98 ガルツ
険しい岩肌が続いていた灰白の谷をようやく抜け切ると、視界が一気に開けた。
だが、そこに広がっていたのは爽快な絶景などではない。
王国で育った自分たちには見慣れない、帝国領の景観だった。
「……ふぅ。さすがに、灰白の谷を抜けてくる人がいるとは帝国も思っていないようね。ここまで来れば警備の目もほとんどないわ」
谷の出口で立ち止まり、クロニカが優雅に荷物を下ろす。
「長い道のりだったな。さっさとどこかで一休みしたいもんだねぇ」
そういって、ベネディクトは酒を飲む仕草をしてみせる。
「この先どうするの?」
エリナが俺に尋ねてくる。
「ああ。ここにくる道中わかったことだが、たかが小隊長クラスですらあの力を持たされているということは、すでに帝国の深銀の呪いは実用段階にある、ということだ。だから事態は刻一刻を争うとみたほうがいい」
俺はそばの岩に腰かけ、呼吸を整えながら続けた。
「帝国側が、どれほどの規模で深銀を戦争兵器として実用化し、どこまで開戦の準備を進めているのか……まずはその情報を、一刻も早く手に入れる必要があると思うんだ」
「なるほどねぇ。敵の兵力規模も知らねぇまま首を突っ込むのは、裸で火竜の巣に突っ込むようなもんだからな」
ベネディクトが納得したように深く頷く。
「今にも戦争が始まりそうだったら、私たちでゾディアスを叩きに行くってこと?」
「場合によっては、それもあるかもな。大本を潰してしまえば、帝国もさすがに深銀の力なしで戦争を始めようとはしないはずだ」
エリナの疑問に、そう答えると、みんな覚悟を決めたような目をした。
「……王国の包囲網を避けつつ、帝国の極秘情報を仕入れるとなれば、向かうべき場所はひとつしかありませんわね」
クロニカが薄く唇を開き、谷の出口の先に広がる薄暗い平原を指差した。
「右手に真っすぐ。王国と帝国の国境沿いに位置する暗黒街――ガルツですわ。あそこは辺境の地ということもあり、国家の法が届かないグレーゾーン。裏社会の人間や、二国間を渡り歩く情報屋が集まるところよ」
「ガルツ……。そこにいけば、帝国の動きがわかるのか?」
「ええ。そこほど情報が集まるところはないでしょう。……金か、あるいは相応の対価を支払えば、ですが」
「よし。まずはそのガルツで情報を集めよう。敵を知らなきゃ、次の手も打てないからな」
「ですが、その前に──」
何やら先ほどからがさごそと荷物を漁っているかと思ったら、取り出したのは服だった。
「皆さん、その汗臭い服から着替える必要がありましてよ?」
────
着替えもとい変装を終えた俺たちは、帝国と王国の狭間に渦巻く無法地帯へと足を踏み入れることとなった。
この時の俺たちは、まだ知る由もなかったのだ。
その街で手に入る情報の中に、あろうことか王国に囚われていたはずの勇者たち『ヘヴンウィングス』が、帝国領へと送り込まれたという凶悪な真実が混ざっているなど――。
────
周囲を警戒しながら、俺たちは堂々とガルツの街へ入った。
グレーな街というから暗いイメージがあったが、入ってみるとそうでもない。
見た目は、ごく普通の綺麗で明るい街だった。
「なあ、クロニカはここへ来たことあるのか?」
「当然、ありませんわ。噂も、この街の名前くらいしか耳にしたことがないほどでしてよ」
「え?じゃあどうやって情報屋を探すんだ?看板が出てるわけじゃないだろ」
歩きながら小声で会話をしていた俺は唐突に不安になる。
「ふふ、裏社会の探し方というものがございますわ。一流の情報屋ほど、表向きはしびれるほど退屈な古道具屋や質屋の皮を被っているもの。ですが――」
クロニカは路地裏の奥を冷ややかな瞳で一瞥した。
「――どれほど姿を隠そうと、そこに立ち寄る客と、周囲を警戒する見張りの足跡までは消せませんの。あの不自然に人の出入りがある骨董品店の地下……あそこが蜘蛛の巣で間違いありませんわ」
「ひとまず、そこで食事でも取りましょうか」




