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「おい、いつ行くんだ!?」
扉が勢いよく開き、国王の執務室に大声が飛び込んできた。
騎士団長が挨拶もなく国王の執務室に入ってくるのはいつものこと。最初の頃こそ注意していた宰相補もとうの昔に諦めている。
アンソニーは手にしていた書類から顔を上げると小さく溜息を漏らした。
「陛下は今しがたお戻りになったばかりですよ」
「おっ、それならすぐに出るか?」
ガレスは悪びれる様子もなく執務机の前まで大股で歩いてきた。先ほどまで訓練していたのか、騎士服の上着は肩に引っかけただけで前が閉まっていない。燃えるような赤髪は少し乱れ、背に負った大剣の金具が歩くたびに鈍い音を立てている。
アルシェラが調律者から公務復帰の許可をもらったことは、今しがた兄である国王に報告されたばかりだ。
これから多忙にもほどがある予定のどこに、ヴィルナタール鉱山の件を捻じ込むか。レナトスとアンソニーはまさに相談を始めようとしていた。だがそれは、ガレスの乱入によってあっさり中断されたのだ。
「早めに済ませたいのはやまやまだが、今日明日は身動きが取れそうもない」
「わかった。セレンに伝えておく」
もっと食い下がると思いきや、ガレスはあっさりと了承した。そして用件は終わったと言わんばかりにさっさと国王の執務室から出ていこうとする。
「待ちなさい、ガレス」
「ん? なんだよ」
扉の前で振り返った騎士団長は説教されると思っているのか、あからさまに嫌そうな顔をしていた。
アンソニーは眼鏡の奥で目を細める。
つまり、今の呼び名は無意識に出たものなのだろう。元々ガレスは人との距離が近い。王族に対しても幼馴染としての気安さが抜けない男だ。だがこればかりは看過できなかった。
「調律者のことを随分と親しげに呼ぶんですね」
「そうか? アルシェラだって呼んでるだろ」
「彼女は魔力制御を教わっていたのですから当然でしょう。ですが貴方は地面に沈められた相手だというのに、交流を持っているのが意外です」
「あー……まぁ、それは……なんというか……」
例の騒動は、もはや王城内で知らない者はいない。
騎士団長が無防備な調律者へ斬りかかり、返り討ちに遭い、地面へ伏せられたまま右腕を失いかけた。噂好きな者にとっては格好の話題であり、騎士団では今も半ば伝説のように語られているらしい。
あの時の屈辱を思い出したのか、ガレスは左手を後頭部に遣ると、がしがしと乱暴に掻いた。
「あいつが強いのは事実だろ。だから、騎士団の奴らに稽古をつけてもらうように頼んだんだ」
「待て。それは初耳だ」
レナトスが低い声で遮ると、ガレスは一瞬だけ「しまった」という顔をした。
だがすぐに、不貞腐れたような、どこか責めるような表情へと変わる。勢いだけで生きているように見える男だが、怒るべきところは見逃さない。そういう厄介な勘のよさがガレスにはあった。
「相談しようにもずっとアウレシェルムに行ってたじゃねぇか」
「それは……」
「大神殿の頼みは断れないのは重々承知してるぜ? だけどよ、執務が滞るほどの頻度で呼び出すなんて、聖女サマも我儘すぎだろ」
「ガレス、そこまでです」
国王と宰相補、そして騎士団長は幼馴染という間柄で、この部屋にはその三人しかいない。
だからこそ気安い口調やある程度の失言には目を瞑っている。だが、さすがに国教であるヘデル教において大神官に次ぐ立場にある聖女を侮辱するような発言は看過できなかった。
アンソニーが穏やかながら強い口調で制すると、ガレスはばつが悪そうに目を伏せた。怒りに任せて踏み込みすぎた自覚はあるのだろう。大きな肩がわずかに落ちる。
「……後で報告書を届けさせる。ちなみに安全な『契約』しかしてないからな」
それだけ言い残し、ガレスは荒々しい足音と共に去っていった。
乱暴に扉が閉められ、国王の執務室に静寂が戻る。先ほどまで響いていた大声の余韻が、重い空気の中に薄く残っている。
アンソニーは手にしたままの書類へ視線を落とした。
怪我や病の治療にあたる治癒士はすべて神殿に所属している。派遣にはお布施という形で多大なる謝礼金が必要となり、その負担の大きさにどこの国も頭を悩ませていた。
しかも慢性的に治癒士は不足している。依頼を出しても満足な人数を派遣してもらえるとは限らない。優先的に融通してもらうためにも、神殿とは友好的な関係を築いておかなければならなかった。
たとえそのために、国王が何度も大神殿へ足を運ぶことになったとしても。
国のためにしていることのはずが、国を蔑ろにしているように見えてしまう。それはなんとも皮肉だった。
レナトスはしばらく閉じられた扉を見つめていた。表情は変わらない。けれど琥珀色の瞳の奥には、拭いきれない疲労が薄く沈んでいる。
アンソニーは何も言わなかった。
幼馴染としてなら、かけるべき言葉はいくらでもある。だが宰相補としてこの場にいる以上、今すべきことは慰めではない。
「決済を優先する書類から出してくれ」
「はい、こちらです」
誰よりもその矛盾をわかっている二人は、まるで何もなかったかのように執務を再開した。
紙が擦れる音とペンが走る音だけが部屋を満たしていく。
しばらくして、窓の外からひときわ大きな剣戟の音が響いてきた。
◇◆◇
「うおおおお――――――っ!」
雄叫びと共にガレスが訓練場を駆けていく。
地面を蹴るたびに土が跳ね、巨体からは想像できない速度で間合いを詰める。手にした大剣は人の背丈ほどもあるというのに重さなど感じさせない。
振り抜かれた刃が空気を唸らせ、あちこちに出現する土人形を次々と粉砕していった。
敵に見立てたそれは鈍い音を立てて崩れ落ちる。だが次の瞬間には地面が盛り上がり、再び形を取り戻した。
それだけではない。真正面から斬り込もうとすれば突然姿を消して攻撃を避ける。背後に回り込んだと思えば、今度は足元から土の腕が伸びてくる。横合いから獣めいた形の土人形が飛び出し視界を塞ぐように崩れていくことさえあった。
ガレスはそれらを大剣一本で薙ぎ払っていく。
踏み込み。反転し。斬り上げ。振り下ろす。
剣筋は荒々しく見えるのに無駄は少ない。腕の力だけではない。腰を捻り、足運びで勢いを作り、刃の重みを殺さずに次の攻撃へ繋げている。叩き潰すような一撃の直後に身体を沈めて横薙ぎへ転じる様は、まるで巨大な獣が戦場を駆け抜けているようだった。
戦いは踏んだ場数がものを言う。
だが対人戦とは違い、魔獣を想定した訓練には限界がある。どれほど腕の立つ騎士を相手にしても、魔獣特有の動きや理不尽な攻撃までは再現できない。その解決策にガレスは常日頃から頭を悩ませていたのだ。
それがまさか、魔術の専門家である調律者との邂逅によって解決するとは夢にも思っていなかった。
「おぉー、さすがだね。それじゃあもう少し強度を上げてみようか」
「頼む」
訓練場の柵にちょこんと座ったセレンティナが新たな人形を生み出す。
土が低く唸りながら盛り上がり、先ほどまでのものよりも一回り大きな土人形が形を取った。表面は乾いた泥ではなく、岩混じりの硬い土に変わっている。腕には爪のような突起が生え、頭部には魔獣の角を模した歪な出っ張りまであった。
明らかに硬さが違う。
それでもガレスは怯まなかった。むしろ口角を吊り上げ、獰猛に笑う。
「おらぁっ!」
大剣が唸る。
真正面から叩きつけた一撃は土人形の肩口を砕くに留まった。だがガレスは止まらない。刃が弾かれた反動すら利用し、身体を半回転させて二撃目を叩き込む。硬い土の胴が割れ、破片が周囲へ飛び散った。
足元から別の土人形が這い出る。ガレスはそれを踏みつけるように跳び、空中で大剣を振り下ろした。落下の勢いを乗せた刃が土人形を頭から真っ二つに割る。
次。さらに次。
湧き出てくる魔獣もどきは数を増し、動きも速くなっていく。だがガレスはそれを真正面から迎え撃った。
避けるよりも先に斬る。受けるよりも先に潰す。
荒々しい戦い方ではあるが、グランヴィレアの騎士たちが見慣れた団長の姿でもあった。
「そこまで!」
時間を計っていた騎士の一声で、訓練場の至るところに湧いていた土人形がずしゃりと崩れた。
盛り上がっていた地面は波が引くように平らへ戻り、巻き上がった土埃だけがしばらく空中を漂う。
その中心で、騎士団長は静かに大剣を背中に収めていた。
荒い息が肩を上下させている。赤い髪は汗で額に張りつき、首筋を流れた雫が稽古着の襟へと落ちていくが、それでもガレスの立ち姿に乱れはなかった。
「やっぱり、すごいな……」
「あぁ。あの反応速度はとても真似できないよ」
騎士たちが感嘆の溜息を漏らしながら囁き合っている。
この模擬戦に挑んだ者たちの中で、ガレスは二位の倍以上のスコアを叩き出していた。普通なら胸を張って笑い飛ばすところだ。だが当の本人の表情はどこか浮かない。
タオルで汗を拭いながら、ガレスはセレンティナの隣の柵に寄り掛かった。
「随分と雑な戦い方だったね?」
「……そうかもな」
集中していたつもりだった。
けれど苛立ちは隠しきれなかったらしい。斬撃に余計な力が入っていた自覚はある。倒す必要のない土人形まで力任せに粉砕し、避ければ済む攻撃を正面から叩き潰した。
まるで胸の内に溜まったものを大剣ごとぶつけているようだった。
苦々しい顔をしているガレスの顔を、身を屈めたセレンティナがひょいと覗き込んでくる。
その目には心配や気遣いといったものは一切ない。あるのは純粋な興味だけだった。曇りのない銀紫の瞳に見つめられると逆に言い訳をする気が失せる。
「理由は教えねぇぞ」
「なるほど。言えないことってわけね」
「そうだ」
ガレスがそう言い切ると、セレンティナは「そっか」と呟いた。それ以上は追及せず、再び柵の上へぴょんと弾んでから腰を下ろす。
あまりにもあっさりとした引き際だった。
無遠慮に踏み込んでくるくせに、線を引かれると簡単に引く。調子が狂う。その軽さに、なぜか申し訳なさが胸に湧き上がってきた。
「まぁ……あれだ」
首筋を滑り落ちていく汗を拭いながら、ガレスが独り言ちる。
訓練場の向こうでは次の挑戦者が準備を始めていた。騎士たちの声が遠くに聞こえる。だがガレスの意識はもっと別の場所に向いていた。
「『聖女の伴侶』ってのは、なかなか面倒だって話だな」
ガレスが仕えている国王がアウレシェルムへ頻繁に訪れるのは、彼が聖女を支える役目を担っているからなのだ。
聖女から呼び出されたら、なにを差し置いても国を離れざるを得ない。
だが、そのたびに残された者たちが焦燥を抱えていた。
理解していないわけではない。神殿と良好な関係を保たなければ、治癒士の派遣にも支障が出る。
レナトスが断れない事情もわかっている。
だが、わかっていても腹に据えかねることはあるのだ。
「ふぅん……なるほどね」
セレンティナはさして興味を示した様子もなく、次なる挑戦者のために地面から土人形をぼこぼこと生み出していった。
その反応の薄さにガレスは拍子抜けしたように鼻を鳴らす。けれど少しだけ気が楽になっている自分にも気付いていた。
聞かれたくないことを聞かず、言える分だけを受け取る。
この調律者は奇妙なほど無遠慮で、奇妙なほどあっさりしている。
ガレスはタオルを肩に掛け、再び訓練場の中央へ視線を向けた。土人形が生まれるたびに騎士たちが歓声を上げる。
その声に紛れて、胸の奥に残っていた苛立ちが薄れていくのを感じていた。
戦闘描写かくの楽しいな!?
ということで、明日も更新します!




