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異端の調律者は天秤を持たない  作者: うつおぎ
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更新頑張った(自画自賛)


 馬車の車輪が乾いた土を踏む音から、硬い石を叩く音へと変わった。ごとり、と一度大きく揺れたあと、規則正しい振動が足元から伝わってくる。

 走っている道が土から石畳に変わったことで目的地が近いことを感じ、アルシェラは馬車の中で静かに姿勢を正した。膝の上に置いた手袋越しの指先がわずかに震えている。久しぶりに戻る場所だというのに、胸に満ちているのは懐かしさよりも不安の方が大きかった。


「殿下、そろそろ到着いたします」

「ええ……」


 馬に乗って並走していたレオノーラが外から声を掛けてくる。アルシェラが緊張しているのが伝わったのか、彼女は手綱を持つ姿勢を崩さないまま、ふっと表情を和らげた。鎧の肩当てに陽光が弾け、頼もしい横顔を照らしている。


「大丈夫ですよ。皆、殿下の帰りを心待ちにしていますから」

「そうだといいけど」


 一部の城の人間は、アルシェラが魔力暴走を起こしたことを知っている。制御不能の突風を発し続けたせいで、部屋の家具だけでなく壁まで壊してしまった。それだけでなく、パニックに陥ったアルシェラを落ち着かせようと近付き、怪我をした者もいたと聞いている。

 あの時のことを思い出すだけで心臓がぎゅっと縮こまる。

 自分の手では止められない力が周囲を傷つけていく恐怖。誰かの悲鳴。割れる音。舞い上がる破片。断片的な記憶ばかりが、ふいに輪郭を持って蘇ってくる。

 そんな騒動を起こしてしまったのだから自分を恐れる者もいるだろう。それだけでなく、あらぬ噂まで立っているかもしれない。王妹は魔獣に襲われて静養していた、という表向きの説明がどれほど浸透しているかもわからない。

 アルシェラは申し訳なさと不安でいっぱいになり、膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。指輪の感触が硬く冷たく指に触れる。制御用に誂えられた魔道具だけが今の自分を繋ぎ止めてくれているような気がした。


「いざとなれば私達がお守りいたします。それに……」


 レオノーラはそこで言葉を区切り、視線をすっとずらした。つられてアルシェラも顔を向ける。

 そこには興味津々な様子で車窓にかじりついている、銀紫の後ろ姿があった。


「うわぁ……立派な城壁! さっすがグランヴィレア要塞!」

「要塞ではなく城です」


 レオノーラのツッコミは、セレンティナの耳に届いていないらしい。セレンティナは窓枠に両手を添え、移り変わっていく景色を食い入るように見つめている。長い髪は馬車の揺れに合わせてふわふわと宙を泳ぎ、時折、陽光を受けて淡く光った。

 大きな瞳を輝かせ、無邪気な子供のようにアルシェラの生まれ育った城へ向かうのを楽しみにしている。その姿を見ていると、胸の中で固まっていた緊張が少しずつほどけていった。

 セレンティナにとっては、城も、城壁も、そしてそこにいる人々も、まだ見ぬ新しいものなのだろう。恐れも遠慮もなく世界へ目を向けるその横顔は、いつだってアルシェラの心を不思議なほど軽くする。


 大丈夫、とアルシェラは自分に言い聞かせる。

 つい先日、魔力制御もセレンティナから合格をもらえた。念のために制御用の指輪も専用に誂えてもらった。以前の自分とは違う。恐怖に押し流されるだけだったあの時とは、もう違うのだ。

 そしてなにより、万が一のことがあっても、魔術のエキスパートである調律者が抑えてくれるはずだ。

 窓の外では城壁が近づき、その上で警備する兵の姿がはっきりと見えはじめている。


 固く閉ざされていた城門が開かれる重々しい音を聞きながら、アルシェラは大きく深呼吸した。石の軋む低い響きが帰還を告げる鐘のように思えてくる。

 アルシェラは背筋を伸ばし、開かれていく門の先を見据えた。


「殿下、お帰りなさいませ」


 城のエントランスに着き、アルシェラが馬車から降りるとすらりと背の高い眼鏡の男性が胸に右手を当てて一礼した。

 磨き上げられた大理石の床に、外から差し込む光が淡く反射している。見慣れたはずの玄関ホールは、久しぶりに足を踏み入れると少しだけよそよそしく感じられた。


 宰相補であるアンソニー・ディラックは、毒竜に襲われた王妹が離宮に送られる直前の酷い有様を知っている。制御不能の力に怯え、自分自身を恐れていた姿から一変し、以前と変わらぬ王妹の凛々しい姿で戻ってきた。

 その事実に彼はふっと目を細める。


「長らく留守にしました。アンソニーには苦労をかけてしまったわね」

「いいえ、殿下が無事にお戻りになっただけで十分でございます」


 返ってきた声には責める響きも必要以上に気遣う色もない。だからこそアルシェラは胸に詰まっていたものが少しだけほどけるのを感じた。

 アンソニーは柔らかな笑みを浮かべたまま、アルシェラの斜め後ろに控える親衛隊長へと視線を向けた。


「レオノーラもご苦労だったね」

「ただいま戻りました、兄上」

「あっ、やっぱり兄妹だったんだ。似てると思ったんだよね」


 久しぶりの再会に朗らかな声が割り込んだ。先ほどまで興味深そうに玄関ホールの柱や壁の装飾を眺めていたセレンティナがようやく一行のもとへ戻ってくる。


 セレンティナは後ろ手を組み、銀紫の髪をふわふわと揺らしながら小首を傾げる。城の空気とはまったく異なる軽やかさをまとっているのに、その存在感だけは圧倒的だった。

 人形のように整った目鼻立ちと、見る角度によって色を変える瞳。あまりにも人離れした美貌にさすがのアンソニーもしばし言葉を失っていた。

 だが、そこは国の政務を支える宰相補である。ほんの一拍の間を置いただけですぐに姿勢を整えた。


「調律者殿、初めてお目にかかります。わたくしはグランヴィレア王国宰相補、アンソニー・ディラックでございます」

「あぁ、依頼を送ってきてくれた人だね。初めましてー」


 セレンティナはひらりと片手を振って挨拶する。ここは王城で、それも宰相補を相手にするにはあまりにも気安い所作だった。

 だが、調律者に通常の宮廷礼儀を求めるのは間違っていると判断したのか、アンソニーはただ穏やかに微笑み返した。


「あ、ねぇねぇ。ここって魔術は使っちゃダメなんだっけ?」

「はい。城内……厳密には王城の建物内部には、魔術発動を阻害する魔道具が設置されてございます」


 アンソニーの声は丁寧だったが、わずかに硬いものが混じっていた。

 それは「華の惨劇」の後、先王が命じて設置したものだ。王城の内部で魔術が発動することを防ぎ、二度と同じような悲劇を起こさないための措置である。

 アルシェラ自身もその存在を知らないわけではなかった。だが今は、その説明が胸にちくりと痛みが走る。

 このエントランスと王城の建物外であれば制限はない、という説明を聞いたセレンティナは、玄関ホールの内部を一瞥してから「わかった」と頷いた。


「それじゃ、髪は編んでおこうかな」


 そう言うなり、ずっと宙で揺れていた髪がするすると動きはじめた。誰も触れていないというのに長い銀紫の髪は緩く束ねられ、編み込まれていく。まるで見えない手が丁寧に梳いているかのようで、その場にいた者たちが息を呑んで見守っていた。

 最後に毛先が小さな花の形に結ばれる。淡い紫の花飾りのようにまとまったそれを、セレンティナは満足げに指先で軽く弾いた。


「それじゃ、行こうか」


 まるでなんてこともない様子で、セレンティナが優美に微笑んだ。



次の更新も来週です!

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