↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

報告

魔王城を出てから、数時間が経っていた。


空はすでに夜の色へ変わり始めている。


遠くの山々が黒い影となって連なり、その向こうには薄紫色の空が残っていた。


四人は馬車に揺られながら、ノンマルト王国へ戻っていた。


誰も、ほとんど口を開かなかった。


疲れていた。


肉体的な疲労だけではない。


長い旅、魔界での常に気を張った生活。


魔族、魔獣との戦闘。


魔王ブルーメとの戦い。


そして。


その魔王を殺さず、ジャムル自身の身体へ封じたという事実。


それを、まだ四人とも完全には受け止めきれていなかった。


馬車の小さな窓から、カオルが外を眺めている。


夜の街道を、月明かりが照らしていた。


「……本当に、大丈夫なの?」


カオルが小さく尋ねた。


向かい側に座っていたジャムルが顔を上げる。


「何が?」


「だから……」


カオルの視線が、ジャムルの胸元へ向かう。


服の下。


そこには、黒い紋様が刻まれている。


魔王ブルーメを封じた証。


ジャムルは、その視線に気づいた。


「大丈夫だよ」


「……本当に?」


「うん」


ジャムルは胸元を軽く叩いた。


「ちゃんといる」


「いるって……」


カオルが嫌そうな顔をする。


ジャムルは苦笑した。


「ブルーメが…」


「……」


その名前を聞いた瞬間。


馬車の中に、妙な沈黙が落ちた。


リュウは窓の外を見たまま、口を開かなかった。


ミツヒロも黙っている。


誰もが意識してしまう。


自分たちの仲間の中に。


世界を滅ぼしかけた魔王がいる。


それでも。


ジャムルは笑っていた。


「まあ、今のところ何もない」


「今のところって言った……」


「細かいことは気にするな」


「気にするわよ!」


カオルが声を上げる。


ジャムルは少しだけ笑った。


その様子を見て。


リュウがようやく口を開いた。


「……お前、本当に変わらないな」


「何が?」


「こんな状況なのに、いつも通りだ」


「いつも通りじゃないと困るだろ」


ジャムルは窓の外を見た。


遠くに、小さな明かりが見える。


ノンマルト王国。


自分たちが帰る場所。


「帰るんだから」


その言葉に。


カオルは何も返さなかった。


やがて。


馬車は王都へ入った。


夜の王都には、まだ多くの明かりが灯っていた。


街の人々は、魔王討伐の知らせをすでに受け取っていたらしい。


通りには兵士たちが並び、城へ続く道が開けられている。


四人が馬車から降りると、待っていた兵士たちが一斉に頭を下げた。


「勇者様、お帰りなさいませ!」


その声に。


ジャムルは少し驚いたように目を瞬かせた。


「……ただいま」


それだけ答える。


兵士たちは深く頭を下げた。


誰もが笑っている。


魔王が倒された。


その知らせが、すでに王都中へ広がっているのだろう。


誰もが信じていた。


長い戦いが終わったのだと。


誰もが思っていた。


これで、平和になったのだと。


しかし。


ジャムルだけは知っていた。


本当の意味では。


まだ何も終わっていない。


王城の大広間。


高い天井には巨大なシャンデリアが吊るされ、壁には歴代の国王を描いた肖像画が並んでいる。


赤い絨毯の先。


その最奥に、ノンマルト王国の国王が立っていた。


本来ならば、玉座に座っているはずの王だった。


しかし。


四人が大広間へ入ってきた瞬間。


国王は自ら玉座を立った。


そして。


ゆっくりと四人を見つめる。


最初に目に入ったのは、傷だらけの姿だった。


破れた服。


汚れた鎧。


包帯。


血の跡。


それでも。


四人は立っていた。


国王の顔に、深い安堵が浮かぶ。


「よくぞ戻った」


声が少し震えていた。


「勇者ジャムル」


ジャムルは国王の前まで歩く。


そして。


深く頭を下げた。


「ただいま戻りました」


その言葉に。


国王は一瞬だけ目を閉じた。


「……よくやった」


長い戦いだった。


何人もの兵士を失った。


いくつもの町が焼かれた。


多くの民が故郷を失った。


それでも。


今日。


魔王を討った勇者が帰ってきた。


国王にとって、それは何よりも嬉しい報告だった。


「魔王は?」


国王が尋ねる。


その一言で。


ジャムルの表情が少しだけ変わった。


ほんの僅かだった。


けれど。


仲間たちは気づいた。


カオルがジャムルを見る。


リュウも。


ミツヒロも。


ジャムルは一度だけ息を吸った。


そして。


「俺の中に封印しました」


国王の表情が固まった。


「……何?」


広間にいた側近たちもざわめく。


国王は聞き間違いではないかとでもいうように、ジャムルを見つめた。


「今、何と言った?」


ジャムルはもう一度、はっきりと答える。


「魔王ブルーメは、俺の身体に封印しました」


「……」


誰も声を出さなかった。


国王の視線が、ジャムルの胸元へ向かう。


そこには服越しにも分かるほど、僅かに黒い紋様が浮かんでいる。


国王が一歩近づく。


「殺したのではないのか?」


「はい」


「なぜだ」


その問いに。


カオルが口を開いた。


「魔王は、完全には殺せないそうです」


国王がカオルを見る。


カオルは魔王城で聞いたブルーメの言葉を、一つずつ説明した。


「人間の恐怖や悪意から生まれる存在だから……人間がいる限り、何度でも復活するって」


リュウが続ける。


「魔王を殺せば終わるんじゃない」


「……」


「人間が魔王を恐れれば恐れるほど、また蘇るらしい」


ミツヒロも静かに頷いた。


「だから、ジャムルが自分の身体に封じました」


国王は何も言わなかった。


ただ、ジャムルを見つめている。


やがて。


「おぬしは……」


国王の声が低くなる。


「それでいいのか」


「はい」


即答だった。


「まことにか?」


「はい」


「おぬしは、自分の身体の中に魔王を封じたのだぞ」


「分かっています」


「魔王が何をするかも分からん」


「それも分かっています」


「それでもか」


ジャムルは頷いた。


「それでもです」


国王は黙り込んだ。


しばらくの間。


広間には、誰一人として口を開く者はいなかった。


やがて。


国王が尋ねた。


「おぬしが死ねば」


その言葉に。


ジャムルの表情が僅かに曇る。


「魔王も復活するのだな」


「はい」


国王は目を伏せた。


「……そうか」


その一言だけだった。


けれど。


その顔からは、先ほどまでの喜びが消えていた。


魔王を討伐した。


そう思っていた。


ようやく終わった。


そう思っていた。


だが。


終わってなどいなかった。


魔王は今。


勇者の身体の中にいる。


そして。


勇者が死んだ瞬間。


魔王は再び、この世界へ現れる。


国王は玉座へ戻らず、その場に立ったまま考え込んでいた。


やがて。


ジャムルが静かに口を開く。


「だからこそ」


国王が顔を上げる。


「お願いがあります」


ジャムルは国王の前へ歩み寄った。


そして。


深く頭を下げた。


「俺が生きている間に、ノンマルトを立て直してください」


国王は黙っている。


「……」


「魔王との戦いで、国は大きく傷ついています」


ジャムルは続けた。


「街も」


「兵士も」


「人々の生活も」


「全部、元に戻す必要があります」


国王はゆっくりと頷いた。


「分かっておる」


「それだけじゃありません」


ジャムルが顔を上げる。


「兵士を育ててください」


「……」


「魔王と戦える人間を育ててください」


国王の目が細くなる。


「そして」


ジャムルは一度だけ息を吸った。


「次の勇者を」


その言葉に。


国王の眉が動いた。


「次の勇者……」


「はい」


「もう次の話をするのか」


国王の声には、僅かな戸惑いがあった。


今。


目の前にいる勇者が帰ってきたばかりなのだ。


普通なら。


祝福し。


傷を癒やし。


褒美を与え。


これから始まる平和な時代について話すところだった。


それなのに、ジャムルは自分の死後の話をしている。


「俺が死んだ時」


ジャムルは静かに言った。


「すぐに魔王と戦えるように」


国王はジャムルを見つめる。


「その時まで、俺が魔王を抑えます」


「……」


「だから」


ジャムルは頭を下げた。


「それまでに、準備をしてください」


国王は長い沈黙の中にいた。


窓の外では、夜の王都が静かに広がっている。


街灯が点々と並び、人々の暮らす家々から明かりが漏れている。


魔王が倒されたと知って。


今頃、王都では多くの人間が喜んでいるだろう。


家族と抱き合っている者もいる。


酒場で祝杯を上げている者もいる。


明日からは、もう魔王を恐れなくていい。


そう信じている者もいるだろう。


その平和を。


この男は自分の命を使って維持しようとしている。


国王は、ゆっくりと目を閉じた。


そして。


「分かった」


短い言葉だった。


しかし。


その声には、国王としての決意が込められていた。


「おぬしが生きている間に、国を立て直そう」


ジャムルが顔を上げる。


「ありがとうございます」


「兵士も育てる」


「はい」


「魔王と戦える者も育てよう」


「お願いします」


「そして」


国王は一度、言葉を切った。


「次の勇者を探す」


ジャムルは深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


国王はそんなジャムルをしばらく見つめていた。


そして。


ふと。


あることに気づいた。


「……このことは」


国王の声が低くなる。


「民には知らせない」


ジャムルが顔を上げる。


「魔王が勇者の身体の中にいることは、伏せる」


「はい」


「理由は分かるな?」


「分かります」


ジャムルは苦笑した。


「魔王が勇者の中にいるなんて知れば、皆が怖がりますから」


「そうだ」


国王は頷いた。


「魔王を倒した勇者が、魔王を宿している」


その事実だけが広まれば。


人々はどう思うだろう。


勇者を信じる者もいるだろう。


しかし。


恐れる者もいる。


疑う者もいる。


そして。


恐怖というものは。


一度広がれば、止めることが難しい。


それは。


魔王ブルーメ自身が語ったことでもある。


人間の恐怖。


不安。


疑念。


憎悪。


それらが、魔王を生み出す。


だからこそ。


秘密にする必要がある。


国王は側近たちへ向き直った。


「この件について知っている者は?」


側近たちが顔を見合わせる。


「ここにいる者だけです」


「ならば」


国王は厳しい声で命じた。


「決して口外するな」


「はっ」


側近たちが一斉に頭を下げる。


ジャムルは、その様子を見ながら胸元へ手を当てた。


黒い紋様。


その奥。


そこには。


魔王がいる。


今も。


おそらく。


こちらの様子を見ている。


ジャムルは心の中で、小さく呟いた。


――静かにしてろよ。


すると。


ほんの僅かに。


胸の奥から声がした。


『……ふふ』


ジャムルの眉が動く。


けれど。


誰にも聞こえない。


ブルーメの声は。


ジャムルの中だけに響いていた。


国王が尋ねる。


「どうした?」


「いえ」


ジャムルは胸元から手を離した。


「何でもありません」


そして。


いつものように笑った。


その笑顔を見て。


国王は少しだけ安心した。


この男なら。


大丈夫なのかもしれない。


そう思った。


しかし。


その判断が正しかったのか。


その時の国王には分からなかった。


王城の外では。


魔王討伐の知らせを聞いた人々が、喜びの声を上げていた。


街のあちこちで灯りがともり。


酒場では祝杯が上がり。


子どもたちは「勇者が魔王を倒した」と笑っている。


誰もが。


平和が戻ったと思っていた。


その平和の中心に。


魔王を宿した勇者がいることも知らずに。


そして。


その秘密が。


人々の恐怖を生み出すことになるのも。


まだ誰も知らなかった。


国王が願ったように。


この秘密は、守られるはずだった。


少なくとも。


そのはずだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。