88 旅立ちの決意
ゾディアスの名が俺の口から飛び出した瞬間、それまで静かに話を聞いていたテリオットさんの表情が劇的に強張った。
「――ゾディアス、だと!?」
ドォン!とテリオットさんが勢いよく机を叩き、身を乗り出す。
その拍子に机の上の羊皮紙が数枚宙に舞い、ペンが床に転げ落ちたが、彼はそれを気にする余裕すらないようだった
「テリオットさん……?その男を知っているんですか?」
俺の問いかけに、テリオットさんは荒い呼吸のまま、ギリ…と奥歯を噛み締めた。
その視線は俺を通り越し、過去の凄惨な記憶を追っているかのようだった。
「知っているどころじゃない……!忘れるはずがないだろう。あの男こそが……クロニカの兄を魔導院の非公式の実験に引きずり込み、その命を奪った張本人だ!そしてその後、奴は実験データを持ち逃げして帝国側に寝返りやがったんだ!」
「っ……!?」
テリオットさんの告白に、クロニカの表情が、微かに、だが確かに凍りついたのが分かった。
「あの男、元々は王国側の人間だったのか……?」
「それはわからないな……。元から帝国側の人間で、スパイとして魔導院に入り込んでいただけかもしれない」
テリオットさんは深く息を吐きだし、は荒い呼吸を整えながら、ぽつりぽつりと過去を語り始めた。
「勇者だけが強いのはおかしい。そこで、誰もが使える、秘めたる力を覚醒させる道具を作る。それが、ヤツが提示した実験内容だった。危険すぎる、魂をすり潰す禁忌だと俺は止めたんだが、探求心の強いあいつは、聞き入れてくれなかった。そうして、あいつは使い潰され……ゾディアスは、完成した研究データだけを持って行方をくらました。今、王国魔導院がやっている非道な実験も、すべてあの男が撒いた最悪の種が始まりなんだよ……!」
テリオットは拳を血が滲むほど固く握りしめ、憎悪を噛み殺すように低く唸った。
繋がった。
魔導院の勇者制度という王国の闇も、帝国が放つ『深銀の呪い』という脅威も。
その中心には常にあの不気味な仮面の男――ゾディアスがいたのだ。
――いや、待てよ?
ゾディアスが持ち去ったデータが王国の隷属の腕輪のベースになり、それをさらに発展させたのが帝国の深銀の呪いなのだとしたら。
(……もし、そうなら、勝機はあるかもしれない)
俺の脳内で、これまでの鑑定結果とテリオットさんの言葉が急速に組み上がっていく。
奴隷の腕輪は、無理に壊せば深く結びついた魂ごと壊れてしまう。
ハルクの時がそうだった。
だが、もし――。
彼らにその"深銀の呪い"を上書きすることが出来るとしたら?
もし深銀の呪いが、隷属の腕輪の上位存在だとしたら、それが出来る可能性は十分にあり得る。
(いけるかもしれない……深銀の能力を使って、腕輪の機能を完全に凍結させることが出来るなら、腕輪の繋がりだけを綺麗に切り離せるはずだ!)
ハルクを救えなかったあの絶望的なデッドロックを破る鍵。
それこそが、帝国が前線に投入してきた深銀の呪いそのものだったのだ。
思考から帰還した俺は、ゆっくりと立ち上がり、皆を見渡した。
「決まりだな」
「依人……?まさか、行く気?」
エリナが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「ああ。帝国が得体の知れないモノを持っているというのなら、俺はその技術をこの目で"鑑定"し、解析しなきゃならない。それに――」
俺は、静かに怒りを燃やすクロニカの前へと歩み寄り、その肩にそっと手を置いた。
「仲間の兄の仇がそこにいるんだ。見過ごせるわけがないだろ」
「依人さん……」
クロニカの漆黒の瞳に、揺るぎない決意の光が灯る。
「へっ、全くだ。国同士の争いなんざ、俺は興味はねぇが、依人が苦戦した相手ってのは興味があるな。俺とそいつ、どっちが強いか、拝みに行ってやろうじゃねぇか」
ベネディクトが不敵な笑みを浮かべる。
「私も行くわ、依人。私はあなたの隣に立つって決めたんだから」
エリナも力強く頷き、杖をぎゅっと握りしめる。
テリオットさんはそんな俺たちの姿を見て、ふっと諦めたように、けれどどこか頼もしそうに微笑んだ。
「気をつけて行くといい。国境付近の紛争地帯は、今や王国と帝国の思惑が渦巻く地獄だ」
「ええ、ありがとうございます。――みんな、準備はいいか?」
俺の問いかけに、クロニカがいつも以上に鋭く研ぎ澄まされた目をし、短く答えた。
「……ええ。いつでもいけますわ」
「よし。――行くしかないだろ、俺たちの未来を掴むために!」
こうして俺たちは、激動の嵐が吹き荒れる王国と帝国の国境――最前線の紛争地帯へと向けて、スラムの拠点を後にするのだった。




