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暑さでのびてましたごめんなさい!
「いずれにせよ、現状を把握する必要がありますね」
「……そうだな」
魔術師団の部屋から国王の執務室に戻ってきた一行には重苦しい空気が漂っていた。
廊下ですれ違った者たちは皆、何事かと訊ねたそうにしていたものの、レナトスの険しい表情に恐れをなしたのだろう。遠巻きにその様子を眺めるだけで誰ひとりとして声を掛けてはこなかった。
扉が閉められるなりアンソニーが切り出し、その提案にレナトスが頷く。
サマリンダには謹慎を言い渡してある。その間は副師長が指揮を執ることになるが、これまで師長に頼りきりだった以上、調査にまで手が回るとは思えない。
それに――正しい結果が出てくるとは限らない。
その暗黙の認識が、室内の空気をさらに重くしていた。
自国の魔術師が使えないとなると、手段は限られてしまう。その中で結果が信頼でき、かつ機密が確実に守られる相手となれば――。
皆の視線は自然と、魔術遮断装置が収められた棚を覗き込んでいる純白のローブへと注がれていた。
「調律者殿」
「はーい、なぁに?」
緩く編み込んだ銀紫の髪を揺らし、セレンティナが振り向く。皆がこちらを見ていると気付くなり目を丸くし、そしてにこりと優美に微笑んだ。
小首を傾げて笑うその姿は、まさにか弱い美少女そのものだった。彼女がグランヴィレア王城の建物から一歩外に出れば強力な魔術を操り、世界の均衡を保つとされる調律者であるとは、にわかには信じ難い。
「先ほどの件ですが、貴女に依頼をした場合、どのような対価が必要でしょうか」
「うーん……そうだねぇ」
セレンティナが思案顔で、ローブの襟元から鎖を引っ張り出す。その先に下がっている天秤を象ったチャームを、細い指がそっと握り込んだ。
「あ、これは魔術じゃないから気にしないで」
握り込まれた指の間から、淡い光が零れてくる。
そしてゆっくりと開かれた手の上には、握り込まれたチャームと同じ形をしたものが、銀紫の光を纏って浮遊していた。
「これが……天秤」
「そうだよ。綺麗でしょ?」
「えぇ。なんだか、とても不思議な力を感じるわ」
調律者が受ける依頼と得る報酬の均衡を計る際に使う魔道具だが、その仕組みの詳細は明かされていない。一説には、この皿に載せられた物事の重さは「世界」が決めていると言われている。
自慢げな笑みを浮かべたセレンティナがじっと天秤を見つめると、左側の皿の上に光る物体が載せられた。同時に、かしゃりと微かな音を立てて天秤が傾ぐ。
「うーんと、お金はやめておいた方がいいよね?」
「はい。そうしていただけると助かります」
アンソニーが苦笑いしながら答えた。
グランヴィレア王国の財政状況は、決して余裕があるとは言えない。それはアルシェラの件で依頼した際に伝えてあるため、おそらく何らかの権利を差し出すことになるだろう。
「王城に滞在するとなると十年かぁ。さすがに長すぎるし飽きそう」
「ちょっと、飽きるって失礼じゃない?」
「その他ってなると……うーん……あっ、ヴィルナタール鉱山のあれとかどうかな?」
左側に灯った光が消え、再びかしゃんと天秤が傾く。そして何度かゆらゆらと揺れてから、ようやく均衡が保たれた。
「うんうん、これがいいかも」
大きな目を輝かせて、セレンティナが満足げに微笑む。
グランヴィレアは一体どんな対価を差し出さなければならないのか。期待と不安の入り混じった空気が流れる。アルシェラは思わずレナトスを見たが、兄は表情を変えないまま宙に浮かぶ天秤を見据えていた。
「ヴィルナタール鉱山にいる合成獣をもらうっていうのはどうかな?」
「…………は?」
セレンティナは元々、ヴィルナタール鉱山への入山権を得ている。それはあくまで閉鎖中の鉱山内部を見るだけに留めるはずだった。だがまさか、その原因である合成獣の捕獲を目論むとは、正気とはとても思えない。
あまりにも突飛な要求に、ずっと沈黙を貫いていたレナトスが、はぁ、と溜息を漏らした。
「対価として釣り合うのかもしれないが、許可はできない」
「どうしてですか?」
「危険すぎるからだ」
「わぁ、心配されてるー」
ヴィルナタール鉱山に突如として現れたかの魔獣は、グランヴィレア騎士団に甚大な被害を及ぼした。犠牲者は二百を越え、当時の騎士団長を失ったことで討伐は断念。鉱山は閉山を余儀なくされたのだ。
それほどまでに凶悪な魔獣を、いくら調律者とはいえ捕獲しようなど無謀にもほどがある。そう伝えただけだというのに、セレンティナはなぜかきゃっきゃと喜んでいた。
「でも大丈夫ですよー。依頼を終えてから行くので迷惑はかけませんから」
「そういう問題ではない」
「あ、もし私が死んでも魔塔で回収しますよ?」
「だから、そういう問題ではない」
「えー、じゃあどういう問題なんですか?」
セレンティナがむぅっと頬を膨らませて不満を表明する。可愛らしく拗ねている姿には、うっかり許可してしまいそうな力がある。だがレナトスは相変わらず険しい表情を崩さなかった。
「入山するだけでも大きな危険を伴う場所だ。それ以上の無茶は許可できないと言っている」
「無茶だと決めつけるのは早計じゃないですか? ご存じないかもしれませんが、合成獣は魔術師の得意分野なんですよ」
「それは、どういう意味でしょうか?」
初めて知る情報にさすがのアンソニーの声にも動揺が滲んだ。アルシェラも思わず息を呑む。二百人以上の犠牲を出した魔獣に、得意分野という言葉が並ぶこと自体が信じられなかった。
セレンティナは両手を腰に当て、自慢げに胸を張る。
「合成獣は異なる属性を持つ魔獣を、文字通り合成して作られるでしょ? だからそれとは反対の属性の魔術をぶつけることで、仕留めやすくなるんだよ」
それは物理的な攻撃に特化したグランヴィレア軍が、最も苦手とする分野だった。
たしかに当時、魔術師団は縮小傾向にあり、討伐戦には参加していなかったはずだ。長らく閉ざされていた鉱山に、にわかに解決の可能性が見えてきた。室内の空気がわずかに変わるのをアルシェラは感じ取った。
「それなら、一つだけ条件を付けさせてもらう」
「なんでしょうか?」
「私も同行させてもらう」
「陛下、それは……!」
「勘違いするな。あくまでも同行するだけで手は出さない」
同行という名目ではあるが、実際は監視――いや、観察に近いのかもしれない。
レナトスは調律者の力を見極めようとしているのだろう。セレンティナがどこまで危険を正しく理解しているのか。そして、グランヴィレアが手も足も出なかった魔獣をどう扱うつもりなのか。
その意図を理解しているのか定かではないが、セレンティナはにっこり笑って頷いた。
「それじゃあ、契約をお願いしまーす」
陽気な声と共に天秤が宙に浮き上がり、一枚の紙へと姿を変えた。それがレナトスの執務机へと舞い降りる。
以前とまったく同じ形式で作られた契約書に目を通し、レナトスは腰に携えた剣を軽く抜いて指先に傷を入れた。赤い血が小さな玉のように滲む。そして署名の欄に指を滑らせると名が刻まれた。
「はーい、受け取りました。でも、魔力が封印されてるって面倒じゃないですか?」
セレンティナは何のためらいもなく、あまりにも繊細な部分に踏み込んでくる。だがその無邪気な様子と陽気な声のせいか、不思議と腹は立たなかった。
「これが私にとっての普通だ」
「なるほど! 慣れってやつですね」
セレンティナは差し出された契約書を受け取る。その瞬間、レナトスの指先がじわりと熱を帯びた。
さりげなく視線を落とすと、先ほど刃を入れたはずの場所から傷が跡形もなく消えている。血の朱も痛みもない。ただ柔らかな熱だけが皮膚の下に微かに残っていた。
これは水属性の魔術である治癒だろう。だが王城内で魔術は使えないことになっているので、発動した痕跡を周囲に悟らせるほどの揺らぎはなかった。
咄嗟に見上げた先では、人離れした美貌に悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
秘密を共有した子供のようなその表情にレナトスは言葉を失った。
今週またどこかで更新しまーす。




