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異世界交差点の小料理屋〜10年修行した女板前は、今日も日本の裏口から仕入れた食材で疲れた異世界人の胃袋と心を癒やします〜  作者: タカノ


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第45話:踊る鰹節と、お好み焼きパニック

王都アルカディアを熱狂の渦に巻き込む『建国祭』の広場において、小料理屋『結(むすび)』の特設屋台は、早くも伝説を生み出しつつあった。

日本の紀州備長炭が放つ遠赤外線と、何十年も継ぎ足されてきたかのような錯覚を起こさせる特製甘辛ダレ。それらが交わって生み出される暴力的なまでの『焦がし醤油』の匂いは、広場を行き交う人々の理性を次々と刈り取り、屋台の前には長蛇の列が形成されていた。


「並べ並べ! 順番を守らねぇ奴には、一生この『ヤキトリ』を食わせねぇぞ!」

王都警備隊長バルトルトが、鎧姿のまま屋台の前に立ち、交通整理と集金を完璧にこなしている。彼が率いる第三部隊の面々も、最後尾の札を持ったり、列が他の屋台の邪魔にならないよう誘導したりと、王都の治安維持よりも遥かに高いモチベーションで動き回っていた。


「はい、お待たせしました! 焼き鳥三本お待ちのお客さん!」

「うおおおっ、これだ! この匂い! 姉ちゃん、ありがとうよ!」

真っ白な割烹着にねじり鉢巻姿の栞(しおり)は、額に汗を浮かべながら、手裏剣のような早業で串を返し、タレに潜らせ、焼き上げている。客たちは渡された串にかぶりつくや否や、全員が例外なく「うめぇぇぇっ!」と天を仰いで叫び、そのままエールの屋台へと駆け出していく。

飛ぶように売れる焼き鳥。銀貨がチャリンチャリンと音を立てて木箱に吸い込まれていく。

だが、栞の表情にはわずかな焦りが滲み始めていた。


(……ダメだわ。焼き鳥だけじゃ、この客数には到底追いつかない!)

串を焼き上げるスピードには、物理的な限界がある。炭火の面積には限りがあり、生肉から中まで火を通すにはどうしても一定の時間がかかるのだ。並んでいる客たちはバルトルトの威圧感で大人しくしているものの、その腹の虫は限界を迎えつつある。

「女将! 列が広場の入り口まで伸びちまったぞ! このままじゃ、全員に行き渡る前に夜が明ける!」

バルトルトが焦燥の声を上げた。

「わかってます! だから、ここから第二陣の投入です! バルトルトさん、隣の鉄板の火を最大にしてください!」

「お、おう! ついにあれをやるんだな!」


栞は焼き台の管理を一時的にペースダウンさせ、隣に鎮座する幅一メートル半の巨大な極厚鉄板の前に立った。

日本から取り寄せた、お好み焼き専用のプロ仕様鉄板。

鉄板の温度が二百度近くに達したのを確認すると、栞は油を引き、巨大なボウルを抱え上げた。

中に入っているのは、昆布と鰹の極上出汁で溶いた小麦粉、すりおろした長芋、そして山のように刻まれた新鮮なキャベツと天かす、紅生姜、卵を合わせた『お好み焼きの生地』である。


「いきますよ!」

栞はお玉を使い、鉄板の上へと次々に生地を流し落としていく。

——ジューーーーーッ!!!

凄まじい音と共に、十枚以上の生地が同時に円形に広がっていく。

列に並んでいた客たちが、一斉に背伸びをして鉄板を覗き込んだ。

「なんだ? 野菜の入ったドロドロのスープを鉄板にぶちまけたぞ?」

「スープを焼いてどうするんだ? パンでも作る気か?」

異世界の人々にとって、お好み焼きの調理工程は完全に未知の領域だ。彼らが不思議そうに見つめる中、栞は間髪入れずに、薄切りにしたオークの豚バラ肉を生地の上に隙間なく敷き詰めていく。

「肉を乗せた! だが、あんな薄っぺらい肉で腹が膨れるのか?」

客たちの疑問をよそに、栞は数分間、生地の底面が焼けるのを待った。

キャベツが蒸され、甘い匂いが立ち昇り始めた瞬間。

栞は両手に二枚のコテ(金属のヘラ)を持ち、構えた。


「よっ、はっ!」

パンッ! パンッ! パンッ!

目にも留まらぬ速さで、栞は十枚以上のお好み焼きを次々と空中で反転させ、鉄板に叩きつけていく。

その見事な手返しに、客たちから「おおっ!」とどよめきが上がった。

反転した生地の表面では、オークの豚肉がカリカリに焼け、黄金色の見事な焼き目を晒している。豚肉から出た脂が鉄板に広がり、生地の周囲を揚げ焼きにするようにチリチリと音を立てた。

「す、すげぇ手際だ……! スープが固まって、分厚い円盤みたいになったぞ!」

「肉の焼ける匂いと、野菜の甘い匂いが混ざって……これもまた、強烈に腹が減る匂いじゃないか!」


生地の中まで完全に火が通り、ふっくらと厚みを増したところで、栞は再びコテで生地をひっくり返した。

そして、ここからが日本のB級グルメの真骨頂である。

「お待たせしました! ここからが本番ですよ!」

栞は巨大な刷毛(はけ)を持ち、日本の問屋街から仕入れた漆黒の液体——『濃厚お好みソース』を、熱々のお好み焼きの表面にたっぷりと、豪快に塗りたくっていった。


——ジュワァァァァァァァァァッ!!!!!


「うおぉぉぉぉっ!?」

鉄板にこぼれ落ちたソースが沸騰し、一瞬にして焦げた。

焼き鳥のタレとはまた違う、数十種類のスパイスと野菜、果実が溶け合ったフルーティでスパイシーな香り。そして、ソース特有の暴力的なまでの酸味と香ばしさが、凄まじい湯気と共に広場を制圧した。

「な、なんだこの黒い液体は!? ヤキトリの時よりも、さらに複雑でドロドロしてて……でも、信じられないくらい美味そうな匂いだ!」

「ダメだ、ヤキトリを食ったばかりなのに、また胃袋が空っぽになった気がする!」

客たちが身を乗り出し、よだれを垂らしながら鉄板を凝視する。

栞はその上から、白いマヨネーズを美しい網目状に絞り出し、磯の香り豊かな『青のり』をパッパッと振りかけた。

黒いソース、白いマヨネーズ、緑の青のり。

視覚的にも完璧な仕上がりである。誰もが「早くそれを食わせろ!」と叫ぼうとした、まさにその時だった。


「さあ、最後の仕上げです!」

栞は、袋にたっぷりと入った『鰹節(かつおぶし)』を一掴みし、熱々のお好み焼きの上へと、雪のようにパラパラと振りかけた。


極薄に削られた鰹節が、熱を持ったソースの上に乗った瞬間。

熱による上昇気流と水分の蒸発により、鰹節たちはまるで生きているかのように、ウネウネ、ヒラヒラと激しく踊り始めたのだ。


「「「…………え?」」」

列の最前列にいた客たちが、全員、目を丸くして硬直した。

熱で踊る鰹節。日本人にとっては見慣れた、美味しさを倍増させるシズル感の演出だ。

しかし、ここは剣と魔法のファンタジー世界である。

彼らの目に、その光景はどう映ったか。


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

一人の客が、顔面を蒼白にして後ずさり、尻餅をついた。

「い、生きてる!? 食べ物の上に振りかけられた薄い木屑みたいなやつが、ウネウネと蠢いているぞ!!」

「ま、魔物だ! 極薄のスライムの変種か何かだ! 熱い鉄板の上で、苦しがってのたうち回ってるんだ!」

「ば、馬鹿な! 呪術だ! あの姉ちゃん、ただの料理人じゃなくて、暗黒魔法使いだ! 食べ物に邪悪な命を吹き込んで、俺たちの腹を突き破らせる気だぁぁっ!」


パニックは、一瞬にして大行列全体へと伝播した。

ファンタジー世界の住人たちにとって、『動く食べ物』などというものは、猛毒を持つ魔物か、さもなくば呪われたアイテムでしかないのだ。

「逃げろ! 食ったら呪い殺されるぞ!」

「ヤキトリだけでやめておけ! あの平べったい円盤は、悪魔の儀式で作られた代物だ!」

あんなに「早く食わせろ」と騒いでいた客たちが、一斉に恐怖の悲鳴を上げ、後ずさりし始めたのである。


「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってください! これは呪いでも魔物でもありません! ただの『鰹節』っていう、お魚を乾燥させて薄く削った乾物です! 熱で動いてるだけですよ!」

栞は慌ててコテを振り回しながら弁明したが、パニックに陥った群衆の耳には届かない。

「嘘をつけ! 魚がこんなヒラヒラした木屑みたいになるわけがないだろう!」

「見ろ! まだウネウネと蠢いている! 完全に生きている証拠だ!」


屋台の前には、お好み焼きを遠巻きに指差して怯える群衆と、熱々のまま鉄板の上で放置される十数枚のお好み焼き。

このままでは、せっかくの第二兵器が完全に不発に終わってしまう。

「女将! どうする! このままじゃ、オコノミヤキが全部焦げちまうぞ!」

バルトルトが焦って叫んだ。

栞はギリッと歯を食いしばり、決断した。

「……バルトルトさん! 毒見をお願いします! あなたが食べて、安全で、最高に美味しいってことを証明してください!」

「お、俺か!? いや、俺はこの前店で食ったから美味いのは知ってるが……今は制服を着た警備隊長だぞ! 警備中に買い食いなんかしたら、後でハインリヒ査察官に何を言われるか……」


「そんなこと言ってる場合ですか! 隊長さんの威厳で、このパニックを鎮めてください!」

栞はコテでお好み焼きを四等分に切り分け、その一切れを小皿に乗せて、無理やりバルトルトの手に押し付けた。

鰹節は、まだソースの上でヒラヒラと狂ったように踊っている。

周囲の客たちが、息を呑んでバルトルトを見つめた。

「隊長! ダメだ、食うな! 胃袋の中でその薄っぺらい魔物が暴れ出すぞ!」

「やめろぉぉっ!」


バルトルトは、観念したように短く息を吐いた。

(……まあいい。査察官の小言より、目の前のオコノミヤキが冷めることの方が大問題だ)

彼は箸を受け取ると、群衆の視線を一身に集めながら、踊る鰹節ごと、熱々のお好み焼きを大きく口の中へと放り込んだ。


——ハフッ、ザクッ!


静まり返った広場に、衣の焼けた音と、バルトルトが咀嚼する音が響き渡る。

群衆は、バルトルトが血を吐いて倒れるのではないかと、青ざめた顔で見守っていた。

しかし。


「…………あああぁぁぁぁぁっ!!!」


バルトルトの口から漏れたのは、苦悶の悲鳴ではなく、魂の底から湧き上がるような『至福の絶叫』であった。

「うめぇぇぇぇぇぇっ!!! なんだこのソースの味は! ヤキトリのタレとは違う、酸味と甘みの暴力! カリカリの豚肉と、フワフワの生地! そして何より、この動く木屑(鰹節)が、口の中で爆発的な魚の旨味を放出しやがる!!」

バルトルトは、顔中をソースとマヨネーズだらけにしながら、大粒の涙を流して歓喜に打ち震えた。

「生きてる魔物じゃねぇ! これは、旨味の塊だ! 口の中に入れた瞬間、ソースの海で極上の出汁に変化しやがる! お前ら、こんな美味いものを呪いだと勘違いして食わねぇなんて、一生後悔するぞ!!」


警備隊長が涙を流して絶賛するその狂乱ぶり。

それは、どんな言葉よりも強力な証明であった。

群衆の中にいた一人の勇敢な冒険者が、「お、俺も食ってみる!」と前に進み出た。

栞が熱々のお好み焼きを渡す。冒険者は目をギュッと瞑って、踊る鰹節ごと口に放り込んだ。


「…………ッ!!!」

冒険者は目を見開き、膝から崩れ落ちた。

「う、美味ぇぇぇっ! なんだこれ! 生地の中にシャキシャキの甘い野菜(キャベツ)がぎっしり詰まってて、この濃厚なソースと絡まって……! 動く木屑も、全然気持ち悪くない! むしろ、これがないと物足りないくらい最高に美味い!!」

「姉ちゃん! 俺にも一つくれ!」

「私にも! 早く、そのウネウネ動くやつをたっぷりと乗せて!」


パニックは、一瞬にして『食欲の狂乱』へと反転した。

呪いの儀式だと恐れられていたお好み焼きは、バルトルトの毒見(という名のただの買い食い)によって、未知の極上グルメとして認知されたのだ。

先ほどまでの恐怖はどこへやら、客たちは「あの動くやつを食ってみたい!」「ソースの匂いがたまらない!」と、怒涛の勢いで鉄板へと殺到し始めた。

「割り込むな! 俺が先だ!」

「オコノミヤキをくれ! ヤキトリも一緒にだ!」

「銀貨ならいくらでも払う! 早くその円盤を俺の胃袋に叩き込んでくれ!」


焼き鳥のタレの匂いに引き寄せられた客たちと、お好み焼きの視覚的インパクト(踊る鰹節)とソースの匂いに狂わされた客たち。

二つの兵器が完全に噛み合い、広場の片隅にあった小さな屋台の前には、もはや広場の中央を横断し、大通りへと到達しそうなほどの、絶望的な長さの大行列が形成されてしまったのである。


「ちょ、ちょっと待って! 一気に来ないで! 鉄板に乗る数には限界があるの!」

栞は悲鳴を上げながら、必死に生地を流し、肉を乗せ、コテを振るい続けた。

隣の焼き台でも、串が次々と飛ぶように売れていく。

「女将! 俺がヤキトリのタレ漬けを手伝う! お前はオコノミヤキに集中しろ!」

バルトルトが警備を部下に丸投げし、自ら屋台の中に入って焼き鳥をひっくり返し始めた。

「助かります! でも、生地もキャベツも、このペースだとあっという間に底をついちゃいます! どうしよう……!」


圧倒的な大成功。

しかしそれは同時に、たった一人(と一人の騎士)でさばき切るにはあまりにも巨大すぎる、恐ろしいパニックの始まりであった。

鉄板の熱気と、押し寄せる群衆の怒号。

小料理屋『結』の建国祭出店は、初日の昼にして早くも、店の存亡を懸けた絶体絶命の激務へと突入していくのであった。

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