第35話 聖女の審判
「――あら、ヒナタ。またこんなところで油を売っているの?」
冷ややかな、鈴の音のような声。
声の主は、ヘヴンウィングス四人目、天音未来だ。
聖女と呼ぶにふさわしいその佇まいとは裏腹に、瞳は濁り、唇の両端を吊り上げた冷笑を浮かべている。
見た目は聖女、中身は悪女――そんな言葉がこれほど似合う女もいないだろう。
(──なるほど、こいつがシャッテンの言っていたヘヴンウィングスの一員、天音未来か)
「汚らわしい。こんな下等な冒険者と酒を酌み交わすなんて、一体どういう了見かしら?」
天音未来は、法衣の袖で鼻を覆いながら露骨に眉をひそめた。
まるで、足元の生ゴミを避けるような仕草だ。
「まあいいわ。招集の時刻はとっくに過ぎているわよ、早く迷宮に来なさい。深層攻略には、盾役のあなたが肝なんですから。それから……」
未来の視線が、値踏みするように俺に向けられた。
「いつまで私に魅入っているのかしら?とても不愉快だわ」
瞬間、彼女の手が優雅に空を舞った。
すると、彼女が放った不可視の圧が、酒場中の空気を凍てつかせた。
(……!?何をされた??)
頭に耳鳴りが響く。威圧の一種だろうか。
固有スキル──『福音の静寂』。
それは周囲の「生存する権利」を、聖女の傲慢さで上書きするような、絶対的な支配の波動だった。
「おい未来、やめろ!無暗に力を行使するな!」
陽向が椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、俺と未来の間に割って入った。
その怒声で、ようやく酒場の空気が正常な温度を取り戻す。
「このゴミを排除しようと思っただけよ。私に指図するつもり?さっさと行くわよ」
未来は一瞥もくれず踵を返した。
陽向は俺を一瞬だけ見て、自嘲気味に笑いながら肩をすくめる。
「……悪いな、依人。お迎えみてえだ。地獄の続きをやってくるよ」
陽向は大斧を担ぎ直し、未来に追い立てられるように店を出ていく。
未来は最後に思い出したように、背中越しにセリフを吐いて行った。
「……二度と、私たちの前に現れないことね。次があれば、その穢れた魂ごと浄化してあげるわ」
耳障りの良い鈴の音のような声が遠ざかり、酒場の空気がようやく緩む。
店員や他の客たちが一斉に安堵の溜息を漏らす中、俺だけが重い足取りで外へ出た。
「……依人、大丈夫だった?」
店先で待っていたエリナが、心配そうに駆け寄ってくる。
「ああ。……いや、なんだかすごく疲れた」
精神的疲労だ。
目まぐるしく変化する陽向の感情に振り回され、さらに重い呪いを強奪しようとした。
そして、厄介そうな聖女の登場だ。無理もない。
「……エリナ。悪いが、ギルドに行くのは少し後にさせてくれ。今は、少し休みたい」
右目の熱は、まだ引いていない。
あの狂戦士も、恐らくはあの聖女も。
その心の奥底で、本当は"救い"を求めているというのなら。
俺がこの世界に召喚された意味も、少しは見出せる気がする。
彼らから呪いを奪い去ったとき、一体どんな顔をするのだろうか。
噴水広場にあるベンチに座り、俺は遠くに見える迷宮の塔を、ただじっと見つめていた。




