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勇者討伐

王都の外れ。


かつて。


ジャムルたちが子供たちと遊んだ広場。


そこには。


もう、笑い声はなかった。


空は黒い雲に覆われていた。


大粒の雨が。


絶え間なく降り続いている。


ザーッ、ザーッと。


地面を叩く雨音が。


広場を包んでいた。


その中央に。


怪物がいた。


巨大な身体。


黒く染まった腕。


異形の角。


鋭く伸びた爪。


人間のものとは思えないほど大きく変わった身体。


そして。


赤く染まった瞳。


だが。


その顔だけは。


まだ。


ジャムルだった。


――そう。


少し前までは。


まだ。


そこにジャムルの意識があった。


けれど。


今は。


違った。


ジャムルは。


もう、何も見ていなかった。


赤く濁った瞳は。


目の前の人間を見ているようで。


その実。


どこにも焦点が合っていない。


何かを探しているわけでもない。


誰かを憎んでいるわけでもない。


赤ん坊のような泣き声をあげている。


ただ。


血を。


求めていた。


目の前に動くものがあれば。


襲う。


倒れた者がいれば。


さらに襲う。


血の匂いがすれば。


そこへ向かう。


それだけだった。


「……来るぞ!」


王国騎士団の隊長が叫ぶ。


ジャムルが地面を蹴った。


水しぶきが飛ぶ。


ドンッ!


巨大な身体が。


一瞬で距離を詰める。


「盾構え!!」


騎士たちが盾を重ねる。


次の瞬間。


ジャムルの拳が。


盾の壁を吹き飛ばした。


「ぐああっ!」


「隊長!」


何人もの騎士が。


雨の中を転がっていく。


ジャムルは。


止まらなかった。


倒れた騎士へ向かって。


再び腕を振り上げる。


「くっ……!」


隊長が立ち上がる。


槍を構える。


「撃て!」


魔法が放たれる。


矢が飛ぶ。


槍が突き出される。


爆発。


炎。


風。


無数の攻撃が。


ジャムルへ集中する。


それでも。


ジャムルは。


歩いてくる。


身体には傷が増えていく。


血が流れる。


だが。


すぐに塞がる。


黒く変質した肉が蠢き。


傷口を覆っていく。


そして。


また。


歩く。


「……化け物め」


誰かが呟いた。


その言葉にも。


ジャムルは反応しない。


もう。


言葉が届いていなかった。


ただ。


血を求める。


それだけだった。


騎士団は。


必死に戦った。


何度も。


何度も。


ジャムルを止めようとした。


だが。


止められなかった。


一人。


また一人。


騎士が倒れていく。


鎧が潰れる。


盾が砕ける。


槍が折れる。


魔法使いたちも。


次々と魔力を失っていく。


「……撤退を」


副隊長が息を切らしながら言った。


隊長は。


答えなかった。


目の前にいるのは。


かつて王国を救った勇者だった。


自分たちが守るべき民を。


自分たちが守るべき王都を。


そして。


今は。


その勇者が。


王都を壊している。


「……もう」


隊長の手が震える。


「もう、我々では……」


言葉が続かなかった。


その時。


遠くから。


三つの人影が走ってきた。


カオル。


リュウ。


ミツヒロ。


「……何、これ」


カオルが立ち止まった。


目の前に広がっていたのは。


想像していた以上の惨状だった。


倒れている騎士たち。


壊れた建物。


血に染まった地面。


雨に流されていく血。


そして。


その中心に。


ジャムルがいた。


「……ジャムル」


カオルが呟いた。


返事はない。


ジャムルは。


ゆっくりと顔を上げた。


赤黒く染まった瞳が。


三人へ向く。


「……」


その目には。


何もなかった。


怒りも。


悲しみも。


苦しみも。


仲間を見つけた喜びも。


何も。


「……嘘だろ」


リュウの声が震える。


以前。


ジャムルが操られていた時には。


まだ。


瞳の奥に光があった。


苦しそうに顔を歪め。


涙を流し。


「逃げろ」と叫んでいた。


「俺じゃない」と訴えていた。


自分の身体を止めようと。


必死に抗っていた。


だが。


今は。


違う。


ジャムルは。


三人を見ていない。


ただ。


そこに人間がいる。


そう認識しているだけだった。


「……ジャムル?」


カオルが呼びかける。


ジャムルは。


首を少し傾けた。


そして。


次の瞬間。


襲いかかった。


「――っ!」


三人が散開する。


拳が地面を砕く。


「ジャムル!」


カオルが叫ぶ。


だが。


ジャムルは止まらない。


爪が振り抜かれる。


リュウが槍で受ける。


「ぐっ……!」


力が違いすぎる。


そのまま吹き飛ばされる。


「リュウ!」


ミツヒロが魔法を放つ。


風の刃が。


ジャムルの身体を切り裂く。


黒い血が飛ぶ。


だが。


傷はすぐに塞がる。


ジャムルは。


ミツヒロへ向きを変えた。


「……っ」


ミツヒロが後退する。


ジャムルが追ってくる。


「ジャムル!」


呼びかけても。


届かない。


「俺だぞ!」


それでも。


届かない。


「お前の親友のミツヒロだぞ!」


届かない。


ジャムルの瞳は。


暗く染まったまま。


ただ。


目の前の獲物を見ていた。


「……やめて」


カオルが震える声で言う。


「ジャムル……お願い」


ジャムルが。


カオルへ向く。


カオルの顔が強張る。


「……私だよ」


それでも。


ジャムルは。


何の反応も示さない。


腕を振り上げる。


「……っ!」


カオルが杖を構える。


受ける。


吹き飛ばされる。


地面を転がる。


「カオル!」


リュウが駆け寄る。


その背後から。


ジャムルが迫ってくる。


「危ない!」


リュウが槍を突き出す。


ジャムルの身体が。


槍を掴む。


そのまま。


リュウを投げ飛ばす。


「ぐあっ!」


「リュウ!」


ミツヒロが叫ぶ。


だが。


ジャムルは。


もう止まらない。


誰の声も。


届いていない。


ただ。


血を求める。


倒れた者へ。


負傷した者へ。


生きている者へ。


次々と襲いかかる。


まるで。


人間だった頃の心そのものが。


どこかへ消えてしまったかのように。


「……ジャムル」


カオルが。


もう一度呼んだ。


「お願いだから……」


ジャムルが振り返る。


赤黒い瞳。


そこには。


何もない。


カオルの身体が。


震えた。


「……本当に」


声が詰まる。


「もう……ジャムルはいないの?」


その時。


ミツヒロが立ち上がった。


全身泥だらけだった。


額から血が流れている。


それでも。


ジャムルを睨んだ。


「……ふざけんな」


ジャムルは。


反応しない。


「ふざけんなよ……」


ミツヒロが拳を握る。


「俺たち、何年一緒にいたと思ってんだよ」


それでも。


ジャムルは動く。


「一緒に旅して」


ジャムルが。


一歩。


踏み出す。


「一緒に飯食って」


もう一歩。


「一緒に笑って」


さらに。


一歩。


「何回死にそうになったと思ってんだよ!」


ミツヒロの声が。


雨をかき消すほど大きくなる。


「それを……!」


ジャムルが。


拳を振り上げた。


ミツヒロは。


逃げなかった。


「それを全部忘れて……!」


拳が。


目の前まで迫る。


「血だけ求めて!」


ミツヒロが叫んだ。


「ジャムル!」


拳が。


止まった。


ほんの。


わずかだった。


ミツヒロは。


叫ぶ。


「てめぇは!」


声が震える。


「人間らしい心は、もうなくなっちまったのかよー!」


その瞬間。


ジャムルの拳が。


止まった。


完全に。


止まった。


雨だけが。


二人の間に落ちている。


ザーッ。


ザーッ。


ジャムルの赤黒い瞳が。


揺れた。


「……」


ミツヒロは。


息を呑んだ。


「……ジャムル?」


ジャムルの身体が。


震える。


「……俺……は」


掠れた声。


「……」


カオルが。


目を見開いた。


「ジャムル……?」


ジャムルの瞳の奥。


暗闇の中に。


ほんの小さな光が戻った。


「……みんな」


その声を聞いた瞬間。


カオルの目から。


涙が溢れた。


「ジャムル……!」


「……ここは」


ジャムルが周囲を見る。


倒れた騎士。


壊れた建物。


血に染まった地面。


「……俺が……俺が……やったのか」


誰も。


答えられなかった。


ジャムルの顔が。


苦しそうに歪む。


「……そうか」


そして。


空を見上げる。


雨が。


顔を濡らしていく。


「……俺の意識はもう……」


ジャムルが。


小さく息を吐いた。


「……消えてたのか」


その背後。


空中に浮かぶブルーメが。


静かに笑っていた。


「……目を覚ましたのね」


ジャムルが。


ゆっくりと振り返る。


「……ブルーメ」


その瞳には。


もう。


怪物の光はなかった。


苦しみも。


恐怖も。


怒りも。


すべてを抱えた。


人間の瞳だった。


ジャムルは。


三人を見る。


そして。


静かに言った。


「……聞いてくれ」


「俺を倒せ」


三人の表情が。


凍りつく。


「……何を」


リュウが呟く。


ジャムルは。


自分の胸に手を当てた。


「俺とブルーメは……繋がってる」


胸から。


虹色の光が漏れる。


「俺を倒せば……」


ジャムルが。


苦しそうに息を吐く。


「ブルーメも倒せる」


カオルが首を振る。


「嫌」


「カオル」


「嫌だよ……」


「聞いてくれ」


ジャムルは。


静かに笑った。


「これしかない」


その言葉を。


三人は。


すぐには受け入れられなかった。


けれど。


ジャムルは。


もう一度。


ブルーメを見上げた。


そして。


最期の力を。


振り絞る。


ここから先は。


もう。


誰かに操られるためではない。


自分の意思で。


戦うために。


ジャムルは。


虹色の糸へ手を伸ばした。


「俺を殺せば……ブルーメも死ぬ」


「でも……!」


「カオル」


ジャムルは静かに言った。


「これしかない」


その瞬間。


ジャムルの身体から。


凄まじい魔力が溢れ出した。


「――ッ!」


ブルーメが目を見開く。


「何をするつもり!?」


ジャムルは。


自分の意思で。


虹色の糸を引き寄せた。


一つ。


また一つ。


身体中に絡みついていた糸を。


自ら。


ブルーメへ向けて引き寄せていく。


「やめなさい!」


ブルーメが叫ぶ。


「絡みつくな、ジャムル!」


「……嫌だ」


ジャムルは笑った。


「初めて……お前に逆らえる気がする」


魔力が膨れ上がる。


虹色の糸が。


強く輝く。


それは。


ジャムルを操るための糸だった。


けれど。


今は違う。


ジャムル自身が。


その糸を使って。


ブルーメとの繋がりを強めている。


「やめて!」


ブルーメが叫ぶ。


「あなたが死んだら……私も……!」


「……そうだ」


ジャムルの身体から。


血が噴き出した。


「ぐっ……!」


膝が折れそうになる。


それでも。


倒れない。


「ジャムル!」


カオルが駆け寄ろうとする。


「来るな!」


ジャムルが叫ぶ。


「まだ……終わってない!」


虹色の糸が。


さらに強く光った。


ブルーメの身体が引かれる。


「――っ!」


初めて。


ブルーメの身体が。


ジャムルへ引き寄せられた。


「な……!」


ジャムルが笑う。


「……捕まえた」


「離しなさい!」


「嫌だ」


「ジャムル!」


「これで……逃げられない」


ジャムルは最後の力を振り絞った。


両腕をゆっくりと広げる。


虹色の糸が彼の腕を引っ張る。


右へ。

左へ。

上へ。

下へ。


身体を操ろうとする。


それでも。


ジャムルは動かなかった。


微動だにしなかった。


両手を広げたまま。


その場に立っている。


まるでブルーメを抱きしめるように。


そしてブルーメをこの世界に縛りつけるように。


「――ぐっ」


口から。


血が溢れる。


地面へ落ちる。


雨水と混ざる。


それでも。


ジャムルは倒れない。


「……今だ」


三人が。


動けなかった。


「早く……」


ジャムルが言う。


「俺を……殺してくれ」


カオルは首を振った。


「……できない」


「やるんだ!」


「できないよ……!」


「カオル」


ジャムルが。


昔と同じように笑った。


パレードの日。


子供たちに手を振ったときと。


同じ笑顔。


「俺は……最後まで」


息が途切れる。


それでも。


言葉を続ける。


「みんなを……守りたい」


カオルの手が震える。


リュウも。


ミツヒロも。


三人とも。


もう泣いていた。


けれど。


大雨が降っている。


だから。


誰にも。


その涙は見えない。


ジャムルは。


三人を見た。


「……だから」


血を吐きながら。


笑った。


「俺ごとやってくれ!」


ブルーメが叫ぶ。


「やめなさい!」


虹色の糸が激しく震える。


「ジャムル!」


「今だ!」


その瞬間。


三人が。


同時に踏み込んだ。


カオルの魔法が。

リュウの槍が。

ミツヒロの剣が。

一斉に。


ジャムルの身体を貫いた。


「――ッ!」


ジャムルの身体が。


大きく揺れる。


そして。


止まった。


虹色の糸が。


一斉に砕け散った。


ブルーメの身体から。


光が溢れ出す。


「いや……!」


初めて。


ブルーメの声に。


恐怖が混じった。


「嫌よ……!」


身体が。


少しずつ崩れていく。


「こんな……!」


黒い髪が。


光の粒へ変わっていく。


白い肌が。


崩れていく。


角が。


消える。


「私が……!」


ブルーメが叫ぶ。


「私が消えるなんて……!」


そして。


最後の瞬間。


ブルーメは。


三人を見た。


ジャムルを見た。


その顔に。


ほんの一瞬。


絶望が浮かんだ。


――かと思った。


違った。


ブルーメは。


ニヤッと笑った。


「……また、近々会いましょう」


その言葉を最後に。


魔王の身体が。


完全に消滅した。


虹色の光が。


雨の中へ溶けていく。


そして。


静かになった。


雨音だけが。


残った。


ザーッ。

ザーッ。


ジャムルの身体が。


ゆっくりと崩れ落ちる。


カオルが抱き止めた。


「ジャムル……!」


巨大だった身体が。


少しずつ。


元へ戻っていく。


角が消える。


爪が消える。


黒く染まった皮膚が。


ゆっくりと人間の色へ戻る。


最後には。


ただの人間の姿になった。


そこにいたのは。


怪物ではなかった。


魔物でも。


魔王の器でもなかった。


ただの。

ジャムルだった。


カオルの腕の中で。

ジャムルは小さく息を吐いた。


「……終わったな」


カオルは。


泣きながら頷いた。


「……うん」


「……よかった」


「何が……?」


ジャムルは。


かすかに笑った。


「みんなが……無事で」


「……馬鹿」


カオルの声が震える。


ジャムルは少しだけ笑った。


「……そうだな」


雨が降っている。


ずっと。

ずっと。


降り続いている。


だから。


三人の涙は。


誰にも分からなかった。


ジャムルは。


最後に三人を見た。


そして。


ほんの少しだけ。


昔と同じ笑顔を浮かべた。


「……ただいま」


その言葉を最後に。


ジャムルの身体から。


力が抜けた。

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