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異端の調律者は天秤を持たない  作者: うつおぎ
第一章 調律者との邂逅
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1-19


 可愛らしい調律者の発言によって、訓練場には緊迫した空気が漂っていた。

 だが当の本人はその言葉がいかに衝撃的なのかを理解していないらしい。後ろ手を組んだまま、射的場の方へ弾むような足取りで歩きはじめる。白いローブの裾がふわりと揺れ、陽光を受けた銀紫の髪が淡くきらめいた。

 周囲の騎士たちは息を呑んで立ち尽くしている。木剣を握ったまま動けない者もいれば、訓練用の盾を抱えたまま目を見開いている者もいた。

 その中心で、ガレスだけが赤い髪を怒りで逆立てるようにして立っていた。


「お前……ふざけるのも大概にしろよ」

「え? ふざけてないよ」

「だったら証明してみろ!」


 それを侮辱と捉えたガレスが、顔を真っ赤に染めて追いかける。一方のセレンティナは降り注ぐ怒鳴り声を完全に無視して射的場へ向かっていった。

 その足取りは軽やかで、まるで珍しい玩具を見つけた子供のように並べられた的へきらきらした目を向けている。


「事実なんだから証明の必要はないと思うけどなぁ」

「馬鹿にされて俺が納得するわけないだろ!」

「そんなに手合わせがしたいなら、契約をお願いしまーす」


 銀紫の髪をふわりと揺らし、セレンティナが振り返る。その手にはすでに光る天秤が浮かんでいた。

 一瞬のうちに契約の準備を万端に整えたが、ガレスには逆効果だったらしい。


「はぁっ!? たかが手合わせに対価が必要とか意味わかんねーよ!!」

「じゃあこの話はおしまいだね」


 瞬く間に調律者の天秤が消えた。セレンティナはガレスにくるりと背を向け、再び弾むように歩き出す。

 その足取りは相変わらず軽やかで、提案を無下にされたことへの怒りは感じられない。あっさりと見切りをつけられたガレスは、虚を突かれたように立ち尽くした。

 だが次の瞬間――純白のローブめがけて駆け出した。


「ガレスっ! 止めなさい!!」


 アルシェラの制止は、激しい怒りに染まった騎士団長の耳には届かない。

 セレンティナを追いながら、その右手は背に負った大剣の柄を握りしめていた。太い指が革巻きの柄に食い込み、鍛え抜かれた腕の筋肉が膨れ上がる。

 異変に気付いているはずだというのに、射的場に着いたセレンティナは興味深そうに的を眺めていた。


「へぇ、ここは弓用なんだ。風向きも見やすいし、いい作りをしているね」


 暢気な声が、怒りに満ちた足音の中に混じる。

 ガレスの踏み込みで地面の土が跳ねた。周囲の騎士たちが一斉に息を詰める。大剣が背から引き抜かれ、分厚い刃が陽の光を受けてぎらりと煌めいた。

 セレンティナは振り返らない。

 純白のローブに覆われた背は無防備なままだ。細い首も、華奢な肩も、戦場に立つ者のそれには見えない。

 今にも鼻歌でも歌い出しそうな横顔と、殺気を剥き出しにした巨躯の騎士団長。そのあまりの落差に訓練場の空気が歪んだように感じられた。


「団長っ……!」

「逃げんじゃ…………ねぇぇぇ!!!」


 ガレスがセレンティナに向けて大剣を振り下ろす。

 強大な武力を誇るグランヴィレア騎士団。その団長が渾身の力を籠めて振り下ろした斬撃を受け止められる者は少ない。

 ましてや相手は屈強な武人ではない。あらゆる魔術を行使する調律者とはいえ、接近戦を不得手とする魔術師である。いくら侮辱されたとはいえ、あまりにも容赦のない攻撃だった。

 騎士たちの顔から血の気が引く。

 アルシェラが一歩踏み出すのをレオノーラが制した。


 ――間に合わない。


 誰もがそう思った。

 華奢な身体が斬り伏せられ、純白のローブが赤く染まっていく。そんな最悪の光景が脳裏をよぎり、誰もが咄嗟に目を背けた。

 だが、 肉を裂く音も、骨を砕く音も、悲鳴すらも聞こえてこない。

 その代わり――耳の奥を刺すような甲高い音が訓練場へ響き渡った。

 振り下ろされたはずの大剣が宙で止まっている。その刃の先にはセレンティナの頭があった。銀紫の髪に包まれたその少し上で、分厚い刃が不自然に静止している。

 まるでそこに、目には見えない「なにか」があるようだった。


「どう……なってるんだ?」


 呆然とした呟きが通り抜けた風に乗る。

 あまりにも奇妙な状況に、さすがのガレスも大きく目を見開いたまま動きを止めた。

 だがそれも束の間、我に返ったように剣を振り戻す。額には太い血管が浮かび、握り込んだ柄が軋みそうなほど力が籠もっていた。

 真正面から押し切れないなら角度を変えればいい。そう判断したのだろう。ガレスは足を踏み替え、次の一撃へ移ろうと体勢を整えた。


 だが次の瞬間――巨体が地面へと叩きつけられた。


 鈍い音が訓練場に響き渡る。土埃が大きく舞い上がり、周囲にいた騎士たちが一斉に息を呑んだ。

 ガレスは慌てて起き上がろうとした。だが膝を立てることすらままならない。腕に力を込め、歯を食いしばりながら身体を持ち上げようとするたびに、見えない何かが背中から押さえつけてくる。

 それどころか、もがけばもがくほど圧は強まっているようだった。

 地面に伏せたガレスの指が土を抉る。大剣はすぐ傍に落ちているのに、手を伸ばすことさえできない。グランヴィレア騎士団長の巨躯が、まるで見えない巨人に踏みつけられているかのように動かない。


「なんだよ……これは…………っ!?」

「だから言ったでしょ?」


 セレンティナが呆れたように微笑む。その声には怒りも恐れもない。まるで言うことを聞かない子供を諭すような、困ったようでいてどこか楽しげな響きだった。

 彼女は地面で藻掻くガレスの方へ軽く身を屈めた。純白のローブの裾が軽やかに揺れ、銀紫の瞳が楽しそうに細められる。


「ガレスじゃ、私には勝てないって」


しばらくは週2回の更新を目標に頑張ります!

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