第13話「暗闇を裂く閃光と二つの熱」
深い闇の底へ沈んでいく意識の中で、冷たい土の感触だけが妙に生々しく肌にまとわりついていた。
荒い呼吸を繰り返すたび、喉の奥がひび割れたように痛み、甘く重いフェロモンが自らの体からとめどなくあふれ出していくのを感じる。
赤い双眸を光らせた異形の獣たちが、よだれを垂らしながらじりじりと距離を詰めてくる気配がすぐそばにあった。
硬い甲羅が岩肌を擦る音と、獲物を狙う低い唸り声が耳元に迫る。
もう逃げられないと悟り、レオはゆっくりとまぶたを閉じた。
鋭い牙が体に突き立てられる痛みを覚悟した、まさにその瞬間だった。
閉ざされた視界の裏側を、激しい風の塊が通り抜けていく感覚があった。
鼓膜を揺らすような低い破裂音とともに、冷たい洞窟の空気が一気に弾け飛ぶ。
レオの顔に、見えない衝撃波が土埃とともに吹き付けた。
恐る恐るまぶたを開けると、歪んだ視界の先に、信じられない光景が広がっていた。
つい先ほどまでレオを取り囲んでいた獣たちの巨体が、何かに弾き飛ばされたかのように岩壁へと叩きつけられている。
その中心に、見慣れた広い背中が立っていた。
銀色の甲冑を脱ぎ捨て、薄い麻のシャツ姿になったアレクが、両手に太い鍾乳石の欠片を握りしめて荒い息を吐いている。
彼の金糸の髪が、発光キノコの青い光を受けて鋭く輝いていた。
岩壁に叩きつけられた獣たちが再び立ち上がろうとするより早く、アレクは地を蹴った。
重さを微塵も感じさせない速度で踏み込み、構えた鍾乳石を獣の急所に向かって正確に振り下ろす。
空気を裂く鋭い音に続き、鈍い衝撃が洞窟全体に響き渡った。
獣たちは悲鳴を上げる間もなく、次々と淡い光の粒となって空中に霧散していく。
後には、美しい霜降りの肉の塊だけが無数に転がっていた。
最後の獣が光の粒となって消え去ると、アレクは手にしていた鍾乳石を乱暴に床へ投げ捨てた。
彼は血走った瞳で周囲を見渡し、冷たい土の上に倒れ伏すレオの姿を認める。
その瞬間、彼から立ち上っていた火打石のような鋭い殺気が、潮が引くように消え去った。
代わりに、雨上がりの深い森の香りが、堰を切ったように洞窟の中を満たしていく。
アレクは弾かれたようにレオの元へ駆け寄り、冷たい土の上からその体を抱き起こした。
彼の大きな手が、熱に浮かされたレオの背中と頭をしっかりと包み込む。
硬い胸板から伝わってくる早鐘のような鼓動が、レオの耳の奥に直接響いた。
「レオ。しっかりしろ、レオ」
耳元で響く彼の声は、ひどくかすれて震えていた。
額に触れる彼の手のひらは氷のように冷たく、その冷気がレオの火照った肌に心地よく染み込んでいく。
レオは重い目を開け、焦点の合わない視線で目の前の顔を見つめた。
端正な顔立ちは青ざめ、琥珀色の瞳には痛切な恐怖と焦燥が浮かんでいる。
幻ではないかと疑い、レオは震える指先を伸ばして彼の頬に触れた。
指先に伝わる柔らかな肌の感触と、確かな体温。
帝都へ帰ったはずの彼が、どうしてこんな暗がりの底にいるのか、熱に浮かされた頭ではまったく理解できなかった。
「どうして……、戻って、きたの」
ひゅーひゅーと鳴る喉から、ようやくその言葉だけを絞り出す。
アレクはレオの頬に触れた手を自分の手で包み込み、強く握りしめた。
「馬車の中で、お前の匂いが途切れるのを感じた。あのまま帝都へ向かおうとしたが、心臓を素手で掴み出されるような感覚がして、どうしても前へ進めなかったんだ」
彼の言葉に、レオの胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
レオが放つΩのフェロモンを、彼ははるか遠く離れた場所からでも感じ取っていたのだ。
「馬鹿だね。皇帝が、そんなことで引き返しちゃ、だめじゃないか」
レオは強がりを言って、彼を突き放そうと胸板を押した。
自分のせいで、彼にこれ以上の弱みを作らせるわけにはいかない。
だが、指先に力は入らず、アレクの体はびくともしなかった。
彼はレオの手首を優しく掴み、そのまま自分の胸へと押し当てる。
「俺は、玉座に座る冷たい人形になりたくて生きているわけじゃない。お前がいない世界で皇帝として君臨するくらいなら、俺はすべてを捨ててここにとどまる」
その言葉は、暗い洞窟の空気を震わせ、レオの耳の奥深くまで響き渡った。
嘘偽りのない、彼の魂からの叫びだった。
アレクの香りが、さらに濃く、そして優しく変化していくのを感じる。
それは、レオの体からあふれ出す甘く熟した果実の香りを包み込み、暴走する熱を静かになだめるような香りだった。
相反するはずの二つの熱が、空中で絡み合い、溶け合い、美しい調和へと向かっていく。
レオの体の中で荒れ狂っていたΩとしての本能が、彼の気配に満たされることでゆっくりと静まり返っていった。
張り詰めていた感情の糸が、音を立てて切れる。
レオの瞳から、大粒の涙があふれ出し、アレクの服の胸元を濡らした。
「ずるいよ。そんなことを言われたら、もう、突き放せないじゃないか」
嗚咽混じりの声でつぶやき、レオは彼の上着の背中に腕を回した。
その広い背中にしがみつき、子供のように声を上げて泣きじゃくる。
宮廷から逃げ出して以来、誰にも見せることのなかった本当の自分の弱さが、とめどなくあふれ出していた。
アレクは何も言わず、ただ力強くレオの体を抱きしめ返した。
彼の手が、レオの震える背中を何度も何度も優しく撫でる。
冷たい岩肌に囲まれた地底の暗がりの中で、二人だけの空間には柔らかな光が差し込んだような温もりが満ちていた。
互いの匂いが完全に混ざり合い、一つの新しい香りとなって洞窟の空気を満たしていく。
それは、厳しい冬を越えて芽吹いた若葉と、豊かな土壌が育んだ果実の甘さが同居する、希望に満ちた香りだった。
レオは彼の胸に顔を埋め、その力強い鼓動を子守唄のように聞きながら、ようやく静かな眠りへと落ちていった。
もう、二度と彼の手を離すことはないと、胸の奥で深く誓いながら。




