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だが、その視線が亜留々の傘に釘付けになっている隙を、矢吹は見逃さなかった。
(俺はただの『観客』かもしれない……けど、足引っ張りっぱなしで殺されてたまるか!)
矢吹は足元に転がっていた重厚なアンプの機材を引き寄せ、火災報知器のボタンに向かって全力で投げつけた。
ジリリリリリリリリリリリッ!!!!
店内にけたたましい警報音が鳴り響き、天井の『スプリンクラー』が一斉に作動した。
激しい人工の雨が、タワーレコードの1階全体に降り注ぐ。
「なに……!? 水!?」
突然の豪雨に、ディーラーが一瞬動揺し、手元のカードが濡れて滑った。
「ナイスよ、矢吹さん!」
水を得た亜留々の動きは、まさに真骨頂だった。
降り注ぐ水滴の中を、彼女は一切の迷いなく滑るように疾走する。濡れた黒髪が美しい軌跡を描く。
「くそっ、濡れてカードの弾道が……!」
ディーラーが焦ってカードを投げようとするが、スプリンクラーの水圧と重みでカードの速度が格段に落ちる。
「雨の中で……私に勝てると思ったの?」
亜留々の声が、水音を切り裂いてディーラーの耳元で聞こえた。
彼女はたたんだ傘の先端を、ディーラーの手に握られたカードの束へと滑り込ませた。カチリと音がして、傘の先端から伸びた極細のワイヤーがカードを一瞬で巻き取り、宙へと散らす。
「な……っ!?」
武器を失ったディーラーの胸元へ、亜留々は傘を固く閉じ、槍のように突いた。
ゴッ!!
強烈な一撃がディーラーの溝おちを捉える。
ディーラーは白目を剥き、2階の手すりを超えて、1階の水たまりができたフロアへと真っ逆さまに落ちていった。
バシャーン!!
動かなくなったディーラーを見下ろし、亜留々は降り注ぐスプリンクラーの雨の中で、優雅に黒い傘を開いた。水滴が彼女の傘を弾き、まるで美しい花が咲いたかのようだった。
「ふう……服が少し濡れてしまったわ」
「助かった……矢吹も、よくやったな」
棚の後ろから出てきた大城が、濡れた顔を拭いながら矢吹の肩をぽんと叩いた。
「はは……夢中でさ……」
矢吹は膝に手をつき、荒い息を吐いた。
「でも、これで確定したわね」
亜留々はエレベーターの表示パネルを指さした。最上階のボタンだけが、外部からの操作で赤く点滅している。
「ウロボロスのボスは、この上のフロアで私たちのショーを鑑賞しているわ。……行きましょう、幕引きの時間よ」スプリンクラーの人工の雨が、フロア一面のCDケースを濡らして静かに滴り落ちる。
「……行くわよ」
亜留々は黒い傘を閉じ、濡れた黒髪をかき上げると、赤く点滅する最上階のエレベーターへと歩みを進めた。
大城がマグナムのシリンダーを確認し、重い足取りで後に続く。矢吹もまた、自分の胸元にあるナノ・ピンドロップの感触を確かめながら、二人の背中を追った。
エレベーターの扉はすでに電源を落とされていたが、大城がその圧倒的な怪力で両手でこじ開けた。剥き出しになった昇降路のケーブルを伝い、三人は最上階へと這い上がっていく。
重く冷たい金属の扉が、目の前に現れた。
「ここね」
亜留々が仕込み傘の先端を扉の隙間に差し込み、カチリと巧妙な機構を鳴らす。
次の瞬間、頑丈なロックが内側から外れ、重々しい音がして扉がゆっくりと内側へ開き――。
目の前に広がった光景に、三人は思わず息をのんだ。
広大な最上階のフロアは、無数の巨大モニターに囲まれた特等席のようになっていた。モニターの数々には、雨に濡れる渋谷のスクランブル交差点、先ほどまで戦っていた1階のフロア、そして街中をうろつく他の殺し屋たちの姿が生々しく映し出されている。
その中央、贅沢に設えられた革張りの特等席に、一人の男が深く腰掛けていた。
黒いスーツを纏い、片手にグラスを揺らしている。
男がゆっくりと振り返った。
「……よくここまでたどり着いた。『雨の日の処刑人』に、『ビッグ・ジョー』、そして……『名無しの観客』の矢吹くん」
その顔を見た瞬間、矢吹は全身の血が凍りつくような衝撃を受けた。
「……っ!? う、嘘だろ……!?」
男の顔には見覚えがあった。
いや、見覚えがあるどころか、つい数時間前――いや、このゲームが始まる直前まで、日常の中で毎日のように顔を合わせていた人物だった。
「驚いたかい? 矢吹くん」
男は皮肉な笑みを浮かべ、グラスの氷をカランと鳴らした。
「――お前……会社の、上司の……!」
驚愕する矢吹の横で、亜留々は静かに黒い傘を構え、大城は銃のハンマーを起こした。
静まり返った監視ルームに、不気味な雨音だけが響いていた。




