第43話:屋台メニュー決定戦と、タレの魔力
王都アルカディアが一年で最も熱狂する大祭、『建国祭』まであと数日と迫った夜。
路地裏の小料理屋『結』の引き戸を開けた常連客たちは、店内に足を踏み入れた瞬間、全員がぽかんと口を開けて入り口で硬直してしまった。
「……おい、女将。なんだよ、あのバカでかい鉄の塊は」
王都警備隊長のバルトルトが、目を白黒させながら厨房を指差した。
普段はこぢんまりとして清潔な白木とステンレスが光る厨房に、今日は異様な威圧感を放つ二つの巨大な機材が鎮座していたからだ。
一つは、大人が両手を広げても足りないほどの幅を持つ、漆黒の極厚鉄板。
もう一つは、無数の耐火煉瓦が敷き詰められた、横に細長い長方形の焼き台である。
どちらも、日本の酒屋の配達員である浩太が、深夜の路地裏で文字通り死に物狂いになって搬入してくれた、プロ仕様の超大型業務用機材であった。
「いらっしゃいませ、皆さん!」
真っ白な割烹着にねじり鉢巻という、いつになく気合の入った出で立ちの店主・藤原栞が、満面の笑みで四人を出迎えた。
「驚きましたか? これがお祭りの大行列を捌き切るための、私の新しい相棒たちです。ドランさんに鉄板を打ってもらう時間もなかったので、私の故郷のルートから特急便で取り寄せたんですよ」
「故郷のルートからって……こんな重てぇ金属の塊を、どうやって運んできたんだ?」
百五十歳のドワーフの鍛冶職人であるドランが、鉄板の厚みと焼き台の構造をまじまじと見つめ、そのあまりにも精巧な作りに唸り声を上げている。
「それにしても、見事な造りだ。熱で歪まないように計算されたこの鉄板の厚み……俺が打っても、ここまでの平面を出すには何日もかかるぞ。女将の故郷の職人は、とんでもねぇ腕をしてるんだな」
「ふふっ、ありがとうございます。でも、機材の自慢はここまでです」
栞はキリッとした表情になり、カウンターに並んだバルトルト、ドラン、魔法使いのミレイユ、エルフのファリスの四人を見渡した。
「今日は、皆さんに集まってもらったのは他でもありません。建国祭の広場で勝負する、特設屋台の『出店メニュー試食会』を行います!」
「「「おおおおおっ!!!」」」
試食会という神聖な響きに、常連客たちは歓声を上げてカウンターに陣取った。
「お腹ペコペコですぅ! 店主さん、一体どんなお料理を出すんですか!?」
ミレイユがフォークとナイフを握りしめて目を輝かせる。
「はい。お祭りという非日常の空間で、通りすがる何千人ものお客さんの足を止めさせるために必要なもの……。それは、繊細なお出汁の香りではありません。遠くまで届き、一瞬で人の理性を吹き飛ばすような『暴力的でジャンクな匂いと味』です」
栞はそう宣言すると、すでに赤々と火が熾っている細長い焼き台の前に立った。
「屋台の王道、その一。まずは『焼き鳥』からです!」
栞の手元には、異世界の市場で仕入れた新鮮な『森の若鶏』の肉が、間に長ネギを挟んだ「ねぎま」の状態で、何十本も串に打たれていた。
それを、焼き台の上にズラリと並べる。
焼き台の底で真っ赤に燃えているのは、日本から取り寄せた最高級の『紀州備長炭』である。炎は上がらないが、恐ろしいほどの遠赤外線を放ち、食材の表面を瞬時に焼き固めながら内部へとじっくり火を通していく魔法の炭だ。
——ジュウウゥゥッ。
鶏肉の脂が落ち、炭に当たって白い煙が立ち昇る。
すでにこれだけでも十分に食欲をそそる良い匂いなのだが、栞は「まだまだ、こんなものじゃありませんよ」と不敵に笑った。
鶏肉の表面がこんがりと白く焼き上がり、ネギに美しい焦げ目がついた絶妙なタイミングで、栞は厨房の奥から、黒褐色の液体がたっぷりと入った深い壺を取り出してきた。
「日本の焼き鳥の命。醤油、みりん、酒、砂糖を合わせ、鶏の旨味を溶け込ませながら煮詰めた……『秘伝の甘辛ダレ』です!」
栞は焼き上がった串を数本まとめて手に持ち、その壺の黒い海の中へと、ドップリと根元まで沈め込んだ。
そして、タレが滴る串を引き上げ、再び超高温の備長炭の上へと戻した。
——ジュワァァァァァァァァッ!!!!!
次の瞬間、店内の空気が一変した。
タレに含まれる大量の糖分と醤油が、超高温の炭火に直接落ち、一瞬にして『焦げた』のだ。
爆発的に立ち昇る白い煙。それは換気扇に吸い込まれる前に店内へ広がり、甘く、塩っぱく、そして焦げた醤油の香ばしさが一体となった、まさに『暴力的な匂い』の塊となって常連客たちの鼻腔を強打した。
「なっ……なんだこの匂いはぁぁぁぁっ!?」
バルトルトが両手で頭を抱え、椅子から転げ落ちそうになった。
「あ、甘くて焦げた匂い!? 醤油の香り!? ダメだ、この匂いを嗅いだだけで、口の中に唾液が溢れて止まらねぇ!!」
「はわわわっ……脳みそが溶けちゃいそうないい匂いですぅぅっ!」
ミレイユも恍惚とした表情で煙を吸い込んでいる。
「お待たせしました。熱いうちに、串から直接かぶりついてください!」
栞はタレがテリテリに輝き、所々に香ばしい焦げ目がついた焼き鳥を、一人三本ずつ皿に乗せて提供した。
バルトルトは震える手で串を持ち、火傷しそうなほど熱い鶏肉に食らいついた。
ザクッ、ジュワァッ!
「…………ッ!!!」
バルトルトの瞳孔が極限まで見開かれた。
備長炭の遠赤外線で焼かれた鶏肉は、表面はパリッと香ばしく、中は驚くほどふっくらとしており、噛み締めた瞬間に熱々の肉汁が溢れ出す。
しかし、何よりも彼を打ちのめしたのは、肉に纏わりついた『甘辛ダレ』の圧倒的な破壊力だった。
醤油の深いコクと塩気に、砂糖とみりんの濃厚な甘みが加わり、それが炭火で焦がされたことによって、味覚の全方位を容赦なく蹂躙してくる。間に挟まれた長ネギの甘さが、タレの濃さを程よく中和し、次の一口を猛烈に要求してくるのだ。
「う、美味ぇぇぇぇぇっ!!!」
バルトルトは歓喜の絶叫を上げた。
「なんだこれ! ただ肉を焼いただけの塩焼きとは次元が違う! 甘辛くて香ばしいこの『タレ』が、肉の旨味を何十倍にも引き上げやがる! おい女将、ビールだ! キンキンに冷えたビールを持ってきてくれ! こんなもん食わされて、酒なしで我慢できるか!」
「俺にもだ!! この味の濃さ、完全に『酒泥棒』じゃねぇか!!」
ドランも叫びながら、二本目の串を瞬く間に胃袋へと消し去っていた。
提供からわずか一分。四人の常連客は、焼き鳥のタレの魔力に完全に屈服し、ジョッキの生ビールを水のように飲み干していた。
「ふふっ、焼き鳥のタレの威力、わかってもらえましたか?」
栞はビールのおかわりを注ぎながら、満足げに笑った。
「お祭りの広場でこのタレを炭火に落として煙を上げれば、風に乗って広場中にこの匂いが広がります。そうすれば、匂いに釣られたお客さんがゾンビのように群がってくること間違いなしですよ」
「恐ろしい戦略だ……」
ファリスが、焼き鳥のネギだけを美味しそうにかじりながら、戦慄したように呟いた。
「エルフである私でさえ、この焦げた醤油の匂いには抗いがたい魅力を感じてしまう。……だが店主、これだけでも十分に屋台として成立すると思うが、お前はもう一つ、『オコノミヤキ』という兵器を用意していると言っていたな?」
「はい。焼き鳥が匂いで客を呼ぶ武器なら、もう一つは『視覚』と『音』で客を狂わせる最強の兵器です」
栞はそう言うと、焼き台から隣の巨大な極厚鉄板へと移動した。
コンロの火を最大にし、百キロの鉄板を熱していく。
手元には、大きなボウル。中には、昆布と鰹の出汁で溶いた小麦粉の生地に、すりおろした長芋、そして山のように刻まれた新鮮なキャベツの千切りと、天かす(揚げ玉)、紅生姜、卵がたっぷりと入っている。
栞はスプーンでそれらを空気を含ませるようにざっくりと混ぜ合わせると、熱々の鉄板の上へと一気に流し込んだ。
——ジューーーーーッ!!!
凄まじい音と共に、生地が円形に広がっていく。
その上に、薄切りにしたオークの豚バラ肉を隙間なく敷き詰める。
数分後。生地の底面がしっかりと焼け、キャベツが蒸されて甘い匂いが漂い始めたところで、栞は両手に持った二枚の『コテ(金属のヘラ)』を使い、分厚い生地を空中で見事に反転させた。
パンッ!
鉄板に叩きつけられた生地の表面では、オークの豚肉がカリカリに焼け、黄金色の見事な焼き目を見せていた。
「おおっ! すごい手返しだ!」
ドランが職人としての目線で感嘆の声を上げる。
「豚肉から出た脂で、生地の表面をカリッと揚げ焼きにするんです。そして、キャベツは生地の中で蒸し焼きになって、極限まで甘くなります」
そして、生地の中に完全に火が通り、ふっくらと厚みを増したところで、栞は再びコテで生地をひっくり返した。
ここからが、お好み焼きの真骨頂である。
栞が取り出したのは、日本の誇る調味料の怪物——『濃厚お好みソース』であった。
野菜と果実をドロドロになるまで煮込み、数十種類のスパイスと酢、砂糖をブレンドした、漆黒でとろみのある甘辛ソース。
それを、刷毛を使って、熱々のお好み焼きの表面にたっぷりと、豪快に塗りたくっていく。
——ジュワァァァァァァァァァッ!!!!!
二百度の鉄板にこぼれ落ちたソースが、一瞬にして沸騰し、焦げた。
焼き鳥のタレとはまた違う、強烈なスパイスの香りと、フルーティな果実の甘さ、そしてソース特有の暴力的なまでの酸味と香ばしさが、鉄板から立ち昇る凄まじい湯気と共に店内を制圧した。
「なっ……なんだこの黒い液体は!」
「さっきのタレよりも、さらに複雑で、ドロドロしてて……でも、信じられないくらい美味そうな匂いがするぞ!?」
バルトルトとドランが、立ち上がって鉄板を覗き込む。
栞はその上から、白いマヨネーズを美しい網目状に絞り出し、最後に磯の香り豊かな『青のり』をたっぷりと振りかけた。
「完成です! これが日本のB級グルメの王様、『お好み焼き』です!」
栞はコテを使ってお好み焼きを四等分に切り分け、熱々の鉄板の上から直接、小さなコテ(取り分け用のヘラ)で食べるように常連客たちに促した。
「お皿には移しません。この熱々の鉄板の上で、ソースが焦げる音を聞きながら、ハフハフ言いながら食べるのが一番美味しいんです!」
「よ、よし! いただくぞ!」
ミレイユが待ちきれない様子で、小さなコテで切り分けられた一切れをすくい上げ、大きな口を開けて熱々のお好み焼きに食らいついた。
「ハフッ、ハヒッ……! あちゅい! でも……!!」
ミレイユの瞳が、キラキラと星のように輝いた。
「…………おいひぃぃぃぃぃっ!!!」
ミレイユは歓喜の叫びと共に、足をバタバタとさせた。
カリッカリに香ばしく焼けた豚肉の食感。その下には、山芋と出汁が効いたフワッフワの生地。そして、蒸し焼きにされて驚くほど甘くなったキャベツのシャキシャキとした歯ごたえ。
それらの完璧な食感の層を、濃厚で甘辛い『ソース』と、まろやかな『マヨネーズ』の黄金コンビが、力ずくで一つにまとめ上げている。
青のりの風味が鼻腔を抜け、紅生姜の酸味が絶妙なアクセントとなって、味の単調さを一切感じさせない。
「ふんわふんわですぅ! キャベツがいっぱいだから重たくないのに、このソースの味が濃くて、お肉の脂と絡まって……脳みそがショートしちゃいそうなくらい美味しいですぅ!」
「俺もだ! 熱っ! 旨っ! なんだこのソースってやつは! 焼き鳥のタレとは違う、得体の知れない複雑な味がするが、それが堪らなくクセになる!」
バルトルトもまた、口の周りをソースで真っ黒に汚しながら、夢中でコテを動かしている。
普段は肉を食べないファリスには、豚肉の代わりに海老とイカをたっぷりと入れた『海鮮玉』が振る舞われていた。
「……むうっ」
一口食べたファリスは、エルフとしての優雅な所作を忘れ、目を見開いて唸った。
「……野菜の甘みと、海鮮の旨味。それが、このジャンクで濃厚な黒いソースに完全に支配されている。……悔しいが、これは美味しい。上品な宮廷料理では決して味わえない、人間の根源的な食欲を直接殴りつけてくるような、恐ろしい料理だ。一口食べれば、もう一口食べたくなる麻薬のような魔力がある」
ファリスもまた、熱いお好み焼きをハフハフと冷ましながら、冷たい日本酒と共に次々と口へ運んでいく。
高貴なエルフの密偵すらも、日本のソースの暴力的な魅力の前に完全敗北を喫した瞬間であった。
「ぷはぁぁぁぁっ!!」
ドランが大ジョッキをテーブルに叩きつけ、口の周りをソースとマヨネーズだらけにしたまま、満面の笑みで栞を指差した。
「女将! 俺たちの完全な勝利だ!! こんなもん、建国祭の広場で出してみろ! 他の串焼き屋や煮込み屋の客が、全員匂いに釣られてうちの屋台に大行列を作るぞ!」
「ええ、間違いない。この『焼き鳥のタレ』と『お好み焼きのソース』。この二つの兵器があれば、俺たちは祭りの広場を完全に制圧できる!」
バルトルトもまた、興奮冷めやらぬ様子で立ち上がり、拳を突き上げた。
「あはは! 皆さんがそこまで言ってくれるなら、大行列ができても安心ですね!」
栞は鉄板の焦げをコテで削り落としながら、いたずらっぽく笑った。
「でも、忘れないでくださいよ。大行列ができるってことは、皆さんは私がお好み焼きを焼いている間、何百人ものお客さんを誘導して、警備して、汗水垂らして働かなくちゃいけないってことですからね!」
「おう! 任せておけ! 俺たち王都警備隊の統率力と、ドランの機材、ミレイユの魔法、ファリスの権力……すべてを結集して、お前の屋台を最強の城にしてやる!」
熱く燃え上がる常連客たち。
焼き鳥の香ばしいタレの匂いと、お好み焼きの暴力的なソースの香りが入り交じる店内で、彼らの祭りに向けた士気は最高潮に達していた。
王都アルカディアを揺るがす巨大な祝祭、『建国祭』。
異世界の中心で、日本のB級グルメの王道が、常連客たちとの固い絆と共に、歴史的な大パニックを巻き起こす準備を完璧に整えたのであった。




