凱旋
翌日。
ノンマルト王国の王都は、朝から異様なほどの熱気に包まれていた。
大通りには色とりどりの旗が掲げられ、建物の窓からは布や花飾りが垂れ下がっている。
普段ならば商人たちの呼び声や、行き交う人々の足音が響く通りも、今日は違った。
道の両脇を埋め尽くすほどの人、人、人。
老若男女を問わず、誰もが同じ方向を見つめている。
やがて。
遠くから歓声が上がった。
「来たぞ!」
「勇者様だ!」
「勇者様が来た!」
歓声は波のように広がっていった。
通りの向こうから、ゆっくりと馬車が姿を現す。
その上に立っていたのは、四人の若者たちだった。
勇者ジャムル。
そして、その仲間たち。
カオル。
リュウ。
ミツヒロ。
魔王討伐を成し遂げた四人だった。
馬車が進むたび、沿道から花が投げ込まれる。
色鮮やかな花びらが宙を舞い、風に乗って四人の頭上へ降り注いだ。
「勇者様!」
「ジャムル様!」
「魔王を倒してくれてありがとう!」
「ノンマルトを救ってくれてありがとう!」
子どもたちは声を張り上げ、両手を振っている。
大人たちも笑顔で手を振り返していた。
中には涙を流しながら祈るように手を組んでいる者までいる。
それだけ、この国にとって魔王という存在は大きかった。
魔王が倒された。
それだけで、人々の胸には明日への希望が生まれていた。
長く続いた不安が終わった。
もう怯えなくていい。
もう、大切な人を奪われることはない。
そんな思いが、歓声となって王都を満たしていた。
その中心にいるジャムルは、笑顔で手を振っていた。
「ありがとう!」
声を張り上げながら、沿道の人々に応える。
子どもたちが嬉しそうに手を振れば、ジャムルも大きく手を振り返した。
「勇者様ー!」
「お兄ちゃーん!」
「こっち見てー!」
ジャムルは笑いながら、その声に応える。
隣ではカオルも笑っていた。
「すごいね……」
思わずこぼれた声には、驚きと喜びが混じっている。
数日前まで、自分たちは魔王城で死ぬかもしれない戦いをしていた。
それが今は、こうして国中の人々に迎えられている。
カオルは沿道に向かって何度も手を振った。
リュウは最初こそ落ち着かない様子だったが、子どもたちから一際大きな声で呼ばれると、照れくさそうに片手を上げた。
「……ったく」
そう呟きながらも、その顔には隠しきれない笑みが浮かんでいる。
ミツヒロは少し身を乗り出し、沿道の子どもたちへ笑顔を向けた。
子どもたちはそれだけで嬉しそうに飛び跳ねている。
四人とも笑っていた。
沿道の人々も笑っていた。
誰もが、この瞬間を幸せなものとして受け止めていた。
魔王は倒された。
勇者は帰ってきた。
そして、ノンマルト王国には平和が戻った。
少なくとも、人々はそう信じていた。
ジャムルも笑っていた。
笑顔を絶やさず、手を振り続ける。
しかし。
ほんの一瞬。
その手が止まった。
ジャムルの視線が、わずかに下へ落ちる。
右手が、そっと胸元へ触れた。
「……」
服越しに、自分の胸へ手を当てる。
そこに傷があるわけではない。
痛みがあるわけでもない。
けれど。
確かに感じる。
胸の奥。
身体の内側。
自分ではない、もう一つの存在。
――ブルーメ。
昨日、自分自身の中へ封じた魔王。
その存在が、今もそこにいる。
ジャムルは目を伏せた。
すると。
ほんの僅かに。
頭の奥へ声が届いた。
『……』
言葉ですらない。
ただ、何かがそこにいる。
その気配だけが、かすかに伝わってくる。
ジャムルは小さく息を吐いた。
そして、誰にも聞こえないほどの声で呟く。
「……静かにしてろ」
それは、自分自身へ言い聞かせているようでもあった。
しかし。
その様子に気づいた者がいた。
カオルが振り返る。
「どうしたの?」
ジャムルは一瞬だけ固まった。
だが、すぐに笑顔を作る。
「いや」
胸元から手を離し、何事もなかったように顔を上げる。
「何でもない」
「そう?」
「ああ」
ジャムルは頷いた。
そして再び、沿道の人々へ手を振る。
「ありがとう!」
歓声が返ってくる。
「勇者様!」
「ジャムル様!」
花が舞う。
子どもたちが笑う。
人々が祝福する。
その光景の中で、ジャムルもまた笑っていた。
誰も気づいていない。
誰も知らない。
この英雄の身体の中に。
この国を救ったはずの勇者の中に。
かつて人々が恐れ、憎み、倒そうとした魔王がいることを。
そして。
この時、誰も知らなかった。
英雄として帰還したこの男が。
やがて、この国で最も恐れられる存在になることを。




