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ウロボロスのボスの名が「アルレッキーノ」であると知った瞬間、矢吹の頭の中で、バラバラだったピースが一気に噛み合わさった。
「アルレッキーノ」イタリア語で道化師を意味する。
そのフランス語読みこそが――「アルルカン」
アルルカン ……菅亜留々(かん・あるる)。
(……嘘だろ。まさか……)
タワーレコード最上階、倒れ伏す敵の死体と撃ち抜かれたモニターの群れ。その惨状の中で、矢吹の背筋に冷たい悪寒が走った。
大城が小林課長を拘束し、周囲を警戒しているわずかな隙を突き、矢吹は亜留々の手首を掴むと、荒々しくフロアの影へと連れ出した。
「なにかしら、矢吹さん。急に腕なんて掴んで」
亜留々は痛がる様子も見せず、不思議そうに首をかしげた。黒い長髪が肩から滑り落ち、透き通るような瞳が矢吹を直視する。そのあまりの美しさと無防備さが、今の矢吹には恐ろしく思えた。
「答えてくれ、亜留々」
矢吹の声は震えていた。怒りなのか、恐怖なのか、自分でも判別がつかない。
「ウロボロスのボス……この狂ったゲームの主催者の名前を聞いた。『アルレッキーノ』だ」
「……ええ。それがどうしたの?」
「お前の名前だよ!」
矢吹は耐えかねて声を荒らげた。
「菅亜留々……『あるる』はフランス語で道化師を意味する『アルルカン』だ! そしてアルルカンのイタリア語名こそが『アルレッキーノ』なんだよ! 言語が違うだけで、まったく同じ意味じゃないか!」
亜留々は表情を変えず、ただ静かに矢吹の言葉に耳を傾けている。その沈黙が、矢吹の疑念をさらに確信へと変えていく。
「交差点でお前が俺の前に現れたのも、俺の服に盗聴器を仕掛けたのも、喫茶店にタイミングよく入ってきたのも……全部お前が仕組んだ筋書き(シナリオ)だったんじゃないのか!? 自分の退屈しのぎのために、俺を『名無しの観客』なんてターゲットに仕立て上げて、殺し屋どもを集めて高みの見物決め込んでたのか……っ!?」
矢吹の問いかけが、だだっ広いフロアに虚しく響き渡った。
雨音とスプリンクラーの水滴が滴る音だけが流れる。
やがて、亜留々はふっと息を漏らした。
整いすぎた唇がわずかに弧を描き、彼女は小さくくすりと笑った。
「……面白いわね」
「……何?」
「あなた、案外頭が回るのね。『名無しの観客』なんてコードネームで呼ばれているから、ただのド素人かと思っていたけれど」
亜留々は一歩、矢吹へと足を踏み出してきた。
仕込み傘の先端が、コトンと床を突く。
「ねえ、矢吹さん。もし……本当に私が『アルレッキーノ』で、このゲームの黒幕だとしたら、あなたはどうするの? ここで私を刺す? それとも、命乞いでもするかしら?」
彼女の瞳から、一瞬にして温度が消え去った。
冷酷で、底知れない「雨の日の処刑人」の目が、至近距離で矢吹を射抜く。あまりの威圧感に、矢吹は息をのんで言葉を失った。
だが、亜留々は次の瞬間、満足したように目を細めると、手にしていた黒い傘の柄をカチリと鳴らした。
「――残念だけど、不合格よ」
「……え?」
「確かに『アルルカン』と『アルレッキーノ』は同じ意味。でもね、私は誰かの操り人形になるつもりも、誰かを躍らせる道化師になるつもりもないわ」
亜留々は視線を外し、窓の外――雨に煙る渋谷の街と、その中をゆっくりと滑り込んでくる山手線の灯りを見つめた。
「本物の『アルレッキーノ』は、自分の名を継ぐ後継者が現れるのをずっと待っていたのよ。……私のコードネームは『雨の日の処刑人』。けれど、裏社会が私をそう呼ぶ前に、私にその名前を刻みつけた奴がいる」
「それって……」
ウロボロス…… 自分の尾を噛んで円を作る蛇。円環、山手線……
「山手線の中をぐるぐると回り続けながら、調子に乗っている本物の道化師……。あいつは、私をこのステージに引きずり出すために、あなたという『一番無害な人間』をターゲットに選んだの」
亜留々は矢吹の方を振り返り、優しく、しかしどこか哀しげな微笑を浮かべた。
「疑うのも無理はないわ。でも忘れないで、矢吹さん。私はあなたを『美しく殺す』と約束したけれど……嘘をついた覚えはないわ」
その瞳に嘘がないことを悟り、矢吹の身体からふっと力が抜けた。
「……悪かった。取り乱して」
「いいのよ。試されるのは慣れているわ」
亜留々は黒い傘をふわりと肩に立てかけると、決戦の地であるスクランブル交差点へと向かって歩き出した。
「さあ、行きましょう。道化師に、本物の『終幕』を届けてあげるために」




