89 宿場町ザルツ
スラム街の拠点を発ってから数日。
俺たちは王国領の最南に位置する、宿場町ザルツへと到着していた。
これといったトラブルもなく、案外すんなりここまで来ることができたのは幸運だったというべきか。
普段なら交易商人や冒険者で賑わうはずの街だ。
だが、行き交う人々の表情は一様に暗く、薄氷を踏むかのように張り詰めている。
先日の勇者パーティ【スターライト】が壊滅したという大ニュースは、すでに尾ひれがついてここまで流れてきているようだった。
「……随分と物騒な気配ですわね。王国の正規兵の姿はまばらですが、代わりに妙な連中が紛れ込んでおりますわ」
フードを深く被ったクロニカが、周囲を警戒しながら低く呟く。
「妙な連中?」
「ええ。身分を隠した裏稼業の類です。両国が次の出方を窺って、この街に手の者を放っているのでしょう」
流石はプロの隠密だ。
俺にはただの旅人にしか見えない者の正体を、一瞬で見抜いている。
俺も負けじと、右目に意識を集中させ、すれ違う者たちをさりげなく『鑑定』していく。
(……確かに。ステータスの敏捷値が異常に高くて、隠蔽系のスキル持ちが多い。クロニカの見立て通り、ここはもう戦場の一歩手前だな)
「へっ、上等じゃねぇか。連中がいくらコソコソ動こうが、正面から叩き潰せば関係ねぇよ」
ベネディクトが退屈そうに首の骨を鳴らす。
相変わらず豪快な男だ。
「もう、ベネディクトはすぐそうやって拳を振るおうとするんだから。……依人、まずは情報収集のための拠点を確保しましょう?ちょうど良さそうな宿があるわ」
エリナが、俺の袖をくいっと引き、通り沿いにある古びた宿を指差した。
「そうだな。まずは身の振りを決めよう」
────
宿の薄暗い部屋を複数借りた俺たちは、まずは旅の疲れを癒やすためにひと眠りした。
そして翌日、情報収集をするためにそれぞれ散らばる。
俺とエリナが向かったのは、明るいうちから賑わいを見せている酒場だった。
そこで仕入れた情報によると、【スターライト】が壊滅した戦場――国境である灰白の谷は、現在帝国軍によって一時的に封鎖されているらしい。
だが、不可解なことに、帝国側はそれ以上王国内部へ進軍してくる気配がないという。
「なんで攻め込んでこないんだ?勇者を無力化できるなら、そのまま王都まで進撃すりゃいいだろうに」
俺は、一杯おごると言って話を聞きだした若い男性に問う。
「そこよ!次の標的は間違いなくこの街ザルツだ。灰白の谷とは隣接してるからな。だが、一向に攻めてこないところを見ると、帝国に侵略の意思はないと俺は見るね」
「侵略の意思がない?」
「ああ!帝国はきっと、力を誇示して、王国側と交渉しようとしてるんだよ。そうに違いないさ」
男性は、まるで自分に言い聞かせるように強い口調でそう語ると、酒を一気に飲み干す。
(これ以上は情報を引き出せそうにないな……)
「わかった、ありがとう」
最後にもう一杯ビールをおごってやり、俺たちは席を立った。
────
それぞれが得た情報を持ち寄り、俺たちは宿の一室に集まって情報交換を始めた。
「恐らく……深銀の呪いとやらも、万能ではないんだろうな」
俺が、これまでの情報から得た実感を口にする。
「あるいは、一度発動すると再使用に時間がかかるか、そもそも貴重な代物でほいほいと使うわけにはいかないのか……理由はいろいろ考えられるわな」
ベネディクトが腕を組み、そう付け足す。
「ええ。何か、そう簡単に連発できない理由があるのかもしれないわね」
エリナが真剣な表情で頷いた。
帝国側が灰白の谷に留まっているのは、次の深銀の呪いを発動するための充填、あるいは何かしらの準備をしているから。
そう考えておくのが、良いだろう。
「何にせよ、不気味ですわね。私たちにとって都合の良い方向へ転がるとは思えませんわ」
クロニカが言う。
「だな。そのゾディアスらしき男を見た、なんていう情報も全然なかったしなあ」
「よし、今夜一晩休んだら、明日の早朝に灰白の谷へ向かう。戦場跡地に何か手がかりがあるかもしれないからな。奴らの技術かあるいは、ゾディアスに近づくヒントが得られるはずだ」
俺が方針を告げると、全員の目が引き締まった。
「そう言うと思いましたわ……ですが、灰白の谷はもはや帝国領。見つかったら戦闘は避けられませんわよ」
「任せとけって。隠密行動はクロニカの専門だが、いざって時は俺の拳で道を切り開いてやるよ」
ベネディクトが不敵に笑い、大きな拳をバンと叩き合わせる。
「私も、全力を尽くすわ!」
エリナも、凛とした声をあげる。
俺たちは、静かに手を重ね合わせた。
勇者制度の闇を暴いた俺たちが、今度は深銀の呪いの秘密を暴こうとしている。
その第一歩となる国境の夜は、嵐の前触れのように、静かに更けていった。




