1-26
「もう少しで広いところに出そう」
先頭を歩くセレンティナの報告に、レナトスとガレスは素早く臨戦態勢を取った。
坑道の奥から岩肌を震わせるような、重く低い地響きが伝わってくる。そして、その合間を縫うように聞き覚えのない唸り声が届いた。
獣の声に似ているが獣そのものではない。喉を鳴らす音に複数の生き物の鳴き声が無理やり混ぜ合わされたような歪みがあった。
間違いない。
この先にはガレスの父の、いや――グランヴィレアの仇ともいえる魔獣が、未だに獲物を求めて彷徨っているのだ。
ガレスの手が大剣の柄を握りしめる。革巻きの柄が軋むほどの力が籠もっていた。レナトスも無言のまま剣の柄へ手を添え、狭い坑道の先を鋭く見据える。
「念のために言っておくけど、手出しは厳禁だよ」
「はっ? なんでだよ!?」
早くも大剣を抜いているガレスは一太刀くらい浴びせる気でいたのだろう。だがそれを察したセレンティナから警告され、掴みかからんばかりに食ってかかった。
その横顔には怒りと焦りが浮かんでいる。長年追い続けてきた仇がこの先にいる。そう思えばただ見ていろ、と言われて納得できるはずもない。
「今日のガレスの仕事は魔道具を守ること。それを破ったら契約違反になるからね?」
今日の騎士団長は記録係であり、戦闘要員ではない。
そして、役割を放棄すれば右腕が落ちる運命にある。
これは単なる口約束ではなく、れっきとした天秤の契約なのだ。そこに情や事情を差し挟む余地はない。
軽やかな口調で告げられた残酷な事実にガレスが悔しそうに歯噛みする。奥歯を噛み締める音が狭い坑道に小さく響いた。
だが温情をかけることなく、セレンティナはレナトスへと視線を移す。
「ちなみに、陛下も見学のみですからね」
「わかっている」
レナトスは元からそうするつもりだと言わんばかりに頷いた。そして不満顔のガレスを目だけで制する。
念押しを完了させたセレンティナは満足そうに微笑み、くるりと背を向けた。
純白のローブが薄闇の中で淡く揺れる。彼女は再び何事もないように歩きはじめた。
狭い通路を抜けた先にあったのは、広大な採掘場だった。
一行は岩陰に身を隠しながら、ぽっかりと開けた空間を覗き込む。
採掘場は縦に深く抉られていた。岩壁にはかつて足場だったものの残骸が張り付き、朽ちた木組みや錆びた鎖があちこちに垂れ下がっている。
発光する鉱物が点々と岩肌を照らしているものの、その光は弱い。底へ近づくほど闇が濃くなり、何かが蠢いている気配だけが重く漂っていた。
「よかった、生きてるー」
セレンティナが安堵したように、そして嬉しそうに呟いた。
ずしん、と重々しい音が響く。
最下部にある横道から、合成獣がゆっくりと姿を現した。
相当な深さがあるというのに、ここからでも大型犬ほどの大きさに見える。実際はかなり巨大なのだろう。横道の岩壁に肩を擦りつけるようにして進むたび、採掘場全体が震えた。
その姿は、報告書に記されていた通りだった。
だがそれは、ただ異なる獣を繋ぎ合わせただけの姿ではなく、肉体のあちこちが崩れている。
獅子に似た頭部からは鬣はところどころ抜け落ち、むき出しになった皮膚の下で黒ずんだ筋肉が蠢いている。胴は山羊のように痩せて長く、曲がった角が背の方へ歪に伸びている。
そして、後ろに引きずる尻尾は蛇そのもので、鱗の剥がれた部分から濁った体液が滴っていた。
左前脚の膝から下は半ば白骨化していて、腹の横には大きく裂けた傷があり、そこから何かが脱落した跡だけが残っている。肩の肉は削げ落ち、動くたびにぶら下がった皮膚が湿った音を立てた。
合成獣は生きている。
いや、生きているというより、死に損なった肉体を無理やり動かされているようだった。
あまりにも異様な獣の姿を眺めながら、ガレスが喉を鳴らした。
眼下で蠢いているのは、尊敬する父の命を奪った魔獣。
十年近くこの鉱山を閉ざし、グランヴィレアの経済に深い傷を残し続けた存在。
それが今もなお、この暗い採掘場の底を歩いている。
レナトスも無意識に息を詰めていた。報告書で読んだだけでは届かなかった現実が、今この瞬間、目の前にある。
「記録を取るなら、もうちょっと下に行かないとだね」
「そうだな」
ガレスは低く答えた。
その声は驚くほど硬かった。怒鳴り声でも悪態でもない。胸の奥に押し込めてきたものを、必死に押さえつけているような響きだった。
セレンティナが何かを探すように周囲を見回す。そして光の届いていない場所の一点を見つめ、小さく「あっ」と呟いた。
「あそこから降りられそう」
「……ん? どこだ?」
「ついてきて。静かにねー」
純白のローブは、この薄暗い空間でも見やすく、まるで道標のように思えてくる。
足元に意識の半分を向けながら、レナトスとガレスはセレンティナの後に続いた。三人は縦穴の縁に沿い、ぐるりと反対側へ向かう。
切り出した石で作られた階段は、部分的に崩れていた。段差の端は欠け、踏み外せば底へ転げ落ちかねない。壁際には錆びた手すりの残骸があり、その周辺には鎧や武器の一部と思しき金属片が散らばっている。
剣の折れた刃。
潰れた籠手。
焼け焦げたように黒ずんだ胸当て。
それらは誰かがここで戦った、あるいは、ここで帰れなくなった者たちの痕跡だった。
ガレスの足が一瞬だけ止まる。
その金属片の中に見覚えのある紋章がないか、確かめたい衝動に駆られているのだろう。
父のものではないとたしかめたい。あるいは、父の遺品を見つけたい。そんな相反する思いが、背中越しにも伝わってくる。
けれど、手を伸ばさなかった。
今は立ち止まる時ではない。
ガレスは喉の奥で息を押し殺し、再び歩き出した。
レナトスもまた、地面に散らばる破片から目を逸らす。拾い上げれば過去が形を持ってしまう。
だが今は、過去ではなくこの先にいる合成獣を見なければならない。
二人は何も言わず、銀紫の髪が揺れる背をひたすら追いかけた。
下からまた、低い唸り声が響く。
まるで採掘場の闇が、大きく口を開けてゆっくり息をしているようだった。
長くなりそうなので一旦ここまで!




