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雨の日の処刑人と名無しの観客  作者: ゆうすけ


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数日後。


渋谷の街を包んでいたあの雨が嘘のように、東京は連日の秋晴れに恵まれていた。


矢吹はいつものオフィスで、パソコンの画面と睨めっこしながら書類作成に追われていた。

小林課長が突然「個人的な都合」で長期失踪扱いとなり、部署内はその穴埋めでてんてこ舞いだったが、矢吹の心は不思議なほど穏やかだった。


(死に物狂いだったあの夜が、なんだか遠い夢みたいだ……)


街を徘徊する殺し屋も、山手線を回る道化師も、もうどこにもいない。自分は相変わらず、冴えない日常を消化する一人の「観客」に戻ったのだ。


久しぶりに、あの時着ていた服を引っ張り出して着てみた。あの日以来だ。


天気予報によると午後から雨が降る。

矢吹はちらりと、机の脇に目をやる。そこには新しく購入した長傘がたてかけてある。


定時のチャイムが鳴り、矢吹はバッグを抱えてオフィスを出た。

すでに小雨が降り始めていた。矢吹は傘を開いた。


駅へ向かう途中、ふと思い立って、久しぶりに喫茶店へと足を向けた。


矢吹、亜留々、ビッグ・ジョー、三人が初めて出会った、あの場所へ……


あの喫茶店に行こう…… ひとりごとを声に出して言った。


最初からそのつもりだったのかもしれない。


扉を押し開けると、カランと乾いた鈴の音が響く。

割れていた強化ガラスは綺麗にはめ直され、店内には穏やかなジャズが流れていた。


矢吹は奥のテーブル席——あの夜、亜留々が突然隣に腰を下ろした、あの席に腰を下ろした。


「いらっしゃいませ」


マスターが水とメニューを運んでくる。

矢吹はメニューも見ずに、ゆっくりと微笑んだ。


「熱い紅茶を一杯。……レモンをつけてください」


「かしこまりました」


運ばれてきたカップから湯気が立ち上り、甘く爽やかなレモンの香りが鼻腔をくすぐる。

カップに手を添えながら、矢吹は窓の外を眺めた。


雨はやや強さを増したようだ。ぽつり、ぽつりとガラス窓を小さな雨粒が叩き始めた。


カラン、と乾いた音がして、喫茶店の扉が開いた。


冷たい外気が、コーヒーと紅茶の香りが充満する店内に滑り込んでくる。


矢吹はゆっくりと入口の方へ視線を向けた。


そこに立っていたのは——

濡れた黒髪を背中に流し、見たことのない新品の純白の長傘を一本、手首で軽やかに弄んでいる少女だった。


彼女は店内をゆっくりと見渡すと、矢吹と目が合い、鈴の鳴るような声でくすりと笑った。


「そこ、空いてるかしら?」


矢吹はカップをソーサーに置くと、椅子を引いて静かに答えた。


「ええ、もちろん。お奢りしますよ、『雨の日の処刑人』さん」


あの喫茶店に行こう……


どこかで彼女が聞いているかもしれない。

そう思って自分の胸元にある、盗聴針(ナノ・ピンドロップ)に語りかけた……


外の雨足が少しずつ強くなっていく。

だが、もうそこに恐怖も追手もなかった。ただ静かで、どこか愛おしい、二人だけの雨の時間が始まろうとしていた。

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