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「すまないが、私はそろそろ失礼する」
レナトスは目を伏せおもむろに立ち上がった。視線は机上の書類に向けられている。先ほど指先の傷を治されたことを意識しているのか、セレンティナの方を見ようとはしなかった。
「後のことはアルシェラに任せる」
「承知いたしました」
「はーい、行ってらっしゃいませー」
レナトスから仕事を任されたアルシェラは姿勢を正して応じた。その後ろではセレンティナが手にした契約書を大事そうに仕舞いながら、朗らかな声で返事をしている。
まるで国王に向けるものとは思えない気安い挨拶だったが、レナトスは何も言わない。上着を手に取るとアンソニーを伴い、足早に執務室を出ていく。
閉じられた扉を見送ってから、アルシェラは新たな依頼を受けた調律者へと向き直った。
「セレン、最初はどうすればいいかしら?」
「効果の範囲を見ておきたいから、まずは王城の周りを確認しようかな」
「わかったわ。行きましょう」
レオノーラの先導によって一行は王城の裏口へと向かう。人気の多い廊下を抜け、使用人たちが行き交う通路を進むにつれ、王城の華やかさは少しずつ薄れていった。代わりに石壁の冷たさと遠くから聞こえる鍛錬場の掛け声が近くなる。
エントランスとは対角の位置に出ると、外気がふわりと頬を撫でた。王城の裏手には荷運び用の石畳が続き、その向こうには城壁と厩舎が見える。
表側ほど整えられてはいないが、城を支える場所らしい実直な空気がある。
セレンティナは周囲をぐるりと見回した。
大きな目をさらに見開き、興味津々といった様子で眺めている。銀紫の瞳にはただの石壁や庭木ではない何かが映っているのだろう。
アルシェラがそんなことをぼんやり考えていると、セレンティナがじっとこちらを見つめていることに気が付いた。
「一つ提案なんだけど、もっと管理が楽になるものに替えたらどうかなぁ?」
「それは構わないわ。ただ、費用が掛かるのは難しいと思う」
「カヤ姉様に訊いてみるけど、たぶん大丈夫だよ。あっ、カヤ姉様は魔道具マニアでね、二十年前のものなのに状態が良いから、喜んで買い取ってくれると思う」
姉様、と呼ぶからには彼女もまた調律者なのだろう。どうやら十二人の調律者の中でも、それぞれ得意とする分野があるらしい。
アルシェラが入れ替える魔道具がどういうものなのかを訊ねようとした瞬間、頭上に大きな影が落ちた。
反射的に見上げると飛竜が羽をめいっぱい広げて空を横切っている。強い風が一拍遅れて降りてきて一行の髪と服を揺らした。
単騎で飛行を許可されている者は少ない。まして王城の上空をこの速度で飛べる人物となれば、それが誰なのかは一目瞭然だった。
「あれは陛下だね。方角的にアウレシェルムかなぁ?」
「……そのようね」
のんびりとした口調にはそぐわない鋭い指摘に、アルシェラは一瞬だけ返答に詰まり、短く返すのが精いっぱいだった。
この大陸において神殿領アウレシェルムは聖地に等しい。スターラ大陸における創世の女神、ヘデルマトを祀るヘデル教の大神殿がある地だ。
グランヴィレアも例に漏れず、ヘデル教を国教としている。王族であるアルシェラにとっても、神殿は幼い頃から敬意を払うべき場所だった。
一方で魔塔は宗教を持たない方針を取っている。神殿とは長く対立関係にあると言われていた。だが当のセレンティナには、特に気にした様子がない。遠ざかっていく飛竜の影を見送りながら、ただ面白そうに目を細めているだけだった。
「じゃあ移動しよっか」
「えぇ。それなら訓練場の方からまわるといいかしら」
「そうですね。参りましょう」
レオノーラが「こちらです」と手で指し示してから歩き出す。その後ろをついて歩きながら、セレンティナはにこにこと微笑みつつ周囲のあちこちへ視線を向けていた。興味深げにこちらを観察してくる者にはひらひらと手を振っている。
グランヴィレアの民は魔術師と接する機会が極端に少ない。魔術師団の面々はどこか居心地が悪そうで、用事がなければ詰所に引き籠もっている。
そして神殿から遣わされる治療を専門とする通称「治癒士」は得てしてプライドが高く、とても親しみやすいとは言えなかった。
そんな中で、魔術の最高峰ともいえる魔塔からやって来た調律者が、王妹と共に王城を歩き回っている。どれほど高飛車な人物かと思いきや、輝くような笑顔を惜しみなく振りまいてくるではないか。
セレンティナに微笑まれた者は老若男女を問わず、一瞬にして目を奪われてしまう。その後は慌てて我に返ったり見惚れたままだったりと反応は様々だが、愛らしい調律者はそれすらも楽しんでいるかのようだった。
「なるほど。こういうふうに繋がってるんだね」
魔術師団の詰所へ向かう時に使った出入口を見つけ、セレンティナが頷く。そして先ほどとは逆に、訓練場と騎士団の詰所がある方向へと歩きはじめた。
「わ、さすがにこっちは広いね」
「えぇ。大所帯ですので」
グランヴィレア王国はその守りのほとんどを武力に頼っている。だからこそ王城の守りを任されている騎士団の人数も多く、それに比例して詰所の規模も大きかった。
訓練場の方からは木剣の打ち合う乾いた音が聞こえてくる。時折、騎士たちの掛け声が響き、風に乗って土と汗の匂いが微かに流れてきた。魔術師団の詰所に漂っていた静けさとはまるで違う。ここには身体を鍛え、武器を振るう者たちの熱が満ちている。
「ふぅん……こっちにもしっかり設置されてるんだね」
石壁に手を添えながらセレンティナが呟く。だがそこから一体何が読み取れているのかは、レオノーラとアルシェラにはまったくわからなかった。
銀紫の瞳が壁の奥を覗き込むように細められる。魔力の流れか、埋め込まれた魔道具の位置か。セレンティナには、おそらく二人には見えない王城の内側が見えているのだろう。
「おい、お前!!」
「えっ?」
突如として大きな声が降ってきた。
反射的に剣の柄に手を遣ったレオノーラに構わず、一人の大男がずんずんとこちらへ近付いてくる。踏みしめるたびに石畳が鳴り、周囲の騎士たちが慌てて道を開けた。
「団長……驚かさないでください」
「悪い悪い。よぉ、アルシェラ。やっと帰ってきたんだな」
「ええ。心配をかけてごめんなさい」
「気にすんな」
大柄なレナトスよりもさらに上背があり、燃えるような赤い髪をした男がにかっと笑う。その笑みは豪快で、細やかな気遣いなど最初から期待してはいけない種類のものだった。
気安い口調で王妹と言葉を交わしてから、彼はセレンティナを興味津々といった様子で見下ろしてくる。
「このお嬢さんが例の調律者か?」
「はじめまして。セレンティナ・ロシュフォードだよ。セレンって呼んで」
「俺はガレス・ブロディ。騎士団を預かってる」
筋骨隆々としたこの男こそ、グランヴィレア王国の騎士団長にして武家の名門、ブロディ伯爵家の当主でもあるガレス・ブロディ。
任務から帰ってきたばかりなのか、愛用の大剣を背に携えたままだった。厚い胸板と太い腕、そして日に焼けた肌に走るいくつもの古傷が、彼が机上ではなく戦場で地位を得た男だと物語っている。
「ねぇねぇ、訓練場に入ってもいーい?」
「ん? そりゃ構わねぇけど……」
「やったぁ!」
言うが早いか、純白のローブがふわりと揺れた。
次の瞬間には、セレンティナの姿が高い木の柵の向こう側へと移動している。そして人の姿がまばらな訓練場の中を、軽やかな足取りで歩きはじめた。
見張りに立っていた騎士が目を剥く。訓練中だった若い騎士たちも動きを止め、何が起きたのかわからないといった顔で純白のローブを目で追った。
「へぇ……面白そうな奴じゃねぇか」
ガレスが嬉しそうに呟くと、訓練場の出入口へ向かっていく。そして訓練用の木製のデコイを色々な方向から眺めているセレンティナの方へ、ずんずんと近付いていった。
「おい」
「セレンって呼んでって、さっき言わなかったっけ?」
ガレスの呼びかけに振り返ることなく、セレンティナがすかさず指摘する。だが大雑把な性格の騎士団長は反省する様子もない。構うことなく訓練場を見学している調律者の前へと回り込んだ。
「せっかくの機会だ。手合わせしようぜ」
「ちょっと……ガレス!?」
「少しくらいいいだろ? 調律者がどれほどのものか、俺が見極めてやるよ」
グランヴィレアは武力に関して、五大国の中でも突出している。その騎士団を率いるだけあってガレスの自信は揺らがない。分厚い腕を組み、いかにも面白い獲物を見つけたと言わんばかりの顔でセレンティナを見下ろしていた。
アルシェラの制止にも耳を貸さず、ガレスは堂々と手合わせを誘ってくる。
だが挑発される形となったセレンティナは不思議そうな顔でこてんと首を傾げた。
「そんな必要はないと思うよ?」
「負けを認めるってことか。まぁ、無理もないよな」
たしかにガレスに剣で勝てる者は大陸中を探してもそう多くはない。腕を組んで勝ち誇った笑みを浮かべる騎士団長を見上げながら、調律者はぷっと吹き出した。
「あはははっ! 違う違う、逆だって」
「あ? どういう意味だ」
「だからー。ガレスじゃ私には勝てないってこと!」
「…………なん、だと?」
訓練場の空気が一瞬にして凍り付いた。
木剣を構えていた騎士たちが動きを止める。誰かが息を呑む音が聞こえた。アルシェラは額に手を当て、レオノーラは今にも頭痛を堪えるような顔をしている。
その中心で、セレンティナだけが悪びれもせず無邪気な笑みを浮かべていた。
できれば週に2回は更新できるようになりたいと思う今日この頃です。




