78 限界突破の代償
俺は火花の雨を突っ切り、ハルクの懐へと完全に潜り込んだ。
視界の隅で明滅していた300秒のカウントダウンは、すでに残り20秒を切っている。
(時間が、ない──!)
ハルクは空いた左手で俺の首を掴もうと、金属の爪を突き出してくる。
その爪が、俺の脇腹を深く抉った。
肉が裂け、血が噴き出す。
だが、痛覚遮断効果により、俺の身体は一歩も揺るがない。
(相打ち上等……!これで、終わりだッ!!)
俺の右目――『観測者』の視界が、白黒の世界の中で、ハルクの首に嵌められた『奴隷の腕輪』を捉えた。
弱点は、間違いなくここだ。
すべての指令はそこから発せられ、血管をめぐる青い魔力はここに集結している。
「ハルク……魔導院の奴隷として踊らされるのは、もう終わりだ。お前の誇りを、俺がここで絶ってやる」
俺は魔剣を両手で持ち直し、全身の筋力をその一撃に全て注ぎ込んだ。
────
煌めく黄金の因果の糸に沿って、魔剣の刃がハルクの首元へと奔る。
パキィィィィィンッ!!!
結晶の割れるような、極めて高い音が部屋中に響き渡った。
俺が斬り裂いたのは、男の首ではない。『奴隷の腕輪』そのものだった。
だが、今の奴にとっては心臓そのもの。
それが壊されたらどうなるか──結果はみえていた。
「ガ、あ……っ?」
ハルクの動きが、完全に停止した。
真っ二つに割れた首輪が、パキンと虚しい音を立てて床へと転がり落ちる。
同時に、彼の肉体を蝕んでいたドス黒い魔力の血管が、静かに、そして急速に霧散していった。
ハルクの濁りきっていた瞳に、ほんの一瞬だけ、かつてコロシアムの覇者として誇り高く戦っていた頃の、確かな人間の光が戻る。
「……あ、が……と……な……」
かすかに動いた男の唇が、確かにそう紡いだ。
そのしゃがれた声は、とても優しく、どこか穏やかだった。
束縛から解放されたハルクの巨大な肉体は、痛みも苦しみもない安らかな表情のまま、光の粒子となってサラサラと空気中に溶け、消えていく。
「……あぁ。あばよ、ハルク」
床に倒れていたベネディクトが、かすかに目を開け、相棒の魂の旅立ちを見送るようにその光の残滓をじっと見つめていた。
凄惨なバトルの後に残ったのは、バチバチバチッ!という、断線されたケーブルの音と、メラメラと静かに燃え広がる炎の音だった。
────
「こうしちゃいられない!俺は傷の手当をする。エリナとフェイは捕まってる人たちを救い出してやってくれ」
勝利の喜びを感じる間もなく、俺は慌ただしく指示を出した。
一刻も早く、ここを出なければならない。
「わかったわ!」
だが、エリナの力強い返事を聞くと同時に、視界の隅のタイマーが無情にもゼロを告げた。
【スキル『蛮力の咆哮』の効果時間が終了しました。】
【警告:副作用が発生します。24時間の極度疲労状態に移行。全ステータスが90%減少します】
「――うっ……!?」
急激なステータスの超低下に、世界がぐにゃりと歪む。
俺はあまりの虚脱感に、思わず膝をついてしまった。
力が入らない。
そして、これまで遮断されていた凄まじい激痛と、肉体の限界を超えて動き回ったツケが一気に押し寄せてくる。
叫びたい。
痛い痛い痛い痛い──。
しかし、ここで叫んではみんなに心配をかけてしまう。
救助が遅れ、脱出が遅れる。
それだけは絶対にダメだ。
俺は必死に声を押し殺し、静かに苦痛に耐えてゆっくりと立ち上がる。
(MP値は……だいぶ減ってるな。俺は俺に出来ることをしっかりやるんだ)
魔法鞄から取り出した回復薬をグイッと煽り、よろよろとベネディクトの元へ駆け寄る。
「……ヒール」
あばらが折れ、口からは吐血し、肩口も抉られている。
俺は、何度も何度も回復魔法をかけてやった。
「出血は止まったが、俺の回復魔法じゃこれが限界だな」
「俺はもう、大丈夫だ。ありがと……な」
ベネディクトが弱々しく、だが確実に、生気の戻った目で微笑む。
その顔を見て、俺の肩からようやく少しだけ力が抜けた。




