナトスもまた静かに受け取る。こんなふうに兄妹で視線を交わすのは実に久しぶりだった。
そういえば、アルシェラが自分を避けるようになったのはいつ頃からだっただろうか。思い出そうとしたがうまく記憶が遡れない。
幼い頃は、もっと近い存在だった。
兄上、と呼ぶ声はどこまでも無邪気で、何かを見つけるたびに駆け寄ってきた。弓の稽古で上手くいけば誇らしげに胸を張り、失敗すれば悔しそうに唇を尖らせた。
物怖じせず、よく笑い、よく怒り、真っ直ぐにものを言う妹だったのを不意に思い出す。
けれど年を重ねるにつれ、二人の間には少しずつ距離が生まれていった。
王城には常に過去の影が落ちていた。先王妃の事件以降、誰もが魔力を封じられた王族を腫物のように扱った。
そんな中でレナトスは王位に就き、国王としての責務に追われるようになった。アルシェラもまた王妹として振る舞うことを求められ、無邪気に兄のもとへ駆け寄る幼子ではいられなくなっていった。
その積み重ねの果てに、いつの間にか兄妹の会話は必要なものだけになっていた。
けれど今、アルシェラは自分の信念を貫くため、自らの意思で兄の前に立っている。
責められることを覚悟しながら、それでも国のために必要だと信じるものを訴えるその姿は、かつての溌剌とした、物怖じしない妹が戻ってきたような気がして、こんな状況だというのに胸に温かなものが灯った。
レナトスは内心の喜びが顔に出ないように気を付けながら、手にしていた書簡を机に置く。
「許可する」
「陛下……っ!」
「ただし正式に動かすのは、こちらで根回しを済ませてからだ。設立準備と人員選定までは認める。だが表立った発表は控えろ」
「は、はいっ! 感謝いたします!」
アルシェラがぱあっと表情を明るくする。
その顔を見てレナトスは軽く咳払いをした。そして何事もなかったかのように、再び書簡へ視線を落とす。
ただでさえ執務に取れる時間は限られている。きっと後でアンソニーから「これ以上、仕事をやさないでください」と小言を食らうだろう。早くも何か言いたげな顔をしているので、この未来は確実だった。
だから、これがレナトスにできる最大限の協力だ。
アルシェラはずっと、魔力暴走を起こして周囲に迷惑をかけたことを気にしていた。自分の力は誰かを傷つけるものだと怯え、石塔に閉じこもり、自らを責め続けていた。
だが今の彼女は違う。
魔力を恐れるだけではなく、操り、導き、武器として国を守る道を選んだ。
魔導騎士団の設立が、彼女の罪悪感を払拭するきっかけになることをレナトスは祈った。
「アルシェラ、よかったねぇ」
珍しく黙って事の成り行きを見守っていたセレンティナが駆け寄り、にこにこと笑いながらアルシェラの背中をぽんと叩いた。
セレンティナはそれからレナトスの方へ向き直り、軽やかに魔術師の礼を取った。
「お許しいただき感謝いたします、陛下」
「ああ……」
「必ず、大陸に誇る魔導騎士団を作っておみせしますね!」
自信満々に、とんでもないことを宣言された。
この国では魔術への忌避感が根強く、魔術師団ですら長く冷遇されてきた。そんな風潮の国で騎士たちが魔術武器を手に取り、魔力を通し、魔術と武を一体化させる未来など、少し前なら誰も想像しないだろう。
だがセレンティナは、できると信じて疑っていない顔をしている。
「……そうか」
レナトスはしばし沈黙した後、どうにか短く返した。




