2-9
アウレシェルムを発ったグランヴィレア国王は、一路ヴィルナタール鉱山へ急行していた。
ヴェルドスカー峠を越えたあたりから空には暗雲が立ち込めはじめている。気流は乱れ、雲の切れ間から差す光もひどく鈍い。向かい風が頬を叩き、飛竜の翼が大きく煽られるたびに、レナトスは手綱を握り直した。
「エリン、もう少し急いでくれないか」
風の抵抗を極力減らすため、レナトスは飛竜の背にほぼ伏せた状態になっている。振り落とされないように身体を低く保ちながら右手を伸ばし、十年来の相棒の首をトントンと叩いた。
無茶な要求に対し、エリンは低く唸りを返す。
不満そうな、まるで「もうやっている」とでも言いたげな声だった。だがその直後、頬を掠める風がさらに強くなる。翼の一打ちが重くなり、雲を裂くように速度が増した。
レナトスは奥歯を噛み締める。
火竜出没の報を受けた時点で、すでに二時間が経っていた。
その間にどれほど被害が広がったのか。調査隊は無事なのか。ガレスは間に合ったのか。考えれば考えるほど焦りが募っていく。
そして一時間後――ようやくヴィルナタール鉱山が見えてくる。
上空から周囲の様子を窺うと、報告にあった魔獣の姿はすぐに見つかった。
赤黒い巨体が岩場に横たわっている。
咄嗟に急降下しながら槍を手にしたものの、近付くにつれて、それがすでに事切れた姿だと気付いた。
「まさか……」
これほどの大きさの火竜を仕留めるのは決して容易なことではない。
ましてや外皮をこれほど綺麗な状態のまま斃すなど、一体どんな手を使ったのだろうか。炎で焼けた岩場、抉れた地面、ところどころに残る氷の痕跡。上空から見えるそれらが、この場で凄まじい戦闘があったことを物語っている。
困惑と警戒を抱きながら、レナトスは妹の相棒である飛竜ラミドの隣に着地した。
「へっ、陛下……!?」
「状況はどうなっている」
国王の登場に、周囲が騒然となる。
そんな中、警備兵の一人が慌てた様子で駆け寄ってきた。大勢の騎士や兵士、そして研究者が行き交っているが、そこに緊迫した様子はあまり見られない。
怪我人の搬送は続いているものの、誰もがどこか安堵した顔をしている。
やはり討伐は済んでいるのか。レナトスは内心で驚きを噛み殺した。
「はい! 先刻、オルヴァンド方面から大型の火竜が現れましたが、アルシェラ殿下によって討伐されております」
「アルシェラが……?」
レナトスが不在の間、王妹は城に残る決まりになっているはずだった。
その習慣を破ったのは、それだけ危険な状況だったからだろうか。それとも、火竜を仕留める秘策があったのか。
様々な可能性が頭をよぎる。
だが当人に訊くのが早いと思い直し、レナトスは岩場に沈んだ火竜の傍に立つ妹の方へ足早に歩いていった。
「すまない。遅くなった」
騎士たちにてきぱきと指示を飛ばしていたアルシェラが、レナトスに気付いて動きを止める。
疲労の色は濃い。だがその瞳は以前のように不安に揺れてはいなかった。彼女はすっと騎士の礼を取り、短く「いえ」と返す。
レナトスはぴくりとも動かない火竜を見上げた。
そのままゆっくりと脚の方へ歩き、喉元に深々と突き刺さった矢を見つける。逆鱗を正確に貫いたその一矢に、レナトスはすっと目を細める。
「あれは、お前の矢か」
「はい。そうです」
これだけの巨体だというのに、逆鱗は丸盾ほどの大きさしかない。
動かない的であればいざ知らず、炎を吐く巨大な火竜を相手にどうやってあの一点を射抜いたのか。
その疑問は、口にするより先にやってきた騎士団長によって解明された。
「しっかし、魔術武器ってのは本当にすごいな」
「ガレス……その話は」
「なんだよ。事実なんだからいいだろ」
アルシェラが遮ろうとしたが、ガレスは構わずに事の次第を語りはじめた。
火竜の巨体と灼熱の炎を前に、騎士団は徐々に窮地へ追いやられていった。分厚い鱗には剣が通りにくく、吐き出される炎を防ぐだけでも精一杯だった。
その状況を変えたのが魔術師団の到着である。
まずは巨大な氷壁が築かれ、火竜の炎による被害を食い止めた。続いて土属性の魔術師たちが岩場を変形させ、火竜の巨体を型に嵌めるように押さえ込む。
身動きを封じられた火竜は激しく暴れたが、さらにサマリンダの氷魔術がその熱を抑え込んだ。
そして火竜が炎を吐こうと首を反らした瞬間、上空から飛竜で駆けつけたアルシェラが放った一矢は風を纏い、火竜の喉元にある逆鱗を正確に射抜いた。
その説明を聞くうちに、レナトスの表情は少しずつ険しくなっていく。危うさはあるものの、見事な作戦だと言わざるを得ない。
騎士団の足止め。魔術師団による地形操作と冷却。飛竜を用いた王妹の急襲。そして魔術武器を介した精密射撃。
武と魔術を組み合わせなければ成立しない戦い方だった。
そして、一連の作戦を立てたのは――。
「さすが、セレンは魔術の使い方をよくわかってるよな」
ガレスが感心したように言うと、レナトスがぴくりと反応した。
本来であれば、すでにグランヴィレアから去っているはずの調律者。その名を聞けば、納得できてしまう自分がいる。
どういった経緯でセレンティナの力を借りることになったのかは気になる。だが、まずはやるべきことがあった。
「それで、彼女はどこに?」
レナトスの問いにアルシェラとガレスが顔を見合わせる。それから、どこか気まずい空気が漂いはじめた。
「あ、えーと……それは、なんというかだな」
「実はその、お腹が空いたとのことで……」
――先に帰りました。
しどろもどろな報告に、さすがのレナトスも言葉を失った。
ご飯は大事だよね、うん。




