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異世界交差点の小料理屋〜10年修行した女板前は、今日も日本の裏口から仕入れた食材で疲れた異世界人の胃袋と心を癒やします〜  作者: タカノ


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第55話:商会の崩壊と、勝利のカツカレー

王都アルカディアの空が、まだ白み始めたばかりの早朝。

王都の一等地にそびえ立つ絢爛豪華な『ゴードン商会』の本部ビルは、かつてないほどの凄まじい怒号と混乱の渦に飲み込まれていた。


「な、何事だ貴様ら!? ここをどこだと心得る! 私は王都の経済を回すゴードン商会の会長だぞ! 無断で踏み込むなど、ただで済むと——」

「黙れ、悪党。てめぇの寝言に付き合ってやる時間は一秒たりともねぇんだよ」

豪奢な執務室の分厚い扉を蹴り破り、ドカドカと踏み込んできたのは、抜刀した王都警備隊第三部隊の面々であった。先頭に立つ隊長バルトルトは、寝巻き姿で狼狽えるゴードンに対し、羊皮紙の束を冷徹に突きつけた。

「ゴードン商会による、数年にわたる大規模な脱税の確たる証拠。違法薬物の密輸ルートの全記録。および、複数の貴族に対する贈賄の帳簿だ。王国宰相閣下の直筆による、家宅捜索および資産の即時凍結令状も出ているぜ」

「なっ……馬鹿な!? そ、その帳簿は絶対に誰にも見つからない極秘の金庫に……なぜ貴様らごとき下っ端警備隊がそれを持っている!?」

ゴードンは目を見開き、わななきながら後ずさった。

それもそのはずである。その証拠書類は、昨夜のうちにエルフの密偵ファリスが率いる公爵家の暗部が音もなく潜入し、すべての罠と結界を解除して根こそぎ奪い取ってきたものだからだ。

「おい、私兵どもは何をしている! こいつらをつまみ出せ!」

ゴードンが叫ぶが、駆けつけてきた傭兵たちは皆、腰の剣を抜くことすらできずに立ち尽くしていた。

「か、会長……ダメです。俺たちの武器、昨夜のうちにギルドの連中に細工されたのか、柄が腐って折れたり、刃がボロボロに崩れたりして、使い物になりません……!」

「武器商人も、食料問屋も、すべて我が商会との取引を停止すると通達してきました! 商会の物流が、王都から完全に絶たれています!」

ドワーフの鍛冶職人ドランがギルドに回した根回しが、完璧に機能していた。

「通信だ! 王都の外にいる部隊に通信魔法で助けを呼べ!」

「そ、それが……なぜか昨日の夜中から、この建物からの通信魔法の魔力波形だけがすべて妨害(ジャミング)されていて、外部と一切の連絡が取れません!」

新米魔法使いミレイユの、地味だが極めて凶悪なサポートである。


政治、警察、物流、通信。

そのすべての逃げ道を、たった一晩のうちに、完璧に、かつ無慈悲に塞がれたのだ。

「あ、あ、あああ……」

ゴードンはその場にへたり込み、絶望に顔を歪めた。

ほんの昨夜まで、路地裏の小さな小料理屋を鼻で笑い、金で叩き潰そうとしていた男は、わずか半日足らずで、王都における『社会的な死』を完全に突きつけられたのである。

「……言ったはずだぜ」

バルトルトが、腰を抜かしたゴードンを見下ろし、極めて冷酷な、しかしどこか満足げな笑みを浮かべて囁いた。

「俺たちの愛する『オアシス』に泥靴で踏み込もうとするドブネズミは、一匹残らずすり潰して消し去ってやるってな。……連行しろ!」

王都の裏社会を牛耳っていた悪徳商会は、こうして朝の太陽が昇り切る前に、呆気ないほど静かに、そして完全に崩壊を迎えたのであった。


***


同じ頃。

王都の裏路地にひっそりと佇む小料理屋『結(むすび)』の厨房では、店主の藤原栞(ふじわらしおり)が、いつもと変わらない穏やかな朝を迎えていた。

「ふふふーん♪ 今日もいいお出汁が引けそう」

昨夜、悪徳商人に店を差し押さえるという理不尽な脅迫を受けたことなど、持ち前のサバサバとした性格で綺麗さっぱり忘却の彼方へと追いやり、彼女は朝から元気よく仕込みを始めていた。

コンロの上では、小鍋でコトコトと何かが煮込まれており、スパイシーで食欲をそそる香りが厨房いっぱいに広がっている。


「昨日はお客さんたち、夜中までお仕事の打ち合わせをしてたみたいだし、きっと今頃はすごく疲れてお腹を空かせているはずよね。今日は朝から、ガツンと精のつくものを食べさせてあげなくちゃ!」

栞がそう独り言を呟いた、まさにその時だった。


ガラガラガラッ!!

「女将ぁぁぁぁっ!! 腹が! 腹が減って死にそうだぁぁぁっ!!」

勢いよく引き戸が開け放たれ、店内に転がり込んでくるようにして入ってきたのは、バルトルト、ドラン、ファリス、ミレイユの四人だった。

彼らは全員、徹夜明けのひどい顔をしており、目の下にはクマを作り、髪はボサボサであった。しかし、その瞳の奥には、何か大きな仕事を成し遂げた後のような、異様なほどの達成感と清々しい光が宿っていた。


「いらっしゃいませーっ! 皆さん、朝早くからお揃いでどうしたんですか?」

「はぁ、はぁ……女将、昨日は徹夜でちょっとした『大掃除』をしてきてな。王都の巨大な粗大ゴミを処分するのに、骨が折れたぜ……」

バルトルトがカウンターに突っ伏しながら言う。

「エルフの魔力も限界だ。……頭を使わずとも、ただ本能のままに胃袋を満たせる、暴力的なまでの『熱(カロリー)』が欲しい」

ファリスでさえ、普段の優雅さをかなぐり捨ててテーブルに顔を伏せている。

「肉だ! 肉と、たっぷりの飯を食わせろ!」

「私、お腹と背中がくっつきそうですぅぅ……!」

ドランとミレイユも、死にそうな声でご飯を要求した。


「ふふっ。徹夜のお仕事、本当にお疲れ様でした。皆さんがものすごくお腹を空かせて来るんじゃないかって、ちゃんと予想してましたよ」

栞は真っ白な割烹着の袖をキリッとまくり上げ、不敵な笑みを浮かべた。

「疲労困憊で、脳みそが糖分とカロリーを極限まで欲している皆さんにぴったりの、最高にジャンクで、最高に贅沢な『勝利のご飯』を作ってあげます!」

「しょ、勝利のご飯……!?」

その言葉に、四人はピクリと反応した。自分たちが裏で悪徳商人を打ち倒してきたことを、この女将は知っているのだろうか。いや、そんなはずはない。偶然の一致だ。だが、その偶然の響きすらも、今の彼らにはたまらなく心地よかった。


栞はすぐさま調理に取り掛かった。

まずは、メインとなる肉の準備だ。冷蔵庫から取り出したのは、異世界の市場で仕入れた上質な『オークの豚ロース肉』。大人の手のひらほどもある分厚いブロック肉だ。

栞はミスリルの包丁で肉の筋を丁寧に切り、肉叩きで繊維を叩いて柔らかくする。そこに軽く塩コショウを振り、小麦粉、卵、そして粗めの生パン粉をたっぷりと纏わせた。

天ぷら鍋には、ラード(豚脂)とサラダ油をブレンドした特製の揚げ油が、百六十度の絶妙な温度で熱されている。

そこへ、黄金色の衣を纏った巨大な豚肉を、静かに沈め込んだ。


——ジュワァァァァァァァァッ!!!


香ばしい油の弾ける音が店内に響き渡り、ラードの甘い匂いが徹夜明けの常連客たちの鼻腔を容赦なく強打した。

「うおぉぉっ! 朝から揚げ物の匂い! 胃袋が暴力的に目を覚ましやがった!」

バルトルトが身悶えする。

しかし、栞の魔法はこれだけではない。

隣のコンロでコトコトと煮込まれていた小鍋。栞はその蓋を、パカッと開け放った。


——フワァァァァァァッ……!!


「なっ……なんだこの匂いは!?」

「ス、スパイシーで、信じられないくらい複雑な香りがするぞ!?」

鍋から立ち昇ったのは、数十種類のスパイスが複雑に絡み合った、黄金色の香りの暴力。

日本の国民食にして、最強のB級グルメ——『カレー』の匂いである。

栞が作っていたのは、ただのカレーではない。玉ねぎを飴色になるまで一時間以上かけてじっくりと炒め、そこにオーク肉の端材と、すりおろしたリンゴ、ニンジン、セロリを加えて極上のブイヨンで煮込んだベース。

そこへ、日本の裏口から調達した『業務用カレー・ルウ』をたっぷりと溶かし込む。

日本のカレールウは、それ単体でも異世界においてはオーパーツ(反則級の魔法薬)に等しいほどの完成された旨味を持っているが、栞はさらにそこへ、異世界の市場で見つけた『火吹き草』というピリッとした辛味を持つハーブと、『一角牛(ホーンブル)』のコクのある脂を隠し味としてブレンドしていた。

日本の完成されたカレールウと、異世界の食材が奇跡の融合を果たした、究極の『特製スパイスカレー』である。


「よし、カツも揚がったわね!」

栞は、キツネ色に完璧に揚がった極厚の豚カツを油から引き上げ、ザクッ、ザクッ! と包丁で小気味良い音を立てて切り分けた。

断面からは、ほんのりと桜色を残した豚肉から熱々の肉汁がジュワリと溢れ出している。

栞は深めの巨大な平皿に、炊きたてのツヤツヤの白ご飯を山のように盛り付ける。

その上に、サクサクの極厚豚カツをドンッと乗せ。

最後に、小鍋でグツグツと煮えたぎる黄金色の特製カレーを、カツの半分を覆うようにして、波々と、豪快にぶっかけたのだ。


「お待たせしました!」

栞は、ズッシリと重いその皿を四人の前にドンッ、ドンッと置いていった。

「当店特製、疲労回復とスタミナ満点の最高峰……『極厚・特製カツカレー』です!」

皿の傍らには、真っ赤な福神漬けと、冷たい氷水が添えられている。


「カ、カツカレー……!」

バルトルトたちは、目の前に置かれた圧倒的なカロリーの山と、鼻腔を支配するスパイスの暴力的な匂いに、完全に魂を奪われていた。

黄金色のカツ。琥珀色のとろみのあるカレー。そして白く輝くご飯。

視覚、嗅覚、そして本能のすべてが「これを食え」と叫んでいる。


「……いただくぜ」

バルトルトは震える手でスプーンを握りしめ、まずはカレーがたっぷりとかかった豚カツの一切れと、白ご飯を一緒にすくい上げ、大きな口を開けて一気にかぶりついた。


——ザクゥッ!!


「…………ッッ!!!!!」

咀嚼した瞬間、バルトルトの脳髄を、未知の雷のような衝撃が突き抜けた。

耳の奥で心地よく響く、極厚カツのサクサクとした衣の音。そこから溢れ出す、オーク肉の暴力的なまでの濃厚な脂の甘み。

そして、それらをすべて包み込み、味覚の限界を突破させてきたのが『特製カレー』の存在だった。

口に入れた瞬間は、炒め玉ねぎと果実の深い甘みが広がる。しかし次の瞬間、日本のカレールウに潜む数十種類のスパイスと、異世界の『火吹き草』の刺激が、時間差で口内をバチバチと弾け回るのだ。

甘い、辛い、旨い。

濃厚なカレーのルーが、サクサクのカツの衣に染み込み、それが熱々の白ご飯と完璧に絡み合って、喉の奥へと滑り落ちていく。


「う……うぉぉぉぉぉぉっ!!!」

バルトルトは、朝の路地裏であることを忘れて、歓喜の絶叫を上げた。

「うめぇぇぇぇぇっ! なんだこれ、なんだこの食い物は! 揚げた肉の脂っこさを、この複雑でスパイシーなドロドロのスープが完璧に中和して、逆に無限に食欲を倍増させやがる! 米が……米が止まらねぇぇぇっ!」

バルトルトはもはや言葉を捨て、ただひたすらに、狂ったようにスプーンを動かしてカツカレーをかき込み始めた。


「ああっ! 辛い! でも美味しい! お肉が柔らかくて、スープの味が深くて……脳みそが溶けちゃいそうですぅぅっ!」

ミレイユもまた、顔を真っ赤にして汗をかきながら、自分より大きなスプーンで次々とカレーを頬張っている。

「ガハハハッ! こいつはすげぇ! 彻夜明けの身体に、このスパイスの刺激と揚げ物の暴力が、直接エネルギーとして叩き込まれてくるのがわかるぞ!」

ドランが髭にカレーをつけながら豪快に笑い、カツを噛みちぎる。

「……素晴らしい。このスパイスの複雑な調和。そして、赤い漬物(福神漬け)のポリポリとした食感と甘酸っぱさが、完璧な箸休めとして機能している。……恐ろしいほどに完成された、勝利を祝うにふさわしい至高の一皿だ」

ファリスもまた、エルフの優雅さを保ちつつも、そのスプーンの動きは完全に限界を突破した猛スピードであった。


ザクッ、ハフッ、ゴキュッ。

店内に響き渡るのは、四人が夢中になってカツカレーを平らげる音と、氷水を飲み干す音だけだ。

彼らの身体を重く覆っていた徹夜の疲労と、大仕事を終えた重圧は、カツカレーの圧倒的なカロリーとスパイスの力によって、一瞬にして燃やし尽くされ、新たな活力へと変換されていった。


「……ぷはぁぁぁぁっ!!」

数分後。

バルトルトは完全に空になった大皿を置き、最後の一滴の氷水を飲み干して、天を仰いで至福の吐息を漏らした。

全身から汗が噴き出しているが、その表情はこれ以上ないほど晴れやかで、満ち足りていた。

「……食った。最高だった。女将、お前のこの『カツカレー』ってやつは、王都のどんな高級料理よりも、俺たちの魂を救ってくれる魔法の飯だ」

「ふふっ、お粗末様でした。皆さんの徹夜のお仕事の疲れ、少しは吹き飛びましたか?」

栞がニコニコと笑いながら、空になった皿を下げていく。


「ああ。完膚なきまでにな」

バルトルトは、隣に座るファリス、ドラン、ミレイユと顔を見合わせた。

昨夜のゴードンの襲来。そして、一晩で悪徳商会を王都の歴史から完全に抹殺した、自分たちの暗躍。

その事実を、この優しくて真っ直ぐな女将に告げるつもりは毛頭なかった。彼女はただ、美味しいご飯を作り、笑顔で「いらっしゃい」と迎えてくれればそれでいいのだ。

この温かいオアシスを守り抜いたという事実は、彼らだけの誇り高き秘密である。


「女将」

バルトルトが、カウンター越しに栞に笑いかけた。

「俺たちのオアシスは、今日からまた、世界一平和で、世界一美味い飯が食える場所に戻ったぜ。……これからも、俺たちの胃袋をよろしく頼むな」

「はいっ! もちろんですよ。明日は何を作りましょうか?」

栞の明るい声と、スパイスの心地よい香りが、朝の光が差し込み始めた店内に優しく響き渡る。


誰にも言えない、しかし誰よりも確かな『勝利の味』。

極上のカツカレーを腹いっぱいに詰め込んだ常連客たちは、満面の笑みを浮かべながら、それぞれの日常へと帰っていく。

小料理屋『結』は、二つの世界を結ぶ境界線で、今日も変わらず、温かく美味しい平和な一日を始めるのであった。

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