85 不穏なる前兆
「それで、何か手がかりは掴めそうかい?」
「いいえ。いろいろ試しては見たんですけど、因果──まあ、魔力の効果みたいなものですけど、それが完全に消失していて、これじゃただの鉄クズです」
「不思議なものだよね。僕も魔導具を作ったりするけれど、中には効果を失うと、完全にただの物質になってしまうものがある。そう、まるで魔力と共に術式そのものが解けて消えてしまうような、ね。普通は魔力を供給することで効果を発動するものを作るから、術式が解けて消えるなんてことはないんだけれど」
「術式が解ける、ですか。この腕輪もその類なんでしょうか?」
普通の魔導具は、使えなくなったとしても電池切れになるだけだ。
しかしこの腕輪は、壊れた瞬間にプログラムのコードそのものが消滅したかのような挙動を見せている。
「魔力を供給したら、その腕輪が再起動するように思えるかい?」
「いえ、まったく」
「なら、答えは自明だ。それがただの魔導具ではなく、もっと根深い世界の理に触れている証拠さ。――おっと、夜風は冷えるね。僕はそろそろお暇するよ」
そう言ってテリオットさんは、コップの中身をぐいと飲み干し、意味深な笑みを残して席を立った。
(魔力による駆動じゃない……。システムそのものを書き換えているってことか……?)
残された黒い破片を見つめながら、俺は新たな謎の深淵を覗き込んだ気がした。
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「……『ハイヒール』……よし、これで大丈夫なはずだ」
俺は額の汗を拭い、寝台に横たわるベネディクトの胸からそっと手を離した。
緑色の柔らかな回復魔法の残光が、彼の身体にじわりと吸い込まれて消えていく。
これまでに何度も回復魔法を使ってきたおかげで、俺の回復スキルのレベルも着実に上がっていた。
「……悪いな、依人。ちと、はしゃぎすぎちまった」
ベネディクトが弱々しく、だが皮肉っぽく笑いながら声をかけてくる。
「気にするな。あのハルクって男、お前の知り合いだったんだろ?やけ酒したくなる気持ちもわかるさ」
昨日の宴で、一番無茶な飲み方をしていたのがベネディクトだ。
今朝、ガッシャーン!という大きな物音がして飛び起きると、盛大に棚を倒し、その下敷きになっているベネディクトの姿があった。
そのせいで、せっかく塞がりかけていた肩の傷口がまた開いてしまい、現在に至るというわけだ。
その時、部屋の空気が微かに揺れた。
「――戻りましたわ」
気配もなく扉が開き、クロニカが滑り込んできた。
いつもの冷静な表情。
しかし、その漆黒の瞳の奥には、明らかな警戒の色が滲んでいた。
「クロニカ。街の様子はどうだった?」
俺の問いかけに、彼女はため息をついて答えた。
「面倒な事になってしまいましたわね。魔導院の潜入騒ぎのせいかと思いましたけれど、どうやらそれどころではない大事件が起きたみたい――王国と帝国の国境付近で、ついに大規模な軍事衝突が始まりましたわ」
その言葉に、部屋の中の空気が一気に張り詰める。
王国と帝国の対立。
いつか本格的な戦争が始まるとは噂されていたが、ついに火蓋が切って落とされたというのか。




