99 黒鼠と名乗る男
クロニカが指差したのは、その骨董品店が見える位置にある小奇麗なレストランだった。
もちろん、ただ食事を取るためではなさそうだ。
「大体、わかりましたわ」
窓際の席に座り次第、ひたすらに骨董品店を観察していたクロニカが口を開く。
テーブルには、料理が並べられている。
「わかったって、何が?」
「合図よ」
クロニカは優雅にスープを一口口に含むと、扇子の陰で薄く微笑んだ。
「あの店へ入っていく客は一見バラバラに見えますが、扉を叩く際に決まったノックの刻みを打っていますわ。二回叩き、一拍置いて、さらに三回。……そして、裏口の見張りへ『金貨一枚』を渡すのが、地下の闇市場――『蜘蛛の巣』への入場券ですの」
「なるほどな。小さい店なのに客が吸い込まれていくわけだ」
ベネディクトが豪快に肉料理を口へ放り込みながら、感心したように首を鳴らす。
「ええ。……ですが、大人数でぞろぞろと押し入れば、警戒されますわ。潜入するのは、わたくしと依人さんの二人だけにいたしましょう」
「俺とクロニカで……?」
「ええ。依人さんの『鑑定』は、情報屋のハッタリや嘘を見破るのに不可欠ですもの。ベネディクトとエリナさんは、ここで食事を取りつつ、見張りと待機をお願いできますかしら?」
「構わねぇぜ。そっちで俺ができることもなさそうだしな。任せときな」
「うん……!気をつけてね、依人。何かあったらすぐに魔法で援護するから!」
エリナが心配そうに、だが力強い瞳で俺の手を握りしめてくる。
「ああ、ありがとう二人とも。美味いもんでも食べて待っていてくれ」
俺はエリナの手を握り返し、席を立った。
レストランを出て、人通りの少ない裏路地へと足を踏み入れる。
骨董品店の裏手――湿ったカビと埃の匂いが充満する行き止まりの空間に、一人のガラの悪い男が壁に寄りかかっていた。
クロニカが気配を消した足取りで滑らかに近づき、男の視線を正面から受け止める。
男は無言のまま、鋭い眼光で俺たちを品定めするように睨みつけてくる。
クロニカは顔色ひとつ変えず、先ほど観察した通りのリズムで、鉄製の裏扉をコン、コン……コン、コン、コンと指先で叩いた。
「――美味しいチーズの買い付けに来ましたの」
さらに、クロニカは指先で一枚の金貨を弾いて見せた。
入口に立つ男に、それを手渡す。
「……通んな」
男は、重厚な鉄扉を押し開け、さっさと入れと手で合図する。
奥へ続くのは、松明の微かな光だけが頼りの、暗く狭い地下階段。
「なあ、なんだチーズって?」
階段をゆっくり下りながら俺は小声でクロニカに尋ねる。
「別になんでもよかったのよ。何か一言いったほうが、恰好が付くじゃない?」
「そういうもんかねぇ」
(ここから先は、裏の人間の集まり。気を引き締めないと……!)
俺は右眼『観測者』の意識を静かに研ぎ澄ませながら、クロニカの後に続いて闇の底へと足を踏み入れたのだった。
「……ほう、『レゾナンス』と『ヘヴンウィングス』の行方ねぇ」
俺たちが目を付けたのは"いかにも"な人物だった。
要するに、この空間でもっともステータスが優れた人間。
自らを黒鼠、と名乗るそいつは、髪をオールバックにして眼鏡をかけた、小柄な男だった。




