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結局、グランヴィレア国王がヴィルナタール鉱山へ赴いたのは、騎士団長から急かされた日から一週間後のことだった。
ヴィルナタール鉱山は十年近く閉鎖されたまま。合成獣見たさに侵入しようとする命知らずを阻止するため、鉱山の入口に続く道には厳重な警備が敷かれていた。
荒れた山道の入り口には頑丈な木柵と鉄の鎖が幾重にも渡されている。かつて荷馬車が行き交っていた道は、今では人の足跡すらまばらだった。
風が吹くたび岩肌に積もった砂が薄く舞い上がる。鉱山の方角から流れてくる空気には金属と乾いた土の匂いが混じっていた。
飛竜に乗ってやってきたレナトスを前に、交代で見張りをしている兵士が限界まで背筋を伸ばし、緊張の面持ちで出迎えた。
「ブロディ団長は入口でお待ちです」
「他に通った者はいるか?」
「いえっ、おりません!」
「そうか」
レナトスが右手を振って合図すると飛竜が畳んでいた大きな翼を広げた。ばさりと音を立て、風を巻き起こしながらその巨体を宙に浮き上がらせる。
ここから先の道は細いので飛竜は通れない。しかもこの場所も決して広いとはいえないため、少し離れた場所で待機するらしい。
手綱を使うこともなくハンドサインだけで気高い飛竜に命じるレナトスに、見張りの兵士たちは羨望を通り越して、崇拝するかのような眼差しを向けていた。
「もう一人、セレンティナ・ロシュフォードという名の調律者が来る。彼女が来たら通してくれ」
「承知いたしました!」
この上なくきっちりとした敬礼に見送られ、レナトスはあちこちに鋭く尖った岩が転がる道を進んでいく。
砂利を踏むたびに乾いた音が鳴った。山肌は所々黒く変色しており、閉山前に使われていた古い杭や割れた標識が、風雨に晒されて傾いている。
人の手が離れてから長い時間が経ったことを、そこにあるすべてが物語っていた。
ここはかつて、ヴェルツァイトをはじめとした希少な鉱物の採掘場だった。グランヴィレアにとって外貨獲得の重要な手段でもあった場所だ。
それが合成獣の出現によって閉鎖を余儀なくされ、王国は経済的に大きな打撃を受けた。
あの時の王城の混乱を、少年だったレナトスはよく憶えている。
大人たちが険しい顔で廊下を行き来していた。伝令が走り、文官が青ざめ、騎士たちが装備を整えて次々と出ていった。
誰もが言葉を選び、けれど隠しきれない焦燥が城内に満ちていた。
そしてなにより、ぼろぼろと涙を零しながら王城を飛び出し、ここへ向かおうとした幼馴染の姿は今でも記憶にこびりついている。
そう、この場所ではガレスの父が――。
風で乱れた前髪を直しながら、レナトスは浮かび上がってきた昏い記憶を振り払った。
今日は感傷に浸っている場合ではない。
あの調律者は多くの者が挑み、命を散らした獣を斃せると高らかに宣言したのだ。果たしてそんなことが可能なのか。あの圧倒的な能力を見せつけられてもなお、レナトスはまだ信じきれずにいた。
「あっ、来ましたよー」
不意に前方から軽やかな声が響いてくる。
その声にはまるで、どこかへ散策に行くために待ち合わせをしていたかのような気楽さが混じっていた。
見張りの兵士はガレスしか通っていないと言っていた。それなのに、どうして道の先で純白のローブをはためかせながらセレンティナが微笑んでいるのか。
レナトスはその理由を問おうとした。だが薄く開いた唇を素早く引き結ぶ。
あの調律者に常識を当てはめても無意味。そう判断するまでにさほど時間はかからなかった。
「陛下、お待ちしておりました」
グランヴィレア王国の騎士団長、ガレス・ブロディが恭しく騎士の礼を取る。
型だけを見れば完璧だった。だがその声は妙に硬く、頭を下げる動作も必要以上に丁寧だ。慇懃無礼にもほどがあるその振る舞いは、遠回しにレナトスを責めているのだろう。
本来は一昨日の予定だったのだが、直前になって再び聖女から呼び出されてしまったのだ。
そのせいで父の仇を討てるかもしれない機会を先延ばしにされたのだから、腹を立てるのも無理はない。
何を言ったところでガレスには言い訳にしか聞こえないだろう。そう判断したレナトスは表情を動かさず、短く応じた。
「待たせてすまない。早速行こう」
「……はい」
「はーい!」
目を伏せたまま応じるガレスとは対照的に、セレンティナは右手を挙げて元気に返事をする。そしてさっさと歩き出した騎士団長を小走りで追いかけ、がっしりとした背中をぽんと叩いた。
「ねぇねぇ、いつまで拗ねてるつもり?」
「拗ねてねぇよ」
「えー? 顔に『納得してません』って書いてあるよ?」
「うるせぇな……放っとけ」
「陛下も来たんだからいいじゃない。仲良くしないと駄目だよー」
「わかってるっつーの!」
軽口を叩き合う二人を眺めながら、レナトスは無言のまま厳重に閉ざされた扉へ向かっていった。
鉱山の入口を塞ぐ鉄扉は年月を経てもなお重々しい威圧感を保っている。表面には深い傷がいくつも残っていた。
この奥に、かつて多くの騎士を呑み込んだ合成獣がいる。その事実を前に、山道の空気はさらに冷たく感じられた。
だがセレンティナだけは相変わらず軽い足取りで扉の前まで進み、錠前を興味深そうに眺めている。
レナトスはその背を見つめながら、静かに息を整えた。
これは、過去の傷を開く行為ではない。
この場所を、グランヴィレアへ取り戻すために来たのだ。
「へぇぇ! ここは魔術鍵を使っているんですねー」
「そうだ。鍵は王族の血がなければ使えないようになっている」
レナトスは上着の内ポケットに手を入れ、そこから古びた鍵を取り出した。
それは鈍い銀色をした鍵。長い年月を経ても錆びてはいないが、表面には細かな傷がいくつも残っている。鍵身にはびっしりと魔術紋が刻み込まれており、握りの部分には小さな窪みがあった。
そこへ血を落とすことで、王族の血筋を判別する仕組みだ。
セレンティナは好奇心を隠そうともせず、横から鍵を興味津々といった様子で覗き込んでくる。銀紫の瞳が魔術紋を追うように動き、まるで珍しい玩具を見つけた子供のように輝いていた。
だがレナトスの胸中は重く沈んでいく一方だ。
この扉を閉ざしたのは前王であるレナトスの父だった。父はこの場所を封じるため、自らの血を使った。そして今、その息子であるレナトスが同じ王族の血でその封印を解こうとしている。
十年近く誰も通らなかった扉は、岩肌に埋め込まれるようにしてそびえていた。厚い鉄板にはいくつもの封印紋が重なり、中央には鍵穴が黒い目のように開いている。扉の周囲には古い傷が残っていて、そこだけ鉱山の空気がさらに冷たく淀んでいるように見えた。
本当にこのまま進めていいのか、躊躇が指先の動きを鈍くする。
父が封じたものを、自分が開く。そこには王としての責務だけではなく、息子として踏み越えなければならないものがあるような気がした。
「えーっと、入ったらすぐに合成獣がいるんですか?」
「いや。開けるとしばらくは狭い坑道が続いている。その先にある採掘場に出現したと報告書には書いてあった」
「ふんふん。それならー、私が先頭を歩きますね!」
この先にある空間に何の思い入れもないセレンティナがにこりと微笑む。
提案するその声はあまりにも軽い。閉ざされた鉱山の前に立っているというのに、これから祭の露店でも覗きに行くような調子だった。
おそらく本人に気遣ったつもりはないのだろう。けれど、その軽さが妙にありがたかった。
重く張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。ガレスの肩からもわずかに力が抜け、レナトスは鍵を握り直した。
明日も更新しますよ!!




