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異世界交差点の小料理屋〜10年修行した女板前は、今日も日本の裏口から仕入れた食材で疲れた異世界人の胃袋と心を癒やします〜  作者: タカノ


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第46話:大行列の熱狂と、警備隊の交通整理

王都アルカディアの中心に広がる石畳の大広場は、建国祭の熱狂と興奮によって、まるで巨大な坩堝(るつぼ)のように煮えたぎっていた。

吟遊詩人が奏でる陽気な音楽や、大道芸人に対する歓声が響き渡る中、ひと際異常なまでの熱気と人だかりを生み出している一角があった。

頭上に掲げられた藍色の真新しい暖簾。小料理屋『結(むすび)』の特設屋台である。


「うおおおおっ! 早くそのソースがたっぷりかかった円盤を食わせろぉぉっ!」

「ヤキトリだ! 俺にはヤキトリを三十本くれ! 匂いだけで腹が減って死にそうだ!」

「割り込むな! 俺が先だぞ! 動く木屑(鰹節)の乗ったオコノミヤキをよこせぇぇっ!」


屋台の前に殺到する群衆の姿は、もはやお祭りを楽しむ客というよりも、理性を失った飢えた魔物の群れに近かった。

原因は明確である。

日本の紀州備長炭に滴り落ちて焦げる『秘伝の甘辛ダレ』の暴力的な香ばしさと、二百度に熱せられた極厚鉄板の上で沸騰する『濃厚お好みソース』の凄まじい匂い。

これら日本のB級グルメが放つ「焦がし醤油とソースの匂い」は、ファンタジー世界の住人たちの嗅覚を容赦なく強打し、脳の奥底に眠る食欲の本能を完全に狂わせてしまったのだ。


「はいっ! お好み焼き、豚玉四枚焼き上がりました! 熱いので気をつけてくださいね!」

「おう! こっちはヤキトリ二十本、タレ漬け完了だ! 銀貨を置いて順番に持っていけ!」


真っ白な割烹着にねじり鉢巻姿の店主・藤原栞(ふじわらしおり)は、額に大粒の汗を浮かべながら、両手に持ったコテ(金属のヘラ)を目にも留まらぬ速さで振るい続けていた。

隣の焼き台では、制服姿の王都警備隊長バルトルトが、顔をタレと炭の煤(すす)で真っ黒に汚しながら、決死の形相で焼き鳥の串を返し続けている。

カンッ、カンッ、カンッ!

鉄板の上でコテが踊る小気味良い音が響き、次々とお好み焼きが完成していく。しかし、栞がどれだけ猛スピードで焼き上げようとも、客の数は減るどころか、風に乗って拡散するソースの匂いに釣られて倍々ゲームで増え続けていた。


その結果、屋台の前に起きたのは『完全なる無秩序』であった。

最初はなんとなく一列に並んでいた客たちも、あまりの匂いの暴力に理性を失い、少しでも早く料理を手に入れようと我先にと屋台の前に押し寄せ始めたのだ。

屈強な戦士がドワーフを押し除け、俊敏な獣人が隙間から手を伸ばす。

広場の中央へと無秩序に膨張し始めた群衆の塊は、スライムのように周囲の空間を侵食し、ついに致命的な問題を引き起こした。


「おい、そこの姉ちゃん! いい加減にしろ!」

突然、屋台の横から怒鳴り声が飛んできた。

見れば、隣で『骨付き羊肉の丸焼き』の屋台を出している店主の親父と、その向こうで『エール(麦酒)』の樽を売っている屋台の女将が、血相を変えてこちらを睨みつけていた。

「おたくの客の列が膨れ上がりすぎて、うちの屋台の正面を完全に塞いでるんだよ! これじゃあ、うちの肉が一本も売れねぇじゃねぇか!」

「こっちもだよ! おたくの客が暴れるせいで、並べてたエールの樽が倒されそうになってるんだ! 匂いで客をかっさらうだけじゃ飽き足らず、商売の邪魔までしようってのかい!」

「えっ……! ああっ、ご、ごめんなさい!」


鉄板の上でコテを振るいながら、栞は青ざめた顔で平謝りした。

屋台の前を見ると、確かに隣の屋台のスペースまで群衆が溢れ出し、完全に物理的な封鎖状態を作ってしまっていた。お祭りにおいて、他の店の営業を妨害するのは絶対のタブーである。

「女将! まずいぞ、このまま騒ぎが大きくなったら、祭りの運営委員会が飛んできて、出店停止のペナルティを食らうかもしれねぇ!」

バルトルトがタレの壺を抱えながら悲痛な声を上げた。

屋台の前に出て列の整理を行っていた部下のクラウスとマルコも、群衆の圧倒的な質量の前に完全に押し負けていた。

「た、隊長ぉぉっ! ダメです、俺たち二人じゃ止めきれません! 腹を空かせた冒険者の馬鹿力が強すぎて、押し潰されます!」

「並んでくれと言っても、ソースの匂いでみんな耳が聞こえなくなってますぅぅっ!」


クラウスとマルコが悲鳴を上げる中、群衆はさらにヒートアップし、ついに屋台のカウンターそのものに手をかけ始めた。

「早くしろ! オコノミヤキをよこせ!」

「銀貨ならここにある! タレの肉を食わせろ!」

ガタガタガタッ!

ドランが打ってくれた頑丈なミスリル合金の屋台が、群衆の圧力で不気味な軋み音を立てて揺れた。このままでは屋台が倒壊し、熱々の鉄板や高温の備長炭が客の上にひっくり返る大惨事になりかねない。


(……ダメだわ。これ以上は、危険すぎる)

栞はギリッと唇を噛み締め、苦渋の決断を下した。

売上よりも、お祭りの安全と周囲への配慮が最優先だ。これ以上、周囲に迷惑をかけるわけにはいかない。

「バルトルトさん! 炭火の空気を閉じてください! 一旦、注文の受け付けを停止します! 列が落ち着くまで、販売を中止——」


栞が鉄板の火を落とそうとコテを置いた、まさにその瞬間だった。


「——誰が販売を中止しろと言った!!」


広場の喧騒を切り裂くような、腹の底から響き渡る野太い大音声。

群衆がビクッと肩を震わせて声のした方角を振り返ると、そこには、王都警備隊の制服に身を包んだ数十名もの屈強な男たちが、地響きを立てながら整然とした隊列を組んで行進してくる姿があった。

先頭を歩くのは、第三部隊の副隊長である。彼らは皆、本来であれば今日は非番であり、祭りを私服で楽しんでいるはずの者たちだった。しかし、その全員がビシッと制服を着込み、腰に剣を佩(は)き、腕には『警備』の腕章を光らせている。


「ふ、副隊長!? それに、第三部隊の非番の奴らが全員……!?」

クラウスが目を丸くして叫んだ。

副隊長は屋台の前に到着するなり、群衆を鋭い眼光で睨みつけながら、バルトルトと栞に向かって敬礼した。

「隊長! それに女将! 遅くなって申し訳ありません! 俺たちの愛する『オアシス』が、飢えた魔物(客)の群れに襲撃されていると聞き、非番を返上して駆けつけました!」

「お、お前ら……!」

「俺たちの命の恩人であり、日々の激務を癒やしてくれる小料理屋『結』。その最高の飯に泥を塗り、屋台の営業を妨害しようなどという不届きな真似は、俺たち第三部隊が絶対に許さん! これより、王都警備隊の総力を挙げて、この無法地帯を『異世界一美しいオアシスへの道』へと作り変える!!」


副隊長の号令と共に、数十名の警備隊員たちが一斉に動いた。

「第三部隊、展開せよ!! 陣形・防壁(ファランクス)から、蛇行待機陣(サーペント・ライン)へ移行!」

「「「ハッ!!!」」」


ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!

それはまさに、軍隊の演習のごとき一糸乱れぬ完璧な統率であった。

最前列の隊員たちが長柄の槍(ハルバード)を横に倒して群衆の圧力を押し返し、強制的に数メートルの空間を作り出す。その隙に、後続の隊員たちが太いロープと鉄の杭を持ち出し、広場の石畳にカンッ、カンッと杭を打ち込んでロープを張り巡らせていった。

彼らが作っているのは、ただの一本道の列ではない。

限られたスペースに可能な限り多くの人間を、そして安全に収容するための陣形。すなわち、日本のテーマパークなどでよく見られる『折り返し列(S字列)』である。


「貴様ら! 美味い飯が食いたければ、このロープの中に二列縦隊で整列しろ! 少しでも列を乱した者、割り込みをした者、暴言を吐いた者は、警備隊の権限を以って即刻この広場から叩き出す!」

副隊長の怒声が響き渡る。

「そして、小料理屋『結』は完全なる前払い制だ! 事前に銀貨を用意し、女将の手を一切煩わせるな! おつりが出ないように計算しておくのが、オアシスで飯を食うための最低限のマナーと心得るのだ!」


王都の治安を維持する本職の警備隊員たちによる、本気の交通整理。

そのあまりの気迫と、一糸乱れぬロープ張りの手際に、先ほどまで暴徒と化していた群衆は水を打ったように静まり返り、恐怖と食欲の狭間で震えながら、大人しくロープの中に二列縦隊で並び始めた。

ロープで仕切られたS字の折り返し列は、屋台の正面スペースだけに美しく収まり、他の屋台の営業を一切邪魔しない完璧な導線を作り上げていた。

さらに、隊員の一人が列の最後尾に立ち、木の板に急いで書いたプラカードを頭上に掲げた。

『小料理屋 結 最後尾はこちら。ヤキトリ・オコノミヤキ提供まで、現在約四十五分待ち』


「よ、四十五分待ち……!?」

プラカードを見た栞は、思わずコテを取り落としそうになった。

ここはファンタジー世界である。待ち時間を分単位で提示して列を管理するなどという概念は、この世界には存在しなかったはずだ。彼らは完全に、栞の屋台を守るために独自の進化した軍事戦術を編み出していた。


さらに、警備隊の気配りはこれだけにとどまらなかった。

副隊長は、先ほど栞の屋台に怒鳴り込んできた、隣の丸焼き屋の親父とエール屋の女将の元へ歩み寄ると、深々と頭を下げた。

「親父さん、女将さん。うちの贔屓にしている屋台が、多大なご迷惑をおかけして本当に申し訳なかった」

「えっ? あ、いや……警備隊の旦那たちが頭を下げるこたぁ……」

「お詫びと言っては何ですが。……おい、お前ら!」


副隊長が、折り返し列で大人しく待機している何百人もの群衆に向かって叫んだ。

「オコノミヤキが焼き上がるまで、まだ時間がかかるぞ! ただ突っ立って待っているだけでは腹が減るばかりだろう! 隣の親父さんの屋台で売っている骨付き羊肉をかじり、女将さんの冷えたエールで喉を潤しながら待つのが、建国祭の粋な楽しみ方というものだ! 買いに行く者は、前後で声を掛け合って列の場所をキープし合え!」

「お、おおっ! 確かにその通りだ!」

「俺、エール買ってきて並びながら飲むわ! 後ろの兄ちゃん、俺の場所見といてくれ!」

「ああ、任せろ! 代わりに俺の分の羊肉も買ってきてくれ!」


警備隊のその見事な一言により、栞の屋台の待ち時間を潰すための『お供』として、隣の丸焼き屋とエール屋にも次々と客が殺到し始めたのである。

「警備隊の旦那ぁぁっ! ありがとうよぉぉっ!」

「こりゃあ、今日は徹夜でエールを売らなきゃならないねぇ!」

隣の屋台の親父と女将は、先ほどの怒りなど完全に忘れ去り、ホクホク顔で肉を焼き、エールを注ぎ始めた。

これで、周囲とのトラブルの種も完全に消滅したのである。


「す、すごい……」

鉄板の前に立つ栞は、目の前に広がる光景に息を呑んだ。

先ほどまでの無秩序な暴動が嘘のように、何百人もの群衆が、ロープで区切られたS字の列の中で、行儀よく二列に並んでいる。隣の屋台の肉をかじり、エールを飲みながら、今か今かと自分のお好み焼きが焼き上がるのを笑顔で待っているのだ。

まさに、異世界一統制のとれた、美しくも巨大な待機列が完成していた。


「見たか女将! これが俺たち、王都警備隊第三部隊の誇る絶対の陣形だ!」

バルトルトが、顔の煤を腕で拭いながら、ニカッと白い歯を見せて笑った。

「周りの心配は完全に消え去ったぜ! 暴れる客も、邪魔な障害物も何一つねぇ! お前はただ、目の前の鉄板の上の生地と、自分の腕だけに集中しろ! 最高の飯を、俺たちに腹一杯焼かせてくれ!」


「……バルトルトさん。皆さん……!」

栞の胸の奥から、熱いものが込み上げてきた。

自分は決して一人ではない。この過酷な屋台戦争を、背中を預けられる最高の仲間たちが、命がけでサポートしてくれているのだ。

これ以上、弱音を吐いている暇はない。板前として、彼らの心意気に最高の『味』で応えること。それこそが、自分の果たすべき唯一の使命である。


「はいっ!! 皆さん、本当にありがとうございます!!」

栞は目尻に浮かんだ涙を腕で乱暴に拭うと、再び両手にコテをしっかりと握りしめた。

「さあ、お待たせしました! お好み焼き、ジャンジャン焼いていきますよ! ソースとマヨネーズの増量、無料で承ります!」

「うおおおおおっ!! 女将、愛してるぜぇぇぇっ!!」


広場を埋め尽くす群衆から、地鳴りのような歓声が上がった。

カンッ! カンッ! カンッ!

鉄板の上で、二枚のコテが凄まじいスピードで舞い踊る。

生地が広がり、豚肉が焼け、暴力的な濃厚ソースがジュワァァッと焦げて、白い煙が青空へと高く立ち昇っていく。

警備隊の完璧な交通整理によって、小料理屋『結』の特設屋台は、ついにその真のポテンシャルを解放した。

熱気とソースの匂い、そして笑顔に包まれた建国祭の広場。

この日、異世界の歴史に深く刻まれることとなる『お好み焼きパニック』の伝説は、仲間たちの固い絆と共に、最高潮の熱狂へと突入していくのであった。

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