63 極限の危機
「な、なにこれ!?私たち、閉じ込められたの!?」
エリナが素早く杖を構え、警戒を露わにしながら周囲の壁を見回す。
俺もまた、この予想外の事態にひどく困惑していた。
「チッ、こんな壁、俺が叩き割ってやるよ」
そう言い放ち、ベネディクトは正拳突きの構えから闘気を込めた最大出力の打撃を叩き込んだ。
──カキイィィィィィン。
だが、不快な金属音が響き渡るだけだった。
壁には指一本分の傷すらついていない。
見た目は石壁だが、金属製に似た何か特別な素材で出来ているようだった。
「……よろしくありませんわね。閉じ込めて終わり、というほど、向こうも甘くはないでしょうし」
クロニカは冷静に壁の表面をなぞりながら、隠しレバーなどの脱出口がないか探っている。
俺は一縷の望みをかけて、壁に対して右目の『観測者』を発動させた。
だが、特に何も表示されない。因果の糸も見えない。
どうやら術式が組み込まれているわけではなく、ただの恐ろしく頑丈な壁にすぎないようだった。
(クソッ、もどかしい。ここに来て俺の弱点を的確に突かれている気がするな。ガーディアンはレベルもステータスもわからないし、今回だって"ただの物"に対しては俺の能力じゃ干渉できない。せめて、トラップが発動する前に、壁の術式に気づいていれば対処もできたんだが……!)
「……嘘、でしょ……?」
二進も三進もいかない状況の中、真っ先に異変に気づいたのは、誰よりも風の流れに敏感なフェイだった。
見れば、彼女の綺麗な髪が、どこか一方向へと不自然に引っ張られている。
天井に設置されたいくつもの細いスリットが、すさまじい勢いでフロア内の空気を吸い込み始めていたのだ。
――キュィィィィン、と耳を刺すような高音が室内に鳴り響く。
「空気が、吸い込まれていくようだわ!」
「魔導院の連中、本当にろくでもないことを考えますのね」
クロニカが不快な風切り音から鼓膜を守るように耳を塞ぎ、顔を歪める。
「……この空間を完全密閉して、内部の空気をすべて排出するつもりですわ」
「えっ、それじゃあ狙いは私たちの窒息死ってこと!?」
エリナが顔を青くする。
目に見えて勢いよく吸い込まれる大気に、部屋の空気があっという間に薄くなっていくのを感じる。
「させないっ……!風よ、盾となりて拒め――ウィンドウォール!」
エリナが杖を掲げて魔法を展開する。
それは強固な風の幕を形成する防御魔法だったが、形成した壁の周りから問答無用に空気を引きはがしていく。
一番背の高いベネディクトが、慌てて酸素を取り込もうと大きく息を吸い込んだ。
だが、次の瞬間、彼の表情が恐怖で凍りついた。
吸おうとしても、肺にまったく空気が入ってこないのだ。
それどころか、体内の空気が口から無理やり引っ張り出されるような、おぞましい感覚が襲う。
「が、はっ……くそ、息が……っ」
床にガクリと片膝をついたベネディクトが、激しくあえいだ。
俺もまた、まともに立っていられなかった。
剣を杖代わりにどうにか身体を支えているが、酸素の欠乏によって視界が激しく明滅し、頭の芯が割れるように痛む。
ゴボッ、と胸の奥が焼けるように熱くなる。
空間から酸素が消えていく。
呼吸ができなければどんなに強い人間でもただの肉塊だ。
どれほど強い肉体やスキルを持っていようと、ここでは等しく弱者だ。
今までの順調な進撃が嘘のようにひっくり返り、たちまちピンチになってしまった。
魔導院が仕掛けたもっとも冷酷な罠へと完全にハメられてしまった。
「すぅーー……」
俺は、少しでも多くの酸素を肺に溜め込もうと、必死に深く呼吸をする。
周りのみんなも無意識にそうしているようだが、誰もが窒息の苦しみに顔を歪めている。
(何とか打開しないと……)
激しい頭痛が思考を邪魔する。
(そうだ……空気の流れに干渉して……いや、ダメだ。これは魔法や術式じゃなくて、自然に起こっている現象だ。俺の『観測者』では関与できない……)
意識が朦朧とする。
「フェイ……」
さっきまで肩にいたが、膝をついた俺を見て飛び立ったフェイに向かって、弱々しく手を伸ばした。
「依人?大丈夫?」
フェイは俺の顔の前をブンブンと飛び回り、心配そうに小首をかしげる。
(フェイはまだ小柄だからか、それとも妖精族だからか、元気そうだな。そうだ、彼女の風魔法なら……)
頭がうまく働かない。
(いや、何とかできるなら彼女自身、とっくにやっているか……)
『――ガガ、グ……侵入者、衰弱を確認。真空吸引、中断――』
不快な機械音が響き渡る。
同時に、頭上の通気口からの吸引音がピタリと止まる。
だが、ホッとしたのも束の間、それは救いなどではなく、より確実な処刑の始まりを告げる合図だった。




