第77話 フィスファーナ
その夜、アリアは疲れてしまったのか、いつもより早く床に着いた。
蛍光蝶の羽化の季節が終わったので、広い居室には数カ所に小さな魔力供給電気を使った電球の入った、ガラス製の常夜灯だけが灯っていた。
心地良い眠りの前の意識が遠ざかる時、誰かの声が聞こえた。
【……ここは……何処……?】
――ここは……ナザガラン国の魔王城よ……
アリアが心の中で思う。
声が驚いた様子で返して来た。
【ナザガラン? どうして? タイカーシアではないの……? いえ、あなたは……誰?】
――私? 私は……アリア=エルナディア……
【アリア……教えて。今は何年?】
――何年って……アルファラン歴の……2472年。
【2472年? 違う……私がいたのは、2152年のはずよ……いったいどうなってるの?】
声の主が慌てる。
――どうなってるのって……どう言う事? それにあなたは誰?
【私は……フィスファーナ=アガン。さっきまで燃え盛る自分の城にいたのよ。2152年の、タイカーシアのレサイア城に。それに……ああ……どうしよう……】
――フィスファーナ……落ち着いて。どういう意味なの、それ。
【私……今、どうやらあなたの中にいるみたいなの。アリア、あなたが私なのよ……】
アリアは驚いて目を覚ました。
明かりを付け、部屋の中の鏡を見る。
【……これが、あなたの姿なのね】
「えっ?」
頭の中で声がした。
「嘘。夢じゃなかったの?」
驚いて鏡に近付く。
鏡の中の自分はいつもと何も変わらない。
しかし声がするのだ。
【ごめんなさい。私が……私が術を使ったせいで】
「術?」
【私達のレサイア城が襲撃に遭って全焼したの。反逆者と民衆に襲われて……私は妹を逃がそうと思って、時空を超えさせる力を使ったの】
「時空を……超える? 妹さんはどうなったの?」
【分からない……それに、その襲撃があったのは2152年で……】
「2152年。今から320年前ね。あなたは320年の時を超えたって事?」
【私は妹に術を掛けた筈なの。でも、気が付いたら心だけ……いえ、魂なのかしら。ここにいて……】
フィスファーナの声が遠ざかる。
「……フィスファーナ?」
【お願い……探し……て……妹を……私の……パトラクトラを……】
「パトラクトラ? えっ? ……ねえ、フィスファーナ?」
アリアが問い掛けても、返事はもうなくなってしまった。
「妹の……私のパトラクトラ? それってあのパトラクトラ様? まさか……そんなはずないわ」
もう一度鏡を見る。
そこには先程と同じ様に自分しか写っていない。
「やっぱり夢だったのかな? 不思議な夢……でも……」
そう思いながらも気になって、彼女はシルクの就寝用のドレスを着たまま、暫く鏡の前で立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
何処までも続いているのではないかと思われる程広い夜の海を、パトラクトラとタイカーシアの研究者達がそれぞれの竜に乗って飛んでいた。
「闇竜達、すんなり移住に応じてくれて良かったですね」
自分達の間でだけ繋がる短距離通信用の魔石同士で通信する。
「そうだな。これで17年にも及ぶ心配事にけりが付いた。今夜はゆっくり眠れそうだ」
パトラクトラも返事をする。
「この海を超えたらタイカーシアです。王太后様は一旦そちらにお泊りください」
「ああ、そうさせてもらうよ」
彼女らは先日ヴェイルに告げた様に、闇竜達を総出で移住させに行っていた。
17年前のウーヴル戦争時から続く闇竜の研究がやっと実を結んで、人間達と棲み分ける事が出来たのだ。
後は帰ってヴェイルに話してやるだけだ……パトラクトラは疲れも吹き飛ぶかの様に晴々とした気持ちで黒竜ラタウスに乗っていた。
竜達は快調に飛ばす。
後少ししたら、陸地が見えて来るだろう。皆の気持ちが少し緩んだ時だった。
――突然彼らの真上の空に、空間の切れ目が現れた――




