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異端の調律者は天秤を持たない  作者: うつおぎ
第二章 調律者の改革
34/66

2-4


 ガレスたちの前へ巨大な氷の壁がせり上がり、灼熱の中に鋭い冷気が走った。

 透明な氷ではない。内側に白い霧を抱え込んだ、分厚く硬い氷壁。表面には魔術紋が淡く走り、火竜の炎を受け止める準備を整えている。


「どうして、ここに……?」


 氷の壁の前に佇んでいる背は、間違いなく謹慎中の魔術師団長、サマリンダ・ファウラーだった。

 薄墨に金の縁取りが入ったローブをはためかせながら、彼女は火竜を見据えている。王城の奥で書類を相手にしている姿なら見慣れている。

 だが、燃え残る岩場の前線に立ち、杖を構えている姿を見るのは初めてだった。

 壁の向こう側が真っ赤に染まる。

 ガレスは咄嗟に身構えた。だが先ほどのような、全身が蒸されるような熱気はこちらには届かない。灼熱の炎は氷壁の向こうで唸り、表面を激しく溶かしているはずなのに、こちら側には白い冷気だけが流れ込んでくるだけだった。


 戦場において、魔術師団は後方支援に徹していた。

 剣を振るう騎士の邪魔にならないように牽制程度の攻撃や補助を行う。それがこの国での魔術師団の役割だった。少なくともガレスは、ずっとそう認識していた。

 だからこそ、サマリンダが前線に出ている事実に理解が追いつかない。

 一体どういう風の吹き回しだろうか。

 いや――それ以前に、もっと大きな疑問があった。


「どうやって、ここまで来たんだ?」

「私が連れてきたんだよー」

「うおっ!?」


 独り言のつもりだった。疑問を口にしたところで、答えが返ってくるとは思っていなかったのだ。ましてや真後ろから、あまりにも聞き慣れた軽い声が飛んでくるなど想定していない。

 ガレスは叫びながら、びくっと肩を揺らした。

 盾を構えたまま首だけ振り返ると、そこには純白のローブを纏った調律者が眩い笑顔を浮かべて佇んでいた。


「ここにいるのは騎士と警備兵だけ?」

「お、おう……」

「じゃあ、この人たちを火竜の四隅に配備したいから、サポートをお願い」


 セレンティナの背後には、サマリンダと同じ色のローブを纏った魔術師たちが緊張の面持ちで控えていた。

 一応は顔見知りである。だが残念ながら、ガレスは彼らの属性までは把握していない。これまで後方支援しかしてこなかった魔術師たちに、一体何をさせるつもりなのか。

 説明を求めようとしたが、今はそんな余裕はなかった。

 それに、最高レベルの魔術師であるセレンティナが、考えなしにこんな指示を出すとは思えない。


「よし、俺が注意を引きつける。その隙に移動しろ」

「はいっ!」


 氷の壁に自慢の炎を阻まれたせいか、火竜は明らかに苛立っている。赤黒い鱗の隙間から熱が漏れ、喉奥でまた炎が徐々に膨らみつつあった。

 ガレスは盾を置き、両手で大剣を構え、地面を蹴る。

 炎の残滓が揺らめく岩場を駆け抜け、火竜の鼻先へ跳躍した。


「おら、こっち見ろ!」


 大剣が唸りをあげる。ガレスは火竜の鼻先へ刃を叩きつけ、そのまま鱗の隙間へ切っ先を捩じ込んだ。硬い手応えが腕に響いたがこれでも浅い。だが痛みを与えるには十分だった。

 火竜が耳障りな叫びを上げる。

 視線の先で素早く動き回るガレスをなんとか払い除けようと、火竜が顔を揺らし、前脚で岩場を激しく踏み鳴らした。そのたびに地面が揺れ、細かな石が跳ねる。

 ガレスはそれを紙一重で避けながら、さらに鼻先を狙って斬りつけた。


「配備完了しました!」


 拡声スカルムを使った報告が耳元で響く。

 セレンティナの傍には、風属性の魔術師が一人控えていた。連絡係として配置されたのだろう。彼は緊張した面持ちで杖を握りしめながら、四方へ散った魔術師たちからの合図を受け取り、それを伝えたようだ。

 ガレスは鼻に突き刺していた剣を抜き、火竜から距離を取った。


 ここからどうするつもりなのか。

 岩場を駆けながらちらりと振り返ったのと同時に、四人の魔術師の詠唱が微かに耳へ届いた。


「【グルホル】」


 次の瞬間、火竜の足元の岩場が崩れた。

 いや、崩れたのではなく、形を変えたのだ。

 四方に立つ土属性の魔術師たちが同時に魔術を展開し、岩場を火竜の巨体に合わせて抉っていく。

 硬い岩盤が泥のように沈み、逃げようとする脚の位置に合わせてさらに形を変えた。

 みるみるうちに火竜の身体が岩場へ沈んでいく。


 慌てたように伸ばされた前脚が淵に掛かった。だがその部分さえあえなく崩れ落ちる。

 翼のない巨大な蜥蜴のような火竜は、身体の大きさにぴったり合わせて作られた穴へ嵌め込まれていった。

 まるで岩場そのものが火竜のための型になったようだった。


「サマリンダ、いける?」

「もちろんです」


 魔術師団長は額に浮かんだ汗を拭いながら即答した。

 あれだけ大きな氷壁を生み出したのだから疲労は隠しきれていない。呼吸は荒く、握った杖の先もかすかに震えている。

 だが魔術強化の杖を握り直したその目には、爛々とした闘志が浮かんでいた。

 サマリンダは静かな、けれど確かな足取りで穴へ近付く。

 そして杖の先を火竜へ向けた。


「【凍結イサル】!」


 詠唱と共に、真っ赤に燃える鱗が氷に覆われた。

 白い霜が火竜の背を走り、赤黒い鱗の隙間へ冷気が食い込んでいく。だがその程度で凍りつく相手ではない。

 火竜の体表からは、しゅうしゅうと音を立てて水蒸気が昇った。氷は張ったそばから溶け、溶けたそばからまた凍っていく。

 熱と冷気がぶつかり合い、岩場一帯が白い霧に包まれた。


「まさか……あれを凍らせるつもりか?」

「あははっ、さすがに無理だよー」


 冗談を言ったつもりではなかったが、セレンティナは楽しそうに笑い声を上げる。けれどすぐに笑いを収めると、ガレスをじっと見上げた。


「ところで、あれの『逆鱗げきりん』の場所は特定してある?」

「あぁ。喉元にあった」


 竜型の魔獣の場合、核のある場所は他の部位に比べて表皮が薄くなっており、その場所を『逆鱗』と呼ぶ。

 そこに攻撃を入れられれば最も安全に仕留められる。だが如何せん、相手はこれだけの巨体である。喉元を狙うには近付かなければならず、近付けば炎と爪の餌食になる。

 ガレスは投げジャベリンを持ってくるべきだったと、内心で舌打ちした。

 するとセレンティナが、連絡係の魔術師へ振り返る。


「だってさ。アルシェラに伝えてもらえる?」

「承知しました」

「…………はぁぁ!?」


 ガレスの間の抜けた叫びが、白く煙る岩場に響いた。


火 vs. 氷 の巻でした!

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