第3話「太陽の匂いと不器用な指先」
傷の治りは、人間離れしていると言っていいほど早かった。
深い裂傷だったはずの腹部の傷口は、わずか数日でふさがり、新しい皮膚が形成され始めていた。
アレクが身に宿す強いαとしての生命力が、目覚ましい回復をもたらしているのだとレオは推測した。
彼が着ている衣服はひどく破れて血に染まっていたため、レオは自分の予備の服を貸し与えていた。
小柄なレオの服は、骨格がしっかりとした長身のアレクには明らかに窮屈そうだった。
肩の縫い目が張り詰め、少し動くたびに薄い布地の下でしなやかな筋肉の動きが浮き彫りになる。
アレクはベッドで安静にしていることを良しとせず、三日目の朝にはレオの農作業を手伝うと言って聞かなかった。
「恩ばかり着せられるのは、俺の性に合わない」
そう言って、彼は裏口の壁に立てかけられていたクワを手に取った。
レオは止めるのを諦め、カマを手にして畑へと向かった。
家の周囲に広がる畑は、それほど大きなものではない。
自給自足と、たまに訪れる村人に野菜を分ける程度のささやかな広さだ。
朝露が引いたばかりの土は黒々と湿り気を帯び、踏みしめるたびに柔らかく沈み込む。
澄み切った青空から降り注ぐ陽光が、むき出しの土をじりじりと温め始めていた。
アレクはクワの柄を両手で握り、見よう見まねで土に刃を振り下ろした。
空気を裂く鋭い音の後、金属の刃が深く土に突き刺さる。
腕の力だけで強引に引き起こそうとしたため、土の塊が大きく跳ね上がり、彼の足元に散らばった。
その不器用な動作に、レオは思わず小さく吹き出した。
「力任せに引くんじゃないよ。刃の重さを利用して、腰を入れて手前に引くんだ」
レオは自分のカマを地面に置き、アレクのそばに歩み寄った。
彼の隣に立ち、手を伸ばしてクワの柄の少し下の方を握る。
「もう少し、手を開いて」
アレクの大きな手が、レオの指示に従って少しだけ位置をずらす。
ほんの一瞬、指先同士が触れ合った。
アレクの皮膚から伝わる熱が、レオの指先をひやりと火傷させるように刺激する。
同時に、彼の体から立ち上る微かな香りがレオの鼻腔をくすぐった。
雨上がりの深い森の土と、若葉の青さを煮詰めたような、強くも静かな香り。
それは間違いなく、優れたαだけが持つ特有の気配だった。
レオの心臓が不規則に跳ね、喉の奥がカラリと渇く。
長年薬や独自の療法で抑え込んできたΩとしての体質が、その香りに反応して微かな熱を生み出そうとしていた。
レオは小さく息を吸い込み、動揺を顔に出さないように視線を土へと落とした。
「こう、刃の角度を寝かせて……」
言葉を紡ぎながら、一緒に柄を引き寄せる。
今度は土が滑らかに反転し、柔らかい層が表面に現れた。
アレクは真剣な眼差しでその様子を見つめ、小さくうなずく。
「なるほど。剣を振るうのとは勝手が違うな」
「剣なんて物騒なものと一緒にしないでほしいな」
レオが手を離して一歩下がると、アレクは教えられた通りの姿勢で再びクワを振り下ろした。
今度は無駄な力が抜け、リズミカルに土が耕されていく。
額ににじんだ汗が、太陽の光を反射して光っていた。
長いまつ毛が日差しを遮り、端正な横顔に薄い影を落としている。
黙々と作業を続けるその姿は、皇帝という身分を忘れさせるほど風景に馴染んでいた。
昼前には、予定していた区画の土起こしがすべて終わってしまった。
一人でやるよりもはるかに早い。
レオは木陰に置いてあった水筒を手に取り、布巾と一緒にアレクへ差し出した。
「お疲れ様。少し休もう」
アレクはクワを置き、差し出された布巾で顔の汗を拭った。
水筒を受け取り、喉を大きく鳴らして水を飲み干す。
水滴が顎を伝い、日焼けした首筋へと滑り落ちていくのを、レオは目で追ってしまった。
アレクがふと視線を向けたため、レオは慌てて目をそらす。
「俺は、農作業に向いているだろうか」
唐突な問いかけに、レオは目を瞬かせた。
「筋はいいと思うよ。力もあるし、なにより真面目だ」
「そうか。なら、ここでの居場所は確保できそうだな」
アレクの口元が、わずかに緩んだ。
それは初めて見る、年相応の柔らかな表情だった。
胸の奥で小さな炎が灯るような感覚を覚え、レオは自分の鼓動が少しだけ早くなるのを感じた。
二人を包む夏の気配の中で、αの香りと土の匂いが静かに混ざり合っていた。
レオはこの熱を冷ますために、今日の昼食は少し手間の掛かるものを作ろうと密かに決意した。




