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大穴を深さの半分ほど降りたところで、合成獣が動きを変えた。
ずしん、ずしん、と底から伝わっていた地響きが不規則になる。どうやら新たな獲物の存在に気付いたらしい。
獅子の喉から漏れる唸りと蛇の威嚇音が混じり合い、薄暗い採掘場の壁に不気味な反響を残した。
合成獣は最下層をせわしなく動き回りはじめる。山羊に似た蹄が岩床を叩くたび、古い足場から細かな砂がぱらぱらと落ちた。
「これ以上の接近は厳しいな」
「だねぇ。そうしたら、えーと……あのあたりから映像を撮ってもらおうかな」
セレンティナが指差したのは自身の身の丈と同じくらいの岩だった。周辺には壊れた木箱の残骸が散乱している。かつては採掘道具や鉱石を一時的に置く場所として使われていたのだろう。
ガレスが抱えていた魔道具を置くと、セレンティナは手を伸ばして透明な球体に触れた。指先から淡い光が流れ込み、小さな駆動音と共に球体がぼんやりと輝きだす。
「基本は動かさないでほしいけど、もしこの場所が崩れたりしたら退避して」
「わかった」
「くれぐれも壊さないでね?」
セレンティナは両手を後ろで組み、小首を傾げて念押ししてくる。
可憐な容姿をした少女が、愛らしい仕草でお願いしているようにしか見えない。だが契約を破ればガレスは右腕を失う。
仕草と内容の落差があまりにも大きく、可愛らしさよりも先に背筋が冷えた。
「行動パターンが見たいから、最初は泳がせるよ。そのつもりでいてねー」
調律者にとってこの魔獣は重要なサンプルなのだろう。
どんな攻撃をするのか。攻撃に対してどんな反応を返すのか。再生能力はどこまで働くのか。それらを記録するためなら、多少の危険など最初から勘定に入っていない。
それなら魔道具に守り手が必要なのも頷ける。
ガレスは腕を覆う手甲の紐を締め直し、低く「ああ」と返した。
「それじゃ、いってきまーす」
セレンティナはかろうじて残っている木の柵の上へ軽やかに飛び乗ると、振り返って小さく手を振った。
まるで散歩にでも行くかのような気楽さだった。
次の瞬間、そのまま大穴へ身を躍らせる。
「おい……っ!」
ガレスとレナトスは反射的に手を伸ばしかけ、途中で虚空を握りしめた。
純白のローブが闇の中へ落ちていく。だがセレンティナは悲鳴ひとつ上げない。長い銀紫の髪を翻し、くるりと一回転してから中空で静止した。
落下ではない。
飛翔でもない。
ただそこに立っているかのように、純白のローブは採掘場の空へ浮かんでいた。
「……気付いたな」
レナトスが低く呟く。
獅子の唸りと蛇の威嚇音、そして地面を叩く蹄の高い音が重なった。合成獣が頭を上げる。闇の底で濁った瞳が光り、獲物を見つけた獣の気配が一気に膨れ上がった。
体格だけで判断すれば、圧倒的に不利な相手。
それでも、合成獣に獲物として捉えられたセレンティナは相変わらず優美な笑みを浮かべていた。
次の瞬間、獅子の鬣が大きく揺れた。
咆哮と共に灼熱の炎が吐き出される。坑道の薄闇が赤く染まり、熱風が離れた岩陰にいるレナトスたちの頬を掠めた。
セレンティナの姿が横へ滑る。
炎はローブの端を掠めることすらできず、背後の岩壁を焼く。焼けた岩が赤くひび割れ、遅れて爆ぜるような音が響いた。
だが合成獣の攻撃は止まらない。
尻尾の先にある蛇が大きく口を開いた。そこから吐き出された水流が鞭のように撓って空を裂く。
炎とは違って直線ではない。水の鞭は生き物のように軌道を変え、宙に浮くセレンティナを叩き落とそうと追いすがった。
「速い……!」
ガレスが思わず呻く。
セレンティナは身を翻して避ける。だが水流は岩壁に当たって砕けるどころか、形を保ったまま撓り、背後から襲いかかった。
その直前、彼女の前に淡い膜が走る。
あれは、【遮断】だ。
水の鞭が見えない壁に叩きつけられ、飛沫となって弾ける。濡れた岩床から白い湯気が立ち昇り、すぐさま次の炎がその水気を焼き払った。
「苛立ちはじめたな」
「あぁ……」
直線的な炎と、曲線的に追いすがる水流。
相反する二つの攻撃が同時に放たれているというのに、セレンティナは相変わらず余裕の笑みを浮かべ、むしろどこか愉しげだった。
紙一重でかわし、時折わざと近くを通らせるその動きは、戦っているというよりも相手の出方を試しているように見える。
調律者と合成獣の攻防を注意深く見つめながら、レナトスがすっと表情を険しくした。
「……妙な揺れがある」
「ん? そうか?」
ガレスが意識を足元に向ける。
その瞬間、凄まじい地響きが起こった。
合成獣が勢いよく蹄を岩肌へ打ち付ける。衝撃は岩床を走り、壁の一部が内側から押し出されるように盛り上がった。次いで巨大な岩が鋭く切り出される。
蛇の水流がそれに巻きついた。
水の鞭が岩塊を掴み、勢いよくで振りかぶる。
「まさか……!」
ガレスの声が引き攣る。
巨大な岩塊がセレンティナへ向けて投げつけられた。あんなものは盾で受けられる類いの攻撃ではない。どれほど頑丈な鎧を着ていようと中身ごと潰されるのが関の山だ。
採掘場のあちこちで不自然に潰された鎧を見た理由を、ガレスはその瞬間に理解した。
「おっと! なるほど、そう来るかぁ」
セレンティナはひょいと身軽に避ける。
直後に炎が走った。さらに砕けた岩片が散弾のように降り注ぐ。その合間を、白い鳥のように滑っていった。
危ういが危なげはない。鋭利な岩と炎の隙間を、まるで最初から道が見えているかのようにくぐり抜けていく。
合成獣の苛立ちが、ついに頂点へ達したらしい。
ひときわ強く蹄が地面を打つ。
採掘場全体が揺れた。古い足場が軋み、頭上から砂と小石が降ってくる。岩床が裂け、そこから巨大な岩塊がせり上がった。
それは大穴の直径を塞ぐほどの大きさだった。
――逃げ場がない。
少なくとも、普通の人間ならそう判断するだろう。
水の鞭が岩塊に巻きつき、大きく振りかぶった。合成獣の全身が軋む。蛇が耳障りな音で鳴き、獅子の口から熱い息が漏れた。
「あぶな…………っ!」
ガレスが叫びかける。
鋭く切り出された巨大な岩がセレンティナへ迫った。
ぶつかる寸前、その姿がかき消える。
レナトスとガレスは急いで周囲へ目を配った。だが次の瞬間、銀紫の髪が岩塊の下で揺れる。
セレンティナは通り過ぎた岩の真下へ移動していた。
勢いを失った岩が落ちかける。
だがその下から大きな風が巻き起こった。風は岩塊を受け止めるのではなく押し上げていく。鈍い衝撃音と共に岩が軌道を変え、上へ跳ね上がった。
凄まじい音を立てて採掘場の天井が破られる。
轟音が響き、岩盤が砕け散った。落ちてくるはずの破片はセレンティナの周囲で弾かれ、白いローブには土埃ひとつ届かない。
開いた大穴から、まばゆい太陽の光が差し込んできた。
閉ざされた鉱山の底に、十年ぶりの光が降り注ぐ。
「ふぅん。攻撃パターンはやっぱり多くないんだ」
どこかつまらなそうに呟きながら、セレンティナがすっと左手を上げる。
次の瞬間、氷槍が放たれた。
青白い光を帯びた槍は一直線に落ち、獅子の頭へ深々と突き刺さる。合成獣が断末魔のような叫びを上げた。採掘場の壁が震え、岩陰にいる二人が耳を覆うほどの咆哮だった。
合成獣は痛みで暴れている。山羊の蹄が岩床を滅茶苦茶に叩き、蛇の尾が壁を打った。だがやがて、氷槍が刺さった傷口がぐじゅりと動き始める。
崩れた肉が盛り上がり、黒ずんだ筋が繋がり、皮膚に似たものが薄く張る。
不自然なへこみを残したまま、それでも傷は塞がっていった。
「へぇぇぇ、おもしろーい!」
セレンティナが嬉しそうな声を上げる。
次いで放たれた風の刃が、山羊に似た右の前脚を切り落とした。
どしゃり、と鈍い音を立てて合成獣が倒れる。切断面から濁った体液が溢れた。だが剥き出しの肉が震え、骨のような白い芯が伸び、ゆっくりと脚の形を取り戻していく。
今度は蛇の尾を、巨大な金属の槍が貫いた。
尾は岩床に縫い止められ、蛇が耳を刺すような高音をあげてのたうつ。だがそこでも傷口はぐじゅぐじゅと音を立てながら塞がっていった。
「ふんふん。二か所だとどうだろう」
頭と尻尾。
頭と脚。
脚と尻尾。
組み合わせを変えながら、セレンティナは攻撃を入れていく。
氷が獅子の顔を裂き、金属の槍が蛇を貫き、風が山羊の脚を断つ。そのたびに合成獣は咆哮し、暴れ、岩壁を抉った。だが時間はかかるものの、いずれの傷も再生されていった。
普通の討伐隊なら、ここで絶望していただろう。
斬っても治る。潰しても動く。複数の部位を同時に破壊しても、わずかな時間差で復元される。
多くの騎士が命を散らした理由はそれだけで十分だった。
「なるほどねぇ……これは骨が折れるわけだ」
口ではそう言っているものの、セレンティナはどこか嬉しそうだった。
一歩間違えば死に直結する状況だというのに、それすらも楽しんでいるように見える。その姿は未知の魔道具を前にした研究者、あるいは難しい玩具を与えられた子供のようだった。
ガレスは魔道具を守るため、その場を離れられない。
それでも手甲の下で拳を握りしめていた。父を殺した魔獣が目の前にいる。だが自分は見ていることしかできない。その屈辱を噛み殺すように、奥歯が軋んだ。
レナトスは黙って戦況を見つめていた。
セレンティナの実力は知っている。だがこれほどまでに戦闘の質が違うとは思っていなかった。彼女は合成獣を相手に戦っているのではない。観察し、測り、必要な情報を抜き取っている。
そしてようやく、結論に至ったらしい。
「はーい、これにて実験終了でーす」
朗らかに宣言したセレンティナは満面の笑みを浮かべ、両手を広げた。
背後に三つの魔術紋が浮かび上がる。
青白い紋。
深紅の紋。
翡翠色の紋。
それぞれの紋から色の違う花びらが無数に生み出され、採掘場の底に差し込む陽光を受け、三色の花弁がきらきらと舞う。
美しく、そして同時にひどく冷酷な光景でもあった。
青白い花弁が獅子の頭を覆い、一瞬で凍りつかせる。深紅の花弁が蛇の尾を包み込み、焼ける臭いを残して燃やし尽くした。
翡翠色の花弁が山羊の脚を取り囲み、音もなく細かく切り刻んでいく。
はじめて、三つの部位が同時に破壊された。
合成獣が大きく仰け反る。
獅子が声にならない咆哮を上げ、山羊の胴が痙攣し、蛇の尾が最後の抵抗のように跳ねた。
だが再生は始まらない。
ややあってから、巨体がついに動きを止めた。
ずしん、と重い音を立てて、合成獣が地面に倒れる。
採掘場に静寂が落ちた。
セレンティナが満足そうに微笑んでいる。
陽の光を受けたその姿は、武骨な鉱山の中に咲いた可憐な花のようだった。
改行具合を模索中なので、読みづらかったらごめんなさい。
うん、やっぱり戦闘シーンを書くのは楽しい!!




