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「まだ来ちゃ駄目ですよー」
ゆっくりと下降しながら、セレンティナが制する。
レナトスとガレスはそう言われて初めて、自分達が立ち上がり、倒れた合成獣のもとへ向かおうとしていたことに気が付いた。
採掘場の底にはつい先ほどまで暴れ狂っていた巨体が横たわっている。獅子の頭も、山羊の胴も、蛇の尾も、もう動かない。
だがそれでも、長く鉱山を閉ざしていた脅威が本当に終わったのだと、すぐには理解できなかった。
音もなく、セレンティナが合成獣のすぐそばへ降り立つ。
「まずはサンプルを採って……と」
崩れゆく合成獣から皮膚や肉が少しずつ削り取られていく。切り取られた断片は淡い光に包まれ、次々と姿を消した。
おそらく保存用の魔道具か、空間魔術の類を使っているのだろう。
あまりにも手際がよくて、目の前で魔獣の死体が解体されているという光景の異様さが薄れて見えた。
「核は中心にあるみたいだけど、どうかなー?」
セレンティナがそう言った瞬間、すぱりと合成獣の胴が上下に分断された。
肉が裂ける音も、骨が砕ける音もほとんどしない。見えない刃が通り抜けたように巨体の中心にまっすぐな隙間が生まれる。
セレンティナは銀紫の瞳でその隙間を覗き込み、「見つけた」と嬉しそうに呟いた。
ややあってから、鈍い光を放つ長方形の物体が浮き上がってくる。
「お待たせ! 降りてきて大丈夫だよ」
「嘘、だろ……?」
ガレスが呟いた。
次の瞬間、映像記録の魔道具を素早く脇に抱えて勢いよく走り出す。
踏みつけた石段が崩れるのも構わない。半ば落ちるように階段を駆け下り、セレンティナのもとへ向かっていった。
肩で息をしながら、ガレスは合成獣の体内から取り出された物体を食い入るように見つめる。
これまでガレスが見てきた魔獣の核は、こんなに表面が滑らかではなかった。
それこそ周囲に散乱している石のように形は歪で、サイズもまばらだった。魔獣によって色や硬さに差はあるが、自然に生まれた核には必ずどこか不均一な部分がある。
だが、目の前に浮いている合成獣の核は違う。
綺麗な立方体が三つ、面で繋がり、四角柱のような形状を作っていた。角は不気味なほど正確で、表面には磨いたような滑らかさがある。
しかも三つの核は、わずかに色を違えながらも等間隔に並んでいた。
これほどまでに均一で、滑らかで、そして正確に三つが繋がっているなど――。
「これは、人工的に造られた魔獣だったのか」
やはり同じ疑問を抱いたのか、遅れてやってきたレナトスが単刀直入に問う。
セレンティナは、色が微妙に異なる三つの核が連なっている様をじっと見つめながら「そのようですね」とあっさり返した。
「魔塔はその存在を把握していたのか?」
「ミング皇国で理論上の手法が確立したのは五年前って噂です。だから、もしかするとこれは実験体だったのかもしれません」
「ミングの実験体……だと!?」
その国の名に、ガレスが一瞬にして気色ばむ。
ミング皇国とは「華の惨劇」以来、関係が良好とは言えない。今となっては、この合成獣が意図的に送り込まれたものだと断言する術はない。けれど何らかの思惑が働いていたのではないかと疑念を抱くのは無理からぬことだった。
レナトスの表情も険しくなる。
もしこれがミング皇国の実験体だったのなら、ヴィルナタール鉱山の閉鎖は単なる事故では済まない。グランヴィレアの経済を長年苦しめ、多くの騎士の命を奪ったものが、人の手で造られた可能性がある。
その事実は鉱山の底に沈む空気を重くした。
観察が済んだのか、人造魔獣の核が音もなく姿を消す。
「あっ!」
唐突にセレンティナが叫び、ガレスはびくっと身を震わせた。だがレナトスは軽く目を見開いただけで努めて冷静な姿勢を貫く。
「上に穴あけちゃったんだった。塞いだ方がいいですよね?」
「ああ……そのことか」
三人は見るともなしに見上げた。
そこには綺麗な青空が丸く切り取られている。閉ざされた鉱山の底へ、まっすぐに陽光が降り注いでいた。舞い上がった粉塵が光を受け、細かな金砂のように漂っている。
鉱山を閉鎖すると決まった時、複数あった坑道は一つを残してすべて崩落させた。そうすることで警備の手間を最小限にしていたのだが、ここまで巨大な穴が空いてしまっては無意味になる。
だがレナトスは、ゆるりと首を振った。
「塞がなくていい。この方が調査はしやすいだろう」
「そうだな。すぐに警備体制を再編する」
危険が去った今、ここで命を落とした者たちの遺品を回収し、弔うことができる。
どこの部隊を配備するか、国王と騎士団長が話し合っているうちに、核を失った合成獣の肉体はぼろぼろと崩れていった。
獅子の頭が形を失う。山羊の胴が灰のように崩れる。蛇の尾は最後までわずかに痙攣していたが、それもやがて岩の隙間へ沈むように消えていった。
ヴィルナタール鉱山から、遂に脅威が消え去った。
多くの犠牲を生み出した魔獣の最期にしては、あまりにもあっけない。レナトスとガレスの胸に、言い知れぬ後悔が去来する。
もっと早く調律者に助けを求めていれば、これほどまで死者を出さずに済んだのではないか。
口には出さない。いや、出せるはずもない。
だがその思いは、採掘場の底に沈む冷たい空気のように、二人の胸へじわりと染み込んでいく。
当時のグランヴィレアは今以上に魔術を忌避していた。魔塔に助けを求めるなど容易に選べる状況ではなかった。それは事実だ。
それでも、事実は後悔を消してはくれない。
「あっ!」
「今度はなんだよ」
二度目ともなればさすがのガレスも少し冷静に返した。
むしろわざと驚かせようとしているのではないかと疑い、振り返ってセレンティナを睨もうとして、そのまま動きを止めた。
いつの間にか、セレンティナのほっそりとした手が一振りの剣を握っている。
よく見ると刃の一部が大きく欠けている。長い年月の中で煤けて傷だらけになってはいるが、柄にはかすかに紋章が刻まれていた。
それは、ガレスの手甲に刻まれたものと同じ――ブロディ家の家紋だった。
「お前っ……! それ、どこで……」
「見覚えあるんだ? 先に抜いておいてよかった。はい、どーぞ」
ガレスは差し出された剣を震える手で受け取った。
それと交換する形で、脇に抱えていた記録用の魔道具がセレンティナに取り上げられる。けれどガレスはそれに気付いた様子すらなかった。
剣の柄に指を添える。
かつてこれを持った時は、ひどく重かった記憶がある。両手で抱えても持ち上げるのがやっとで、刃先を地面から離すことすら難しかった。
そんなものを軽々と扱う父に憧れた。
広い背中を見上げ、いつかは自分もああなりたいと胸を弾ませた。大人たちの前では豪快に笑い、戦場では誰よりも冷静に指揮を執り、家に戻れば不器用な手つきで頭を撫でてくれた父。
その記憶の中の剣が、今はひどく軽い。
軽く感じてしまうほど自分は大きくなった。その当たり前の事実が胸を締め付けた。
「合成獣の左前脚に刺さってたよ。これ、刃にシュルヴァイトが使われているから、あの部分だけうまく再生できてなかったみたい」
ヴェルツァイトが魔力を通す鉱物であるのに対し、シュルヴァイトは魔力を遮断し、流れを鈍らせる性質を持つ鉱物である。
高純度のものは魔術遮断装置や封魔具の中核に用いられ、一定以上の量を組み込めば術式の発動そのものを阻害する。
武器の刃に混ぜれば、斬りつけた相手の魔力の巡りを乱し、再生や強化の魔術を鈍らせることもできるのだ。
もっとも加工は難しく、通常の剣に使われることは少ない。ブロディ家に伝わるこの剣はおそらく対魔獣戦を想定して作られた特別な武器だったのだろう。
たしかに、剣が刺さっていた場所は骨が露出していた。
もしかすると左前脚だけでなく、崩壊していた場所には欠けた刃の一部が残っていたのかもしれない。合成獣の再生を阻み続け、十年近くその肉体を蝕んでいたのだ。
「この剣を振るっていた人は、もしかすると合成獣の性質に気付いていたのかも?」
「そう、だな……」
ガレスの父、ブロディ将軍が愛用していた武器は両刃の剣で、これは本来の得物とは別のものだった。
豪放磊落な人物として有名だったが、その実、物事を素早く分析する冷静さも持ち合わせていた。
彼は勝ち目のない絶望的な戦いの中で、それでも合成獣の異常な再生能力に気付いたのだろう。
どうすれば止められるのか。
どうすれば後に続く者へ手がかりを残せるのか。
そう考えながら、巨大な魔獣の左脚へこの剣を突き立てたのかもしれない。
「きっとすごく勇敢で、恰好いい人だったんだろうね」
セレンティナのまっすぐな誉め言葉に、ガレスはぐっと奥歯を噛みしめた。
喉の奥が熱い。視界が滲みかけ、慌てて瞬きをする。だが、相変わらず手は震えていた。
剣を握る指に力を込めても、その震えは止まらない。
父はただ殺されたわけではなかった。最後の瞬間まで戦い、考え、後に残る誰かのために刃を突き立てていた。
その事実が、ガレスの胸の奥で痛いほど熱く広がっていく。
「……ああ」
ようやく絞り出した声は、ひどく掠れていた。
「俺の親父は、最高に恰好いい人だった」
言い切った瞬間、こらえきれなかった涙が一粒だけ頬を伝った。
ガレスはそれを乱暴に拭い、父の剣を胸に抱える。
セレンティナは何も言わず、ただ満足そうに微笑んでいた。




