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ごめんなさい遅刻しました!
「どうして、エントランスだけは修理したの?」
「みんなそこで試すからでしょうねー」
アルシェラの問いに、セレンティナがあっさりと答えを出した。
たしかに初めてグランヴィレア王城を訪れた者は、きっと噂の真偽を確認しようとするだろう。王城では魔術を使えない。そう聞かされればなおさらだ。そして試す場所があるとすれば、おそらく最初に通されるエントランスである可能性が高い。
「ま、他の出入り口はどうなっているかわからないし、もしかすると応接間も直されてるかも?」
サマリンダは無言かつ無表情を貫いている。だが机の上に置かれた手だけが調律者の指摘に微かに反応していた。
魔術師団長はレナトスとアルシェラの母と昔から親交が深かったと聞いている。いずれは王子と王女の魔術指南を任せるつもりだと周囲に話していたことからも、彼女への信頼の厚さが窺えた。
残念ながら「華の惨劇」によってそれは叶わなかった。けれど、サマリンダ・ファウラーは前王妃ダニエラの幼馴染であり、魔術師としてグランヴィレアを陰から支えている。それが王城の者たちの共通認識だった。
その彼女がどうして国を危険に晒すような真似をしたのか。
レナトスは一歩前に進み、執務机の正面に立った。床を踏む靴音が、静まり返った部屋の中でやけに重く響く。
「お前が真実を明かさないのであれば、調律者に調査させる。そしてどんな理由であれ、加担した者には相応の処分を下すことになるだろう」
「ご依頼はいつでもどうぞー!」
これは最終通告であり、最後の慈悲でもある。
重々しい口調で語られたのは、国益を何より重んじるレナトスが、亡母の友人にできる最後の譲歩だった。それに続くセレンティナの声の軽さがひどく奇妙に感じられる。
息をすることさえ憚られるような硬く張りつめた空気が部屋を満たしていく。誰も身じろぎしない。紙の端が微かに揺れる音さえ聞こえそうな静寂の中で、サマリンダの唇だけがかすかに動いた。
「…………か」
サマリンダが呟く。低く、まるで唸るような声だった。常に冷静で穏やかな魔術師団長の姿とは、どうしても重ならない。
軽く俯いていた顔がゆっくりと上げられる。そこに乗せられていたのは、怒りでも悲しみでもない。長い年月をかけて削ぎ落とされたような、感情の抜けた表情だった。
「いつまで、耐えねばならぬのですか…………っ!?」
次の瞬間、その顔が大きく歪んだ。
絞り出された悲痛な問いに、誰もが言葉を失う。サマリンダが何に耐えていたのかなど、想像に難くない。けれど魔術行使を禁じている事情を誰よりも理解し、納得した上でその座に収まっているのだと、皆が思っていた。
だがたった今、それが大いなる誤解だと判明したのだ。
「二十年です……もう『あの日』から二十年が経ったのですよ? いつまでこの国の魔術師は蔑まれ、息を潜めて生きていかねばならないのですか!?」
固く握られた拳が執務机を叩く。重い音が室内に響き、積まれていた書類がわずかに跳ねた。
激しい怒りに染まったサマリンダに睨みつけられてもなお、レナトスは一切の動揺を見せなかった。真正面からその感情を受け止め、静かに視線を返している。
「そのような不満を抱えているのであれば、なぜ私に上申しなかった」
「上申したら、魔術遮断装置を撤去してくださいましたか?」
「それは難しい。だが、何かしらの対応はできたかもしれない」
「だとしたら無意味ですね」
サマリンダは話にならないと言わんばかりに鼻で嗤った。
そこでようやく、レナトスは眉根を寄せて不快感を露わにする。どうしてそこまで魔術遮断装置にこだわるのか。怒りと困惑が緊迫した空気の中に混じった。
次の瞬間、ふわりと大きく魔力が揺らいだ。
「私はサマリンダの気持ち、よくわかるよー?」
セレンティナが移転によってサマリンダの隣に降り立ち、ぽんとその肩を叩いた。あまりに気安い振る舞いと思いもよらぬ発言に室内へ驚きが走る。
サマリンダ自身も目を見開いていた。まさか調律者が自分の側に立つような言葉を口にするとは思っていなかったのだろう。
「それは、どういう意味だ」
「まぁ、お強い陛下には理解できないでしょうね」
いつものように軽やかで、無邪気な口調だった。だがその中身には痛烈な皮肉が込められていることに誰もが遅れて気付く。
セレンティナは構わずローブを翻しながらくるりとその場で回った。銀紫の髪が編み目ごと優雅に揺れ、花の形に結ばれた毛先が光を受けて淡くきらめいた。
「だって魔術が使えなかったら、私なんてか弱い美少女ですよ? いつ攫われるんじゃないかって気が気じゃなかったですもん」
「王城でそんな真似ができるはずないだろう」
「この世に絶対はありませんよー」
セレンティナの言い分は極端ではあるものの、的を射ていた。
扱う属性によっては戦いの前線にも立てる魔術師。だがその発動を制限されれば、剣を持たない非力な存在になり下がってしまう。
己を守る術を奪われたまま、危険はないと信じろと言われる。それが彼らにとってどれほど屈辱的であるかを、本当の意味で知る者はこの場に二人しかいない。
「たしかに褒められたことではないけれど、魔術師団が自分の身を守るためには仕方ないと思いますけどね?」
魔術師ならではの的確な指摘に皆が黙り込む。
騎士は剣を持つ。弓兵は弓を持つ。王もまた己の武を失わない。けれど魔術師だけが王城に入った瞬間、武器を奪われる。
その歪みに誰も向き合ってこなかった。
静寂の中で、かすかな息遣いだけが聞こえた。やがてそれは小さな嗚咽に変わる。
サマリンダが俯いていた。
机に置かれた拳はまだ震えている。怒りのせいか、悔しさのせいか、それとも二十年分の諦めが崩れたせいなのかはわからない。
ただ、静かにすすり泣く声だけが部屋に響いていた。
ということで、明日も更新します!




