105 仕組まれた陥穽
「……ふぅ。ひとまず、静かに片付いたな」
俺が胸を撫で下ろすと、濡れた短剣を拭きながらクロニカが怪訝そうに尋ねる。
「……しかし依人さん。なんだか不気味だと思いません?ここはいくら裏道とはいえ、要塞の心臓部に直結する要所であるはずですわ……」
「ああ、俺も同じことを考えていた。野良の魔物が根付いて増殖するほど、放置されているなんておかしい」
周囲の壁を用心深く眺めながら、俺は顎に手を当てた。
「ゾディアスほどの男なら、この排水路が侵入経路になり得ることくらい百も承知のはずだ。なのに……あえて警備すら配置せず、警報の結界すら張っていない」
「……ってことは、何かい?」
ベネディクトが腕を組み、苦々しい顔で鼻を鳴らす。
「ゾディアスは俺たちがここから侵入してくるのを分かった上で、あえて警備を増やさなかったってのか? まるで……無事に中まで入ってきてくれと言わんばかりじゃねぇか」
「ええ……。まるで、私たちを誘い込んでいるみたいで、気持ちが悪い……」
エリナも不安そうな顔をしている。
「……罠、だろうな。だが、ここで引き返す選択肢はない。敵の思惑がどうあれ、俺たちのやることは変わらない。行くぞ」
「だな。ここまで汚れたんだ、もう引き返せねぇよ」
ベネディクトが、濡れた法衣をつまんで渋い顔をした。
◇
俺たちは魔物の残骸を飛び越え、さらに奥へと走り抜ける。
やがて、排水路の突き当たりに、要塞地下監獄へと繋がる重厚な扉が現れた。
さすがに、ここはセキュリティが厳重らしく、それ自体の重さもさることながら、幾重にも結界魔法が張られている。
「ここを突破すれば地下監獄に直結しているというわけですね。私が見てみましょうか?」
クロニカが依人の所持する地図水晶を見る。
「いや、俺にやらせてくれ」
俺は右眼の『観測者』を全開にし、扉にまとわりつく結界の網を見据えた。
白黒の世界の中、扉の表面には「接触=異常感知」という判定を結びつける、無数の細い黄金の糸が伸びている。
どうやら警報を鳴らす術式らしい。
(見えた……これならいける!)
俺は右手をかざし、新スキルを解放した。
「――『因果の解縫』」
パチンッ、と脳内で透明なハサミが鳴る音が響いた。
俺の右眼から放たれた不可視の光刃が、セキュリティ結界の「接触判定の因果」だけを――チョキンと音を立てるかのように綺麗に切り離した。
見た目には何も変わっていない。しかし、鑑定結果のテキストは【防衛結界(機能停止)】へと書き換わっていた。
「よし、解除した!押すぞ!」
俺が扉に手をかけると、警報一つ鳴ることなく、地鳴りのような音を立てて重厚な鉄扉がゆっくりと左右へ開いていった。
「さすが依人!やるわね!」
「……警報を鳴らさずにあの結界を無効化するなんて、本当におかしな力ですわね……」
素直に賞賛するエリナをよそに、クロニカが呆れ交じりに吐息を漏らす。
開かれた扉の先は、冷気と死臭が漂う、広大な地下監獄の回廊だった。
「よし、このまま一気にヘヴンウィングスの元へ――」
俺が歩みを進めようとした、その時だった。
「――そこまでだ」
回廊の奥、最深部へと続く巨大な大門の前に、一人の重装騎士が静かにたたずんでいた。
全身を覆う漆黒の鎧。
見た目は筋骨隆々の男だが、銀色の気体を不気味に纏わせている。
手にした巨大な両手剣からは、空間を歪めるほどの圧倒的な殺気が放たれていた。
「あの鎧の意匠……まさか!?」
背後で、エリナが息を呑む。
「知っているのか、エリナ!?」
「ええ……!彼はヒビキ様……!かつての勇者よ。数年前に突然姿を消した勇者の一人。王国でも人望の厚かった……」
「ふはははは!勇者などという青臭い肩書はとうに捨てたわ!あれは精神を蝕む呪いの力!今の私は、偉大なる導き手ゾディアス様より賜りし深銀の力で生まれ変わったのだ!」
ヒビキと呼ばれた男の、氷のように冷たく、どこか愉悦に満ちた高笑いが、地下監獄の回廊に響き渡った。
身体を覆う銀色の気体が、生き物のように立ち込めている。
かつての誇り高き勇者の面影は微塵もなく、そこには深銀によって呪われた、哀れな殺戮兵器の姿があるだけだった。
「ゾディアスの傀儡か……ッ!まさか、ヘヴンウィングスを捉えたのはコイツみたいな兵器を量産するつもりってわけかよ!」
俺は魔剣を強く握り締め、正面からヒビキを睨み据えた。
ヘヴンウィングスが捕らわれている最深部の扉は、すぐそこだ。この狂気の騎士を打ち破らなければ、先へは進めない!




