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第三十五話 タイムリミット

 廊下の冷たい石床を叩く警備員たちの重く規則的な足音は、心臓が喉まで競り上がってくるような、不吉なリズムを刻む。


 一刻一秒ごとに破滅の瞬間が近づいていることを、葵と楓の耳底に容赦なく突きつけていた。


 もはや通常の手段を用いた物理的な破壊工作や、精緻な術式を一つずつ紐解いていくような悠長なハッキングでは、この絶体絶命の包囲網を突破し、闇に埋もれた真実を掴み取るには到底間に合わない。


 残された唯一の、そして極めて細い生存への糸口。


 それは金庫という堅牢なシステムの外側から鍵を抉じ開けるのではなく、その生命線である魔力供給システムそのものを欺き、内側から強制的に自壊させることにある――葵は直感的にそう見抜いた。


「ピピさん、金庫の封印を維持している魔力供給経路の波長、コンマ数秒単位の誤差も許さぬ精度で分析できますか? 逆位相データの生成と、供給源となる魔導炉の特定を急いでください!」


 葵の声は、死の気配が周囲を包囲する極限状態の中にあって、氷のように冷たく澄み渡っていた。


 その揺るぎない冷静さが通信機越しのピピに伝わり、不可能を現実に書き換えるという葵の確固たる意志を鮮烈に刻み込む。


「ええ、アオイ。すぐにやるわ!……捉えた。屋敷の地下深く、隠された大規模な魔導炉から、専用のバイパス回路を通って直接膨大なエネルギーが流し込まれている!」


 葵はシエルから託された銀縁の眼鏡、魔導通信機と多次元解析モニターを兼ね備えた相棒のブリッジを、指先で押さえる。


 駐車場で待機するピピへ、視界に映る魔導回路の情報をリアルタイムで転送する。


 葵の眼鏡のレンズが淡い青色に明滅し、ピピの演算データが網膜に直接、鮮明な解析図としてオーバーレイ表示されていった。


「ガオさん、ピピさんの送り出す逆位相の同期データに従い、外の輸送車両の魔導炉出力を極限まで高めてください。屋敷の波長と共振させるんです! 一瞬の同期ズレも許されない、針の穴を通すような綱渡りになります」


「おうよ、任せておきな! ピピ、すぐにエルシェラへ魔導無線を繋げ! アオイの状況を伝え、エネルギーの中継を頼むんだ!」


 ガオの頼もしい怒鳴り声と共に、ピピは迅速に魔力中継の要所となるエルシェラへ通信を飛ばした。


 遠く離れた後方支援拠点でその声を受け取ったエルシェラは、冷や汗を流しながらもリングに深く念を込める。


 葵たちの命運は、自分という中継地点の安定に懸かっている。


 彼女は慈愛に満ちた平穏をその身に宿し、葵へとエネルギーを送り出した。


 ガオの輸送車両から吐き出された魔導炉の奔流は、空間を越えてエルシェラのリングを中継点とし、葵の指に輝くリングへ一点に集約される。


 それは一歩間違えれば、蓄積された魔力が臨界点を超え、周囲ごとまばゆい光の中に消し去ってしまうほどの、自らの命をチップとして積み上げた無謀な大博打だった。


「葵、本当に……本当に大丈夫なのよね!? あんたを信じてはいるけれど、流石に心臓が止まりそうだよ」


「大丈夫です、姉さん。僕を、そしてどんな時も共に死地を越えてきたチームのみんなを信じてください」


 葵はリングに指を添え、エルシェラから送られてくるピピの逆位相データを調整し、ガオの荒々しい出力を自らの集中力で一つに束ねる。


 金庫の魔導回路へ向けて、逆位相の衝撃を直接注ぎ込んだ。


 一本の細い光の糸を通すような繊細な作業が、危ういエネルギーの均衡を金庫の深部に流し込んでいく。


 背後の廊下では、死神の歩みのように不吉な足音が扉のすぐ前で止まり、鍵を差し込む金属音が葵と楓の耳に届く。


「アオイ、供給経路に負荷が集中してる! あとコンマ五秒、その波長を維持して!」


 ピピの切迫した声が葵の頭に響く。


 彼女は解析端末から指を離さず、葵が制御する魔力の揺らぎを瞬時に修正し、ギリギリの均衡を保ち続けた。


 ドアノブが回されると同時に、葵が睨み続けていたタイムリミットが完全にゼロへと到達する。


「今だ! 魔力供給を遮断すると同時に、エルシェラ様、ピピさんの解析した逆位相データを全力で流し込んでください!」


 葵の鋭い指示に合わせて、ガオが回路を焼き切るほどの負荷を掛けた。


 金庫を満たしていた膨大な魔力が、激しい衝撃と共に逆流を開始する。


 術式が自らの重圧に耐えかねて内部から崩壊すると、重厚な金属音が室内に響き渡り、鉄壁の扉がゆっくりとその口を開けた。


「やった……やったわ、葵! 本当に開いちゃった!」


 楓が歓喜の声を上げるのを制しながら、双子は即座に金庫の中へ手を伸ばす。


 そこにあったデータディスクと、古びた一枚の紙を手に取った。


 同時に、オフィスの扉が警備員たちによって荒々しく蹴破られる。


 双子は迷わず、開け放たれた窓枠へ身を躍らせた。


 夜の冷気が頬を打つ。


 二人はパーティー会場の喧騒を遠くに聞きながら、二階のテラスに舞い上がる。


 そこには、貴族の義務を完遂したシエルが、何食わぬ顔で双子を待っていた。


「お見事だ、桜庭ツインズ。さあ行くぞ。外にはガオさんとピピが待機している」


 シエルに導かれ、三人は衣装を脱ぎ捨ててガオ特製の黒曜石の隠密スーツを身に纏う。


 屋敷の警備網が完全に閉鎖される間際、一行は輸送車両へと飛び乗った。


 五人は親指を立てて合図を交わし、魔導エンジンを唸らせて社交街を爆走。


 あっという間にその姿を闇へと消した。


◆ ◆ ◆


 帰還の途中、リングを通じた通信回路から、誰よりも心を砕いていたエルシェラの安堵の声が響き渡った。


「皆さん、ご無事なようで何よりでした。本当によかったです」


◆ ◆ ◆


 数時間後、ガレージに戻った一行は、作戦成功の余韻に浸る間もなく、回収したデータディスクの解析に没入する。


 モニターに浮かび上がるのは、グラハム伯爵の醜い裏切りの足跡。


 帝国との血塗られた密約、同胞の命を安売りする裏取引の生々しい通信記録の数々。


 そして、古びた紙に記されていたのは、まだ誰も足を踏み入れていない禁忌の聖域の座標――それは、動かぬ証拠として克明に刻まれていた。


 シエルは、震える手で葵の肩を強く掴み、その瞳に静かな涙を湛えながら、魂を込めて感謝を述べる。


「……これで、ついにあの男を断罪し、エルフ国の長老会から永久に追放して裁きの場へ引きずり出すことができる。君たちのおかげで、我が国は滅びの淵から一歩だけ遠ざかり、未来を取り戻せた。本当に……本当にありがとう」


双子はその瞳に、自分たちの戦いがもはやバトルアリーナという限定された場所を越え、アストラル・クロノスという世界の運命そのものを動かし始めているという、重くも誇らしい確かな実感を宿していた。





最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


警備兵が迫る中、葵とチームの絆が生んだ逆転の一手。

見事に金庫をこじ開け、ついにグラハム伯爵の裏切りの証拠を手に入れました。

果たして、この証拠によってエルフ国の腐敗は一掃されるのでしょうか。


続きが気になる方は、ぜひ「ブックマーク」や「評価」での応援をお願いします。

皆さんの応援が何よりの励みです!

次回もお楽しみに!


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