魔王さま、村娘と滑り台に興じる
夕食の用意された部屋に入ると、中ではすでに兄上が座っていたので驚いた。
部屋の中を見渡すが、オレたちが入ってきた入り口以外に、出入りできそうな所はない。
どうやってオレたちより早くこの部屋にやってきたのかと考えていると、アマレットが兄上に尋ねた。
「ヴィリ様はどうやって私達より早くここに来たんですか? 私達の方が早く出たはずなのに、不思議です!」
兄上はその質問に満足したのか、ニコニコしながら言う。
「ふふ、そうだろう。キミ達二人を驚かせたかったのさ。これを見てくれるかな」
兄上が暖炉の端で何やら操作をした。
すると暖炉が動いて、人が入れるほどの通路があらわれた。
「隠し通路ですか! そうか、ここは砦でしたね。こういう仕掛けがあってもおかしくない……のか?」
「実用性はともかく、こういった仕掛けがミシャの街のあちこちにあるんだ。さっき私のいた執務室から、この部屋まで滑り台が続いているんだ。アトラクションみたいで面白いよ。久しぶりに童心にかえった気分だね」
上の階から滑り降りてきたのか!
ヤンチャな人だ……!
アマレットを超える逸材はここにいたのだ。
兄上をよく見れば、彼のマントはホコリで汚れているのだった。
「わあ、楽しそうですね!」
そして、やはりこういう仕掛けはアマレットの琴線に触れてしまうのか。
だが女子としてはどうなんだ、それは。
「後で滑ってみるかい?」
兄上は何でこんな危なそうなアトラクションをアマレットに勧めるのだ。
そんなことをしたら……
「いいんですか!? やってみたいです! 魔王さまも滑りましょうよ!」
ほら、オレまで巻き込まれることになる。
オレは仕掛けの構造は気にはなるが、滑り台を滑ることに興味はない。
暖炉の装置を見せてもらうだけでいい。
「いや、オレは別に……」
と言いかけたところで兄上にさえぎられた。
「彼女一人だと危ないよ。かなり急だからね」
「そんなものを気軽に勧めないでください!」
「お前が一緒に滑ってあげたらいいじゃないか。あ、もしお前が嫌だと言うなら私が一緒に滑ってあげよう」
ぐっ、アマレットと一緒に滑り台に興じる兄上の姿など、見たくはないぞ。
そんな、子供みたいな……
「兄上にそんなことをさせるわけには……アマレット、そんなに滑りたいのか?」
「はいっ、絶対たのしいですよ!」
彼女は目をキラキラさせて頷く。
くそっ、これだ!
この『キラキラ状態』にオレは振り回されている気がする。
これに打ち勝たないことには、この先も振り回されること間違いなしだ。
オレは口調を厳しくしてアマレットを諭すことにした。
「アマレットよ、日頃から村長に言われているだろう? 周りに迷惑をかけないようにと」
「私は迷惑じゃないけど」
速攻で兄上に話の腰を折られたので、オレは彼をキッと睨んだ。
「兄上は黙っていていただきたい! アマレット、ここに来る前にも村長に言われたことがあっただろう?」
オレがそう言うと、アマレットはハッとする。
「あっ、そうでした。魔王さまの言うことをよく聞いて迷惑をかけないように言われました……魔王さま、ご迷惑でしたか?」
みるみるうちに悲しそうな顔になる彼女を見て、オレは罪悪感を感じ始める。
くそっ、これは強敵だな……
「うっ、ま、まあ、どうかな?」
オレが曖昧に返事を濁すと、アマレットは頭を下げた。
「そうですよね……ごめんなさい」
「いや、分かってくれればいいんだ」
少し可哀想だが、オレは仕事をやりきったと思い、息を吐いた。
だが意外なところに伏兵がいたのだ。
「ジン様、滑り台くらい大したことはないでしょう。一緒に滑ってさしあげたらいかがですか」
アガリアだった。
いつの間にかオレの後ろに立っていた彼女は、アビスのような冷ややかな眼でオレを見る。
「アマレット様はとても楽しそうなご様子でしたが、それを奪う権利も偉大なジン様にはおありなのでしょうね」
ぐっ、なかなか辛辣だな……
もちろんそんなものはないので、オレは何も言えず黙っている。
アガリアは普段から自他に厳しいが、女性に対しては優しい。
大魔王城にいた時もそうだったので、女性人気が高かった覚えがある。
そんなアガリアだから、アマレットが悲しそうにしているのを放っておけなかったのだろう。
アガリアはアマレットの肩に優しく手を置いた。
「アマレット様、ジン様は滑り台が苦手でいらっしゃるようです。ヴィリ様と一緒にお滑りください」
アガリアはオレの方をジロリと見て言った。
だがアマレットは首を横に振って言う。
「いえ、いいんです。私がワガママだったんです。よく考えたら、私、魔王さまにお会いした時から迷惑をおかけし続けているんです。私がお手紙を出したときからお願いしてばかりで……」
アマレットがそんなことを言い出して、オレはどうにも黙っていられなくなった。
「待て待て! それはお前の勘違いだぞ。手紙を受け取ったことだって迷惑だなんて思ったことはない。だいたいオレが村を良くしようとしているのも、魔王の仕事とかいう以前に自分の好きでやっていることなんだ。迷惑だなんて思っていないし、頼ってくれて嬉しいくらいだ。だからお前も変に遠慮したりするなよ。今まで通りでいい」
アマレットは目をパチパチさせながら聞いてるのだが、それ以外に反応が返ってこないので更に続けて言った。
「イシロ村の連中は、ほら、ちょっと奥ゆかしいだろう? コミュニケーションがとりづらいと、オレも何をすれば村のためになるのか分からないんだ。だから、お前みたいに気軽に話せるヤツがいてくれると助かるんだよ」
そこまで言ってようやく彼女に笑顔が戻る。
「私なんかでもお役に立てるなら嬉しいです。エヘヘ、でもホントに今まで通りでいいんですか?」
「いいよ」
「分かりました!」
ふう、結局今まで通り、ね。
まあ、彼女に対しての罪悪感もあったのでこれで良しとしておこう。
滑り台もウヤムヤになったことだしな。
「二人が元通りになったところでメシにしよう。さあ、テーブルについてくれ」
兄上に促されオレたちがテーブルにつくと、すぐに侍女が料理を運んでくる。美味しそうな匂いが部屋の中に充満した。
「ではいただこうか」
兄上はそういって料理に手を付けた。オレたちもそれにならって食事を始める。オレはミシャの料理に舌鼓を打ちながら、兄上たちと楽しいひとときを過ごした。
食後のお茶を飲みながらマッタリしていると、アマレットが思い出したように言った。
「そういえばどうしてアガリアさんは、ここに来るのに滑り台を使わなかったんですか?」
なかなかツッコミ甲斐のある質問だった。
まずその通路は緊急時のもので、平時より使うものではない。
それから兄上のマントを見れば分かるように、そこを通ればホコリがつく。
更にアガリアは妙齢の女性だぞ。
滑り台で移動なんて恥ずかしいだろうが。
「私にも勧めてくれたし、アガリアさんも滑りたいんですよね!」
「あ、いえ、私は……」
予想外の質問にアガリアはうろたえている。
こんな彼女は珍しい。
兄上はアガリアを見て面白そうに言った。
「彼女は滑り台を滑ってくれないんだ。緊急時の予行として一回くらいは滑って欲しいんだけどね」
「どのような構造なのかも、どこにつながっているのかも頭に入っていますので不要です」
「でもきっと楽しいですよ!」
アガリアは兄上に対してはキリッと返したが、アマレットに言われると困ったような顔になる。
よし、もっと困らせてやろう。
といってもオレが困らせるわけではない。
アマレットが困らせる。オレはそのキッカケをつくってやるだけだ。
「アマレット、オレも滑ってみたくなった。一緒に滑ろうか」
オレがそう言うと、アマレットのキラキラが復活する。
期待を込めた眼差しでオレを見た。
「いいんですか!?」
「 ああ、最初は構造を知るだけでいいと思っていたが、実際に滑って体験してみたい。知識と経験は別物だからな。確かに知識は偉大だが、いざという時役に立つのは経験だと、兄上も仰っていた 」
「やあ、よく覚えていたね。その通り、何事も経験だよ」
兄上は嬉しそうに言ったあと、アガリアの方をちらりと見る。
すると彼女は気まずそうに顔を逸らした。
だが間髪入れず、そこへアマレットが突撃する。
「アガリアさんもこの機会に滑ってみましょうよ!」
「い、いえ、私にはその通路を使用する機会はこないかと……」
アガリアがゴニョゴニョと濁すので、オレは(偽りの)助け舟を出す。
「アマレット、無理強いは良くない。お前が親切のつもりで言ったことも相手にとっては違うかもしれないと、聞かなかったか?」
「そうでした。おじいちゃんに言われたばかりなのに私ったら……アガリアさん、ご迷惑でしたよね? ごめんなさい、私、魔王さまに誘ってもらえたのが嬉しくて浮かれてました」
「あ、いえ! 決して迷惑などではありません。アマレット様にお誘いいただき、とても嬉しく思います。ぜひ体験したいとは思うのですが、個人的な事情により難しいのです」
「そうなんですか?」
「アマレット、よく考えろ。アガリアは女性だぞ」
オレがそう言ってやると明らかにホッとするアガリアだった。
『大人の女性だから滑り台を滑るのは恥ずかしいだろう』という意味でオレがアマレットを諭したとでも思ったのだろう。
フフ、だが安心するのはまだ早いぞ。
「なるほど、分かりました! この滑り台は危険なのでした。女性ですから誰かと一緒に滑らないといけないですよね」
もちろんそんなことはない。
女性とはいえ、アガリアの強さも相当なものだ。滑り台くらい大したことはない。
アガリアがアマレットに何か言おうとする前に兄上が言った。
「なら、私が一緒に滑ればいいな」
「わあ、良かったです! ヴィリ様が一緒なら、アガリアさんも安心して体験できますね!」
アマレットは笑いながらアガリアの手を握ってブンブン振っている。
いつの間にか兄上と一緒に滑ることになってしまったアガリアは、口をポカンと開けたままアマレットを見ている。
ハハハ、見たか! アガリアよ。
これがイシロ村の最終兵器、アマレットだ。
流石のお前もコイツには勝てなかったようだな。
おとなしくコウベを垂れるがいい!
その後オレたちは兄上の執務室に戻り、隠し通路を滑り降りた。
アマレットは終始はしゃいでいたが、それが平常運転なので問題ない。
兄上とアガリアが一緒に滑り降りてくるさまは、果てしなくシュールだった。
ミシャの街ができて以来、一番滑稽な瞬間だったんじゃないだろうか?
滑り降りて来たアガリアは、自分が何故こんなことをしているのか分からない、といった表情でフラフラと立ち上がると、オレたちに一礼をし、おぼつかない足取りで部屋を出ていった。
「大丈夫かな……」
オレが呟いたのを聞いて兄上は笑った。
「はは、大丈夫。明日には元通りさ。さ、今日はもう休みなさい。お前はともかく彼女は疲れているんじゃないか? 私は明日の朝から、急ぎの仕事があるから会うことはできないが、お前たちのことはアガリアに任せてある」
「そうですか、ではまたしばらくお会いできませんね」
「なに、飛竜を使えばすぐだよ。帝国対策会議には私も出席しているから、お前が欠かさず通うなら毎週顔は見れるさ。私もあと数ヶ月はミシャに留まるつもりだ。村のことで何か助けが必要なときはここに来い」
「ありがとうございます。ですが、次回お会いする時までには良い報告をさせていただきます」
「ああ、期待している」
オレとアマレットは兄上に挨拶をして食堂を後にしたのだった。




