英雄を殺せ
その日は、朝から王都の空気がおかしかった。
昨日までとは、何かが違う。
大通りを歩く人々の視線。
商店の前で交わされる小声。
窓からこちらを覗く者たち。
ジャムルたちが姿を見せると、誰もが一瞬だけ口を閉ざす。
そして。
四人が通り過ぎると、また何かを話し始める。
ジャムルは、それに気づいていた。
カオルも。
リュウも。
ミツヒロも。
だが。
誰も、その理由を口にはしなかった。
「……なあ」
リュウが歩きながら、周囲を見回す。
「何か、変じゃないか?」
「私もそう思う」
カオルが小さく頷いた。
ミツヒロも周囲を見渡す。
「昨日までは、みんな笑っていたのに」
数日前まで四人は英雄だった。
花を投げられ、名前を呼ばれ、感謝の言葉を浴びせられた。
その同じ通りを、今歩いている。
なのに。
今日は、誰も笑っていない。
一人の男が、道の端で立ち止まった。
ジャムルを見る。
その隣にいた女も、ジャムルを見る。
さらに、その後ろにいた若者が足を止める。
一人。
二人。
三人。
立ち止まる人間が、少しずつ増えていく。
「……何だ?」
リュウが眉をひそめた。
誰かが、こちらを指差した。
「……あれ」
小さな声だった。
それに反応して、別の人間が振り返る。
「勇者だ」
「ジャムルだ」
「魔王を倒したっていう……」
だが。
その言葉に続いたのは、歓声ではなかった。
「……魔王は?」
その一言が、空気を変えた。
ジャムルが足を止める。
「……」
人々の視線が集まっていく。
一人。
二人。
十人。
気がつけば、大通りの両側に人が集まっていた。
道を塞ぐように。
四人を囲むように。
リュウが剣へ手を伸ばす。
「……何だ、これ」
誰も答えない。
ただ。
人の輪が少しずつ狭くなっていく。
そして。
一人の男が叫んだ。
「魔王を出せ!」
空気が震えた。
カオルが息を呑む。
「……え?」
別の男が続ける。
「勇者の中にいるんだろ!」
「魔王を出せ!」
「魔王を見せろ!」
「本当に封印したのか!」
次々と声が飛んでくる。
「魔王を殺せ!」
「勇者を殺せ!」
「魔王を殺せ!」
「勇者を殺せ!」
そして。
誰かが叫んだ。
「勇者を殺せば魔王も死ぬ!」
その言葉が。
群衆の中へ落ちた。
一瞬。
誰も何も言わなかった。
だが。
すぐに。
「そうだ!」
「勇者を殺せ!」
「それなら魔王も死ぬ!」
「俺たちを守れ!」
「魔王を殺せ!」
叫び声が重なっていく。
カオルは信じられないものを見るように、周囲を見回した。
「何を言ってるの……」
昨日まで、彼らは自分たちを英雄と呼んでいた。
笑顔で手を振ってくれていた。
子供たちは、ジャムルの名前を叫んでいた。
その人々が。
今は。
同じ口で。
彼の死を求めている。
「ジャムル……」
カオルが振り返る。
しかし。
ジャムルは何も言わなかった。
ただ。
目の前にいる人々を見ていた。
「魔王の手先!」
「俺たちを騙していたんだ!」
「勇者のふりをして、魔王を連れてきたんだ!」
「最初から魔王と仲間だったんだろ!」
「魔人も助けていたらしいぞ!」
「やっぱり魔族の味方だったんだ!」
噂が。
いつの間にか、確定した事実として語られている。
誰かが言う。
「魔王を倒したなんて嘘だったんだ!」
別の誰かが答える。
「そうだ! 全部、俺たちを騙すためだったんだ!」
根拠などない。
証拠もない。
それでも。
恐怖に飲まれた人々にとっては、それで十分だった。
カオルがジャムルの前へ立った。
両手を広げる。
「違う!」
声を張り上げた。
「ジャムルはそんな人じゃない!」
群衆の中から怒鳴り声が返ってくる。
「だったら、なぜ魔王を身体に封じている!」
「それは……」
カオルの言葉が止まった。
言えない。
本当のことを説明するわけにはいかない。
魔王は人間の悪意から復活する。
だからジャムルが封印している。
それを話せば。
ここにいる人々の恐怖を、さらに煽るだけだ。
カオルは唇を噛んだ。
「……それは、ジャムルがみんなを守るために……」
「だったら魔王を出せ!」
「本当に封印しているなら証明しろ!」
「魔王を殺せ!」
「勇者を殺せ!」
声が大きくなる。
リュウが前へ出た。
「いい加減にしろ!」
腰の剣を抜く。
刃が陽光を反射した。
群衆の一部が怯んだ。
「これ以上近づくな!」
リュウの声が響く。
「ジャムルに手を出したら、俺が許さない!」
だが。
それが逆効果だった。
「やっぱり暴力で黙らせるつもりだ!」
「魔王の仲間だ!」
「危険だ!」
人々がさらに騒ぎ始める。
リュウが歯を食いしばる。
「違う、俺は……!」
その腕を。
ジャムルが掴んだ。
「やめろ」
「……ジャムル?」
「剣を向けるな」
「でも!」
「抜いたままにするな」
ジャムルは静かに言った。
「こいつらは怖がってる」
「だからって……!」
「俺が戦えば、本当にこいつらを傷つける」
「じゃあ、どうするんだ!」
リュウの声が震えた。
怒りだけではない。
恐怖も混ざっていた。
目の前には、何百人もの人間がいる。
その誰もが、自分たちを敵だと思っている。
リュウは剣を握ったまま、ジャムルを見る。
「……何もしないのか?」
ジャムルは答えた。
「……何もしない」
「そんなことしたら、お前が……」
「大丈夫だ」
ジャムルは笑った。
その瞬間だった。
ひゅっ、と。
何かが空を切った。
ごつん。
鈍い音がした。
ジャムルの額に、石が当たった。
「……」
一瞬。
時間が止まったようだった。
ジャムルの身体が、わずかに揺れる。
額から。
赤い血が流れた。
「ジャムル!」
カオルが叫んだ。
「大丈夫」
ジャムルは額に手を当てた。
指先に血がつく。
それを見ても。
怒らなかった。
「大丈夫だから」
だが。
一つの石が投げられたことで。
何かが壊れた。
「魔王の手先だ!」
「殺せ!」
「勇者を殺せ!」
次の石が飛んできた。
肩に当たる。
さらに別の石が足元へ落ちる。
そして。
三つ目。
四つ目。
石が次々と飛んでくる。
カオルがジャムルの前へ出る。
「やめて!」
「お願いだから、やめて!」
両手を広げる。
だが。
人々は止まらない。
「魔王を出せ!」
「俺たちを守れ!」
「勇者なら魔王を殺せ!」
「お前が死ねばいい!」
その声が。
大通りを埋め尽くしていく。
ジャムルは動かなかった。
避けることもできた。
怒鳴り返すこともできた。
剣を抜くこともできた。
けれど。
しなかった。
その間にも。
後ろにいた三人がジャムルへ近づこうとする。
「ジャムル!」
カオルが手を伸ばす。
しかし。
その前に、兵士たちが立ちはだかった。
「下がってください!」
「何をするの!」
「近づけば、あなたたちまで暴動に巻き込まれます!」
「私たちは仲間よ!」
カオルが叫ぶ。
「ジャムルを一人にできない!」
「危険です!」
兵士たちは必死に四人を分断しようとする。
誰かを守ろうとしているのか。
それとも。
ただ事態を収めようとしているのか。
彼ら自身にも、もう分からなかった。
リュウが兵士の腕を振り払う。
「離せ!」
「駄目です!」
「ジャムルのところへ行かせろ!」
「今行けば、あなたたちまで狙われます!」
「そんなの知るか!」
リュウが兵士を押しのけようとする。
ミツヒロも声を張り上げた。
「ジャムル!」
だが。
人の波が邪魔をする。
兵士たちも動けない。
民衆も退かない。
その向こうで。
ジャムルだけが、三人を見ていた。
「来るな」
カオルが叫ぶ。
「何を言ってるの!」
「来るな」
「ジャムル!」
「大丈夫だ」
「大丈夫なわけないでしょう!」
カオルの声が震える。
目には涙が浮かんでいた。
ジャムルは。
そんな彼女を見て。
ほんの少しだけ笑った。
「俺は皆を守りたい」
カオルは言葉を失った。
リュウも。
ミツヒロも。
何も言えなかった。
ジャムルは、最後まで剣を抜かなかった。
自分を囲む人々を見つめる。
怒りに満ちた顔。
恐怖に歪んだ顔。
泣いている者。
叫んでいる者。
その中には。
昨日、花を投げてくれた人間もいたのかもしれない。
昨日。
自分たちを英雄と呼んだ人々が。
今日は、自分を殺そうとしている。
それでも。
ジャムルは剣を抜かなかった。
そして。
群衆が。
一斉に押し寄せた。




