2-7
凄まじい地響きを立てながら、火竜の巨体が横に倒れていく。
岩場が大きく震えた。赤く焼けていた石片が跳ね、土煙が舞い上がる。先ほどまで灼熱の炎を吐き、岩を踏み砕いていた巨体は喉元に矢を受けたままゆっくりと力を失っていった。
誰も声を出せなかった。
火竜が本当に動かないのか。これで終わったのか。誰もが息を詰めて見守っていた。
やがて岩陰の向こうから大きな歓声が沸き起こる。
騎士たちが拳を突き上げ、警備兵たちが互いの肩を叩き合う。魔術師たちもその場にしゃがみこんで安堵の息を漏らしていた。
長く閉ざされていたヴィルナタールの地にようやく勝利の声が響いたのだ。
皆が沸き立つ中、最大の功労者であるアルシェラだけは、弓を手にしたまま立ち尽くしていた。
「殿下…………?」
核を破壊された魔獣は完全に動きを止めている。
それに対して、王妹は一切の反応を見せない。まだ警戒を緩めてはいけないのだろうか。そう思った騎士が岩陰から恐る恐る声をかける。
その瞬間、アルシェラの身体がゆっくりと傾いた。
膝から力が抜け、その場に崩れるように座り込む。
「お疲れ様。よく頑張ったねー!」
アルシェラのすぐ近くで、濃い魔力が渦を巻いた。
視界の端に銀紫の髪が揺れるのと同時に頭をぽんぽんと軽く叩かれる。まるで幼子を褒めるような仕草だった。
普段なら王妹に対して不敬だとレオノーラが飛んできそうなものだが、今のアルシェラにはそれに腹を立てる余裕など残されていない。
「私が、たおし、た…………の?」
岩場にへなへなと座り込み、誰に問うでもない疑問を口にする。
目の前には、先ほどまで灼熱の炎を吐き、岩場を踏み壊していた魔獣の事切れた姿が間違いなくあった。こうなったのは、自分が放った矢が魔獣の核を破壊したからだ。
事象は理解しているけれど実感が追いつかない。
弓を握る指が震えていた。膝にも力が入らない。凶悪な魔獣に至近距離で対峙した恐怖が、すべて終わった今になって背後から追いかけてきた。
もし外していたら。もし制御を誤っていたら。
もし火竜が一瞬でも早く炎を吐いていたら。
遅れて押し寄せてきた可能性の数々に、呼吸が荒くなってくる。
「うん。これだけ大きな火竜を一撃で仕留められる弓手はそうそういないと思うよー? 自慢していいからね」
セレンティナはいつも通りの軽さで言う。
「天秤の契約」を結んだ後にセレンティナから作戦を聞かされた時、アルシェラの胸にあったのは不安だけだった。
まず【移転】に耐えうる魔力を持つ土と風属性の魔術師を連れてセレンティナが現場に向か、現地で火竜を足止めし、動きを封じる。
その後、飛竜に乗ってきたアルシェラが風を纏わせた矢で逆鱗を射抜く。
言葉にすれば単純だった。
けれど実際には、恐ろしいほど危うい計画でもあった。
セレンティナがアルシェラを【移転】で連れて行かなかったのは、空間を渡る魔術に慣れていない者は感覚を狂わせる作用があるからだ。戦場へ着いた直後に視界や平衡感覚を乱せば、弓手として致命的な隙になる。
一見大胆な計画でありながら、その実、すべて緻密な計算によって組み立てられていた。
そして――目論見通り、最小限の被害で凶悪な魔獣を討伐できた。
「アルシェラ様……お見事でした」
弱々しい賞賛の声にアルシェラはぱっと顔を上げる。
そこにあったのは、青白さを残しながらも喜びを隠しきれない魔術師長の顔だった。目を潤ませながら微笑むその姿は、まるで子供の成長を喜ぶ母親のようにも見えた。
「サマリンダ、来てくれてありがとう……具合はどう?」
「はい。魔素ポーションを飲みましたので、問題はありません」
本来、セレンティナの計画にサマリンダは組み込まれていなかった。
だが火竜討伐への協力を魔術師団に要請すると、サマリンダは「それでしたら私も出ます」と、謹慎中にもかかわらず自ら手を挙げたのだ。
たしかに氷の魔術を扱えるサマリンダが加勢してくれるのは心強い。大型の火竜相手ならなおさらだ。けれど謹慎の命令を破った以上、後で受ける罰はかなり重くなるだろう。
それでも彼女は、仲間を守るために禁を破った。
王城の奥で抑え込んできたものをようやく戦場で解き放ったのかもしれない。そう思うと、アルシェラの胸に熱いものが込み上げる。
「セレンティナ様、先ほどは助けてくださりありがとうございました」
「えっ、それは、契約違反になるんじゃ……?」
「うーん。サマリンダが出てくれたお陰で作戦が楽になったからね。バランスを取るためのサービスってとこかな」
あそこで【遮断】を使っていなければ、魔術師長は確実に炎の餌食になっていただろう。
命の恩人だというのに、セレンティナはなんてことないことのようにさらりと告げた。感謝されるほどのことではない。借りと貸しの釣り合いを取っただけだとでも言いたげな顔だった。
この調律者の思考は、やはり理解できない。
けれど、その気楽さがむしろ心地よく感じられるようになってきた。
重すぎる感謝も深刻な沈黙も、彼女は軽やかに受け流してしまう。そのおかげでこちらまで少しだけ息がしやすくなる気がした。
「あ、ガレスに任せた方も終わったみたいね」
任務完了を意味する笛の音が聞こえ、セレンティナが大きく伸びをした。
遠くの斜面からは騎士たちの声が響いている。小型の火竜の群れも片付いたのだろう。まだ焦げ臭い熱気は残っているが、戦場に張り詰めていた殺気は少しずつ薄れていった。
「うーん……やっぱり陛下は来られなかったね」
残念、と呟くその顔には、なぜか意味深な笑みが浮かんでいた。
本日よりまた更新頑張ります!




