第41話 忘れられた祠
翌朝、目が覚めても朝の実感は乏しかった。
というのも、頭上を覆う厚い樹冠が陽光を遮っていて、薄暗いからだ。
「……ところで依人、お前魔法薬かなんか持ってねーか?」
魔法薬とは、MP回復薬の俗称だ。
俺は魔法鞄から数本取り出し、彼に手渡した。
「俺の力をタダで使わせてもらってんだ、これくらい安いもんだろ?」
「ああ、そうだな。今日も頼むよ」
ベネディクトはそれを、礼も言わずに受け取る。
そう、これは貸し借りのない契約。
持ちつ持たれつ、それ以上でも以下でもない。
「……ぐっすり、とまでは参りませんでしたけれど。結界のおかげで、どうにか休むことはできましたわね」
クロニカは、エリナの髪を結ってあげているようだ。
いつの間にそんなに仲良くなったのか。
女性の距離感の縮まり方というものは、わからない。
「……で、あれはどうするんだ?」
俺が指差した先には、結界の外側を埋め尽くすスケルトンやゴーストたちの群れ。
ご馳走の匂いに集まってきたものの、結界に阻まれて身悶えしている。
「やれやれ、朝からご機嫌なこった」
ベネディクトは、首から下げた瓶を一口飲む。さっき渡した魔法薬ではなく、出会った時から本人が持ち歩いているものだ。
そして、短い詠唱とともにホーリーグレアを放った。
「さ、道はできたぞ」
────
出発して数時間。
俺たちは左手にそびえる崖を目印に進んでいた。
たまに逸れることはあっても、視界のどこかでその白い崖を認識出来ていた。
それが、ここ三十分ほど見えていないのだ。
「なあ、道はあってるのか?」
「ああ、いや。ちょっと寄り道だ。喉乾いただろ?」
不安を口にした俺に、ベネディクトは平然と答えた。
どうやら、王都へのルートを外れているらしい。
「え、噓でしょ?さっさとこんな森抜けたいのに……」
彼は、そんなエリナのぼやきを遮るように、不敵に笑う。
「まあまあ。唯一のオアシスみたいなところさ。ここを通るならマストで寄るべき、観光スポットってやつよ」
「観光スポット、ねぇ……」
話を聞いていたクロニカは、そんな場所あったかしらといった様子で呆れている。
だが、案内人が彼である以上、従うほかなかった。
「見えたぞ、あそこだ」
腐った倒木と骨の山が、唐突に途切れ、開けた場所に出た。
そこには、崩れかけた石造りの小さな祠と、岩の間から細く湧き出す水場があった。
「……神社?嘘だろ、こんな森のど真ん中に」
鳥居こそないが、佇まいは紛れもなくそれだった。
「ここは昔、巡礼者が通った古い聖域だ。不思議なことに、その加護は今もまだ継続中らしい」
ベネディクトは祠の前に立ち、感慨深げにあたりを見回す。
そして俺が渡した魔法薬を一本、供物として供えて静かに祈りを捧げた。
「ベネディクトさんって意外と信仰心が篤いのね」
それを見ていたエリナが感想を口にする。
「けっ、まさか。……まあただ、ここは俺にとって大切な場所だからなぁ」
「大切な場所?」
「昔な、まだ自分が特別な何かだと勘違いしていた、青臭い頃さ。力を過信してこの森に突っ込み、アンデッドに囲まれて無様に逃げ回った。……その果てに辿り着き、九死に一生を得たのがここさ。皮肉だろ?神を信じてなかった俺が、神の遺物に命を救われたわけだ」
彼は話しながら、祠の横にある石造りの水瓶に『ホーリーウォッシュ』を施している。
どうやらその水瓶には、絶え間なく湧き水が流れ込んでいるようだった。
「……よし、これで飲める。今のうちに必要な分を汲んでおけ。ここで、少し休憩しよう」
各々水筒を取り出し、冷たい水を汲み上げた。
「……おいしい。生き返るわ」
女性陣が濡らしたタオルで顔を拭い、息を吹き返す。
「確かに、うまいな……」
俺も一口含んだ瞬間、心に溜まったモヤや、体の芯に残る疲労が霧散していくのを感じた。
(……普通の水じゃない。なんだこれは?……『鑑定』)
【霊水】
【詳細:地下鉱脈より湧き出る水。精神疲労を和らげ、MP回復速度を一時的に上昇させる。また、服用後は約1時間、精神干渉を無効化する。】
「なあ、やっぱりこれ、ただの水じゃないだろ。『霊水』って出たぞ」
石灯籠に寄りかかっていたベネディクトが、微妙な表情で自分の水筒を見つめる。
「ああ、だろうな。しかし、そうか。霊水だったか……」
「なんだ、何かまずいことでもあるのか?」
「いや……。ただ、俺は『霊水』が出る場所を他に一つしか知らないもんでな」
彼は迷うように視線を泳がせ、静かに言葉を紡ぐ。
「この森の中心地、レテ・クレイドル──竜の住処だ」
「私も耳にしたことはありますわ。もっとも、噂の域を出ませんけれど……。ここ数十年、あそこに近づいた者は、ほとんどいないのではなくて?」
離れたところで話を聞いていたクロニカが険しい顔で反応する。
「……さて。しばしの休憩だ。ここを発ったら、また暗くなるまでノンストップで歩くぞ」
束の間の休息。
石の隙間から流れる水の音だけが、ここが安全地帯であることを告げていた。




