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ヘデル教の大神殿がある神殿領アウレシェルムは、スターラ大陸のほぼ中央に位置している。
敬虔な信徒であれば生涯で一度は訪れてみたいと願う場所だ。だがそれが叶う者はほんのひと握りしかいない。
理由はいくつかある。
最も大きいのは道のりの険しさだろう。大神殿にたどり着くには身分に関係なくヴェルドスカー峠を越えなければならない。
切り立った崖と深い谷が続く峠は、旅慣れた者であっても容易には越えられない。季節によっては濃い霧が視界を奪い、落石や魔獣の危険もある。信仰心だけで踏破できる道ではなかった。
そのためヴェルドスカー峠の入口には、大神殿へ移転するための魔道装置が設置されている。
もっとも、それを使える者はごく限られていた。大神殿に認められた高位神官、聖騎士の一部、そして各国王族や「聖女の伴侶」など、あらかじめ登録された者だけである
。無断で使用しようとしても魔術紋は反応せず、強引に起動させれば即座に神殿へ警報が飛ぶ仕組みになっていた。
本来であればレナトスもその装置を使える立場にある。
グランヴィレア国王であり、聖女ユリアーナを支える立場にある彼には大神殿へ直接移転する資格が与えられていた。
だがレナトスは魔術を封じられている。魔道装置の起動には登録された本人の魔力を流し込む必要がある。血筋や身分だけでは足りない。本人の魔力を読み取り、資格と照合し、初めて移転術式が開く。
封魔紋によって魔力の流れを閉ざされているレナトスにはそれができない。だからこそ、神殿は特例として飛竜での来訪を許可している。
ヴェルドスカー峠を越え、大神殿上空へ近付くことは本来なら厳しく制限されている。けれど聖女の伴侶が移転装置を使えない以上、往来の手段を完全に絶つわけにはいかない。
そうして与えられた例外はレナトスにとってありがたいものであると同時に、逆らいにくい負い目でもあった。
そして、たとえ峠を無事に越えたとしても、大陸各地にある神殿の神官長からの紹介状がなければ、大神殿に続くリュースグリンド門をくぐることは何人たりとも許されていない。
それほど厳重な警備体制が敷かれているのは、この地に稀少な聖属性を持つ者が集まり、共同生活をしているから。
そして――聖女が暮らす場所であるからに他ならなかった。
「では、また来る」
「お待ちしております」
グランヴィレア国王レナトスが、庭園の出口で軽く振り返りながら告げる。
視線の先には、漆黒のまっすぐな長い髪を揺らしながら微笑む女性の姿があった。
聖女ユリアーナは、象牙色の法衣を纏っている。袖口と裾には淡い青の糸で女神ヘデルマトの紋様が刺繍され、歩くたびに清水のような光沢を帯びた。真っ白ではない。けれどその色は祈りの場に灯る蝋燭の炎のように柔らかく、見る者に自然と頭を垂れさせる静かな厳かさを持っていた。
動くたびに重みのある布がかすかに音を立てる。その音はまるで、彼女が背負っている重責そのもののようにも聞こえた。
この大陸で唯一、神聖魔術を扱える聖女は大陸の民にとって希望の光である。
瘴門を浄化し、瘴気に蝕まれた地を救うことができる唯一の存在。その能力の稀少さゆえ、大陸中から要請が絶えない。
多忙で、しかも常に誘拐の危険がつきまとう聖女を護り、支える。
それが「聖女の伴侶」の役目だった。
レナトスはふっと口元に笑みを浮かべてから、自国へ戻るべく大神殿へと繋がる石造りの通路へ足を踏み出した。
「レナトス陛下、今後の予定をお伝えします」
「歩きながらで構わないか」
「はい。もちろんです」
聖騎士の一人が足早に歩くレナトスを追ってきた。聖女の守護騎士であるウィルフォード・カートライトが歩調を揃えながら斜め後ろに続く。
「三日後に、レイフェルト王国に発生した瘴門の浄化へ向かいます。そして翌日、王都で行われる追悼式典に参列する予定です」
「浄化の件は承知した。だが式典は、私がいなくてもよいのではないか?」
「ユリアーナ様が同行を希望されています」
ウィルフォードの一言でレナトスは小さく息を吐いた。だがすぐに「承知した」と返す。
二日連続で城を空けるとなれば確実に執務が滞る。宰相補や妹にかかる負担を思うと、気が重くなった。
だが、すべては仕方のないことだった。
「聖女の伴侶」は本来、アウレシェルムに居を移すのが通例とされている。だが、レナトスはグランヴィレア国王としての務めを優先し、自国に留まることを大神殿に認めてもらっているのだ。
その代わり、呼び出しには可及的速やかに応じると約束してある。
さらにレナトスは、本来なら使用を許されている移転装置を使えない。封魔具によって魔術を封じられている以上、資格があっても装置を起動できないからだ。
そのため、大神殿は飛竜による往来を特別に許可している。
幾つもの特例を受け入れてもらっている以上、神殿からの要請を無下に退けることはできない。
それがグランヴィレアのためであると理解していても、胸の奥に重いものが沈むのは避けられなかった。
「陛下!」
飛竜を待機させている中庭に差し掛かると、グランヴィレアの騎士服を着た男が駆け寄ってきた。
その手には小さな書簡が握られている。
「宰相補様より急ぎの報告です」
アンソニーからの急報など、嫌な予感しかしない。レナトスは片膝をついて差し出された書簡を受け取って急いで封を切る。
そしてそこに記されていた火竜出没の報に目を見開いた。
「これは、いつの話だ」
「…………その、二時間ほど前、です」
それは、レナトスがアウレシェルムに到着した時間とほぼ同じだった。
タイミングの悪さに苛立ちが込み上げる。だがここで腹を立てても仕方がない。そう自分に言い聞かせ、レナトスは書簡を握り締めた。
今はとにかく、急がなくてはならない。
レナトスは相棒である飛竜へ駆け寄ると、その勢いのままひらりと背に飛び乗った。
聖女様がやっと出てきた……!




