60 異界の迷宮
強烈な目眩と共に、俺たちの身体は硬い石の床へと叩きつけられた。
「……っつ、痛たた……」
俺もすぐに起き上がり、剣を構え直しながら周囲の状況を確認した。
隣では、エリナが床に手をついて激しく咳き込んでいる。
少し離れたところで、ベネディクトが巨体を起こし、派手に頭を振りながら悪態をついていた。
そんな中、クロニカだけはまるで最初からそこに立っていたかのように、優雅に衣服の埃を払っている。
「……依人、後ろを見てちょうだい」
クロニカの冷ややかな声に促され、俺は振り返った。
そこにあったはずの、どろどろとした紫色の光を放つ異空間ゲートは、いまや髪の毛一本ほどの細い線へと縮んでいた。
そして、次の瞬間――。
パチン、と。
水泡が弾けるような虚しい音を立てて、光の線は完全に消失した。
右目の『観測者』でゲートがあった空間を見てみるが、何も表示されない。
そこにあったはずの因果の糸は完全にぷつりと途切れてしまったようだ。
「消えちゃった……。もう戻れないのね……」
エリナが愕然とした声を漏らす。
「慌てるな。最初から片道切符のつもりだろ」
俺は辺りを見回しながら彼女を宥めた。
そこは、どこまでも無機質な、灰色の石ブロックで構築された巨大な通路だった。
天井は恐ろしく高く、等間隔に配置された魔導灯が、青白い光で空間を照らし出している。
「これが……魔導院の隔離結界の内部。まるで、精巧に作られた地下迷宮ね」
クロニカが、周囲の壁を指先でなぞる。
「壁の表面に、幾重もの魔力遮断術式が刻まれているわ。外部からの干渉を受け付けず、内部の情報を一切漏らさないための檻といったところかしら。魔導院の連中、本格的に独自の異空間を作り上げていたようね」
なるほど。
これだけ徹底的に魔力を遮断しているからこそ、ピクシーの魔力が一切漏れず、フェイが持つ記憶の欠片は光を失っていたわけだ。
ゲートが開くまでは。
「あ、あたしの結晶、まだ光ってるわ……!」
俺の襟元にしがみついていたフェイが、顔を上げて胸元の虹色の石を示した。
「みんな、この奥にいるのね!?早く行きましょう!」
「……ああ」
俺は静かに答え、通路の先へ視線を向けた。
『観測者』の目を持つ俺には、通路の奥に何かがあることを感じ取っていた。
それは冒険者としてレベルの高いベネディクトも同じだったらしい。
遠くから微かに聞こえる振動音をいち早く感じ取り、警戒を強めていた。
「歓迎の準備は出来ているようだな。侵入者を排除するための仕組みが、しっかり用意されてる」
「エリナ、体調は大丈夫か?」
今しがたまでせき込んでいたエリナを見やる。
俺の問いかけに、彼女はまだ少し顔をこわばらせながらも、杖を強く握りしめて立ち上がった。
「ええ、大丈夫よ、ちょっと、転移の際に肺が圧迫されちゃったみたいで」
異空間転移は、一瞬だけ周囲の気圧が急激に変化する。
肺の中の空気が膨張したり収縮したりするから、慣れていないと呼吸器にかなりの負担がかかるのだ。
「頼もしいな」
俺は正面の暗闇を見据え、一歩を踏み出した。
「行くぞ。この迷宮をぶち抜いて、魔導院の奴らに裏口から挨拶してやる」
俺たちの歩調が揃う。
閉ざされた異界の迷宮で、ついに魔導院潜入編の幕が上がった。




