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「……ふう、間一髪だったな」
大城が濡れた顔を拭いながら、マグナムをジャケットの奥へと仕舞い込んだ。
「矢吹、お前案外度胸あるじゃねえか。あの状況でリモコンに飛び込むとはな」
「夢中だったからさ……生きて帰りたい一心でね」
矢吹は苦笑いしながら、ようやく緊張が解けた膝の震えを抑えた。
ふと見ると、亜留々が少し離れた街灯の下で、折れた黒い傘を手に立ち止まっていた。
雨脚が少しずつ弱まり、小雨へと変わっていく。冒頭のスクランブル交差点と同じ、天気予報通りの空模様だった。
矢吹は彼女の元へと歩み寄った。
「……終わったんだな」
「ええ。ウロボロスは解体され、私の『過去』もこれで消えたわ」
亜留々は静かに折れた傘を撫でると、くるりと振り向いて矢吹を見つめた。
雨上がりの街灯の光を浴びたその顔は、思わず息をのむほど整っていて、そしてどこか晴れやかだった。
赤と黒のまだら模様の傘が地面に落ちていた。拾おうとして屈み込んだ矢吹に、亜留々は言う。
「いらないわ。それはもう私には必要ないものだから」
彼女はどこか晴れやかな顔をしている。
「ねえ、矢吹さん」
「ん?」
「私、あなたに『美しく殺す』って約束したけれど……撤回してもいいかしら?」
矢吹はハッと目を見開き、それから可笑しそうに息を漏らした。
「……もちろん歓迎するよ」
「よかった」
亜留々は少女らしくくすりと笑うと、折れた長傘を軽く手首で弄びながら、歩き出した。
「また雨が降ったら……喫茶店で美味しい紅茶でも奢ってね、『名無しの観客』さん」
黒髪をなびかせ、彼女は雨上がりの渋谷の雑踏の中へと消えていった。
少女が去った後も、矢吹としばらくその場に立ち尽くしていた大城は、煙草に火をつけながらぽつりと言った。
「……まったく、恐ろしいお嬢さんだぜ」
「ああ……でも、最高の『雨の日』だったよ」
矢吹は空を見上げた。雲の隙間から、ほんの少しだけ夜空の星が覗き始めていた。
雨上がりの渋谷スクランブル交差点には、いつの間にか湿った夜風が吹き抜けていた。
濡れたアスファルトに反射していたネオンの光が風で揺れ、街は少しずつ、いつもの日常の喧騒を取り戻そうとしている。
地面に転がっていた赤と黒のひし形模様の傘は、雨水の中に残されたまま、街灯の光を鈍く跳ね返していた。
「おい、矢吹。俺はそろそろズラかるぜ。警察の犬どもが嗅ぎつけてくる前に現場を離れねえと、厄介なことになる」
大城は吸い殻を靴底で踏み消すと、濡れたコートの襟を立てた。
190センチ近い巨躯が、夜の街の中に静かに溶け込んでいく。
「大城、助かったよ。お前がいなきゃ今頃俺は……」
「礼には及ばねえ。……まあ、あのお嬢ちゃんに免じて、俺の借りはチャラにしてやるよ。じゃあな」
ひらひらと大きな手を一度だけ振ると、ビッグ・ジョーの背中は雑踏の奥へと消えていった。




