第15話
【202X年04月03日 02時30分 高級ホテル〇〇〇併設の公園】
いくら大都会の一等地に併設された公園とはいえ、深夜のこの時間ともなれば基本人影などあるはずもなく。
あるのは等間隔に並び立っている街灯の明かりと、少し離れたところで赤い輝きを発しているテレビ塔。あとはそれらに照らされてできた、向かい合う男女の影が一つずつのみ。
「突然こめかみを押さえ始めてどうしたんだい? どこか調子でも悪いのかい?」
こめかみを押さえるだけでなく、若干のふらつきを見せた女を気遣ってか、男がそう問いかけながら、自然な動作で目の前の女へと手を伸ばす。
しかしそれを嫌ってか、女は相手に不快感を抱かせないようさり気なく半歩下がることで回避した。
「いえ、今履いているヒールのせいで少しバランスを崩してしまっただけですので…お気遣いなく」
「そうかい? それならよかった。てっきり許嫁である僕には未だに体を許してくれないというのに、今日出会ったばかりの見ず知らずの少年にその身を委ねるならまだしも…自ら求めにいった直後で少々体調が芳しくないのかと思ったよ」
この場にいる以上、お互いそれなりの地位を築いているのであろう。
女の方は少し若すぎる気もするが、男の方はその場に似合う見た目といった感じだ。
しかし年齢に反して、中身は若干の若さを感じさせるこの発言。
果たしてそれが図星だったのかどうかは不明だが、女は気にするそぶりを見せることもなければ、お互いの距離を変えることもない。
「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」
「19世紀のドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作『善悪の彼岸』に記された有名な言葉だね。意味としては、悪や狂気、危険なものを深く見つめ続けていると、自分自身もまたその影響を受け、知らず知らずのうちに変えられてしまう、という戒めに近い言葉。……なるほど? つまり今回、君があのような行為を行ったのは、僕のせい…だと?」
「………………」
男の問いかけに対し、女は何かを答えるわけでもなければ、何らかのアクションを起こすわけでもない。
とはいえ、相手にどんな反応をされようとも受け取り方は千差万別。
まるで自身の過ちに今気が付いたと言わんばかりに、両手で己の顔を覆いながらうつむいた後、ゆっくりと顔を上げた。
「まさか君に、そこまで寂しい思いをさせていたとは…悔やんでも悔やみきれない。今更謝罪したところで僕が犯した罪の事実が消えるわけではないが、幸い僕と君は許嫁同士。他の者達とは違いここから二人でやり直すことができるし、君の心に開いてしまった穴を埋めてあげることだってできる。だからどうかこれまでの過ちを許してくれないだろうか?」
ここまで一切の反応を見せなかった女だが、この言葉を聞いた瞬間、絶望にも似た諦めの表情を浮かべながら…右手に握られていた黒いビー玉のようなものを自身の口元へと運んだ。
【202X年04月03日 02時40分 高級ホテル〇〇〇併設の公園】
いくら大都会の一等地に併設された公園とはいえ、深夜のこの時間ともなれば基本人影などあるはずもなく。
あるのは等間隔に並び立っている街灯の明かりと、少し離れたところで赤い輝きを発しているテレビ塔。あとはそれらに照らされてできた、向かい合う何かと女の影が一つずつのみ。
前者は細身でありながら、二メートルを軽く超える長身。その体格に見合うように、手にしたハサミもまた馬鹿げた大きさを誇っている。だが、老爺のように深く背を丸めているせいで、その巨躯は見た目ほどの高さを感じさせない。異様な姿をした、男とも化け物ともつかぬ影。
そして後者はそんな異形をした何かが目の前にいるにもかかわらず、どこか寂しげでありながら、目を奪われるほど美しい女の影。
「私の人生で、この穴を埋めてくださる可能性がある方と出会うことは絶対にあり得ない。そう思っていましたのに…運命とは本当に非情で残酷なものですね。あなたもそうは思いませんか?」
「………………」
目の前の化け物らしき男は何か返事を返すわけでもなければ、何かしらの反応を示すわけでもない。
しかし女はそんなことは一切気にせず、まるでここにはいない誰かに思いを馳せるかのように空へと視線を向けた。
「ああ、もう少し早くあなたと出会っていれば、あなたのことをもっとよく理解していれば、私の人生も少しは変わっていたのでしょうか? 変わっていたかもしれませんね。なんせ今の私は、一度も出会ったことがないにもかかわらず、あの女のことが……羨ましくて仕方がありませんもの」




