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異世界交差点の小料理屋〜10年修行した女板前は、今日も日本の裏口から仕入れた食材で疲れた異世界人の胃袋と心を癒やします〜  作者: タカノ


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第39話:裏会議室のルールと、二度漬け禁止の串カツ

王都アルカディアを包み込む冬の冷気は日を追うごとに厳しさを増し、夜ともなれば石畳の路地裏は凍てつくような静寂に支配される。

しかし、小料理屋『結(むすび)』の店内だけは、その静寂とは全く無縁の、むせ返るような熱気と凄まじい喧噪に包まれていた。


「おいコラ! 俺が頼んだ唐揚げを勝手に食ったのはどこのどいつだ!」

「知るかよ! 早い者勝ちだろうが! それより塩を取れ、塩を!」

「お前ら、声がでかい! 今明日の巡回ルートの確認をしてるんだろうが! ちょっとは隊長である俺の話を聞け!」

「隊長、書類にビールのジョッキを置かないでくださいよ! インクが滲んで読めなくなってます!」


白木のカウンターと、その背後に無理やり並べられた丸椅子には、屈強な体躯を持つ男たちがぎゅうぎゅう詰めに座り込み、ジョッキを片手に大声を張り上げている。

彼らは、王都警備隊第三部隊の面々であった。

いつしかこの店は、激務とストレスに苛まれる隊長バルトルトだけでなく、その部下であるクラウスやマルコ、さらには他の隊員たちにとっても必要不可欠な『オアシス』となっていた。夜な夜な非番の隊員たちが集まり、美味しい料理と酒を片手に明日の任務の打ち合わせを行う。もはや『結』は、第三部隊の非公式な『裏の作戦会議室』と化していたのである。


それは店主である栞(しおり)にとっても、店が繁盛して賑やかになるのは嬉しいことだった。

だが、問題が一つあった。

人数が増え、彼らがこの店にすっかり居着いて『ホーム』のように感じ始めたことで、初期の頃にあった適度な緊張感が薄れ、マナーが著しく乱れ始めていたのだ。

大声で怒鳴り合うのは日常茶飯事。他人の注文した料理を横取りする。脱いだ分厚い外套や剣を無造作に床に放り投げる。隊長であるバルトルトが作戦の指示を出そうとしても、酒と食い気に夢中な若手たちは生返事をするだけで、全く統制が取れていない。

まるで、規律を重んじるはずの騎士の集団が、ただの無法者の山賊の宴会に成り下がってしまっていた。


「……ふむ。これはちょっと、喝を入れないといけませんね」

厨房の奥で出汁の火加減を見ていた栞は、真っ白な割烹着の袖をキリッとまくり上げながら、静かに目を細めた。

美味しいものを楽しく食べるのは良いことだ。しかし、ここは公共の場であり、共に食事を囲む仲間への思いやりと最低限の規律がなければ、本当に美味しい空間は作れない。ましてや彼らは、王都の平和を守る誇り高き警備隊なのだ。

(口で注意するのもいいけど……板前なら、料理のルールで彼らの背筋を正してあげるのが一番ね)


栞は、今日の彼らの胃袋を満たし、同時に『規律』と『連帯感』を思い出させるための特別なメニューを作ることを決意した。

用意するのは、色とりどりの豊富な食材だ。

バルトルトが差し入れてくれた異世界の牛肉『一角牛(ホーンブル)』の赤身肉。日本のスーパーで仕入れた甘みの強い玉ねぎ、シャキシャキのレンコン、グリーンアスパラガス、そしてウズラの卵。さらに、ドランが持ち込んだ白身魚の切り身や、カマンベールチーズのブロックまで。

栞はドラン特製のミスリル包丁を振るい、これらの食材をすべて『一口大』に切り揃えていく。そして、それらを短めの竹串に、一つ一つ丁寧に刺していった。


ボウルに山盛りになった数十本の串。

次に栞が用意したのは、衣のベースとなる『バッター液(ねりや)』だ。小麦粉に水、そして長芋のすりおろしと少量のベーキングパウダーを絶妙な配合で混ぜ合わせる。これにより、揚げた時に油切れが良く、ふっくらとしつつもサクサクの食感が生まれるのだ。

さらに、バッター液をくぐらせた串にまとわせる『パン粉』にも徹底的にこだわる。日本の一般的な豚カツに使うような粗いパン粉ではなく、ミキサーで極限まで細かく砕いた『細目(こまかめ)のパン粉』を使用する。

細かいパン粉を使うことで、衣が薄く均一につき、食材の味を邪魔しない軽やかなスナック感覚の揚げ物になるのだ。


「そして、この料理の主役であり、絶対のルールの要(かなめ)となるのがこれね」

栞は、コンロの隅でコトコトと煮詰めていた大きなステンレス製の深型の容器を取り出した。

中に入っているのは、漆黒の液体。

日本のウスターソースをベースに、りんごやトマトといった果実と野菜の甘み、数種類のスパイス、そして和風の出汁と赤ワインをブレンドして長時間煮込んだ、栞特製の『特濃・甘辛ソース』である。

酸味と甘み、そしてスパイシーな香りが複雑に絡み合ったそのソースは、ただ舐めるだけでも酒が飲めそうなほどに完成された味わいを持っていた。


栞は、天ぷら鍋にたっぷりのラード(豚脂)とサラダ油を合わせた揚げ油を注ぎ、百八十度の高温に熱した。

そこへ、細かいパン粉を纏った串たちを一気に投入していく。


——ジュワァァァァァァァァッ!!!


厨房内に、凄まじい油の爆ぜる音が響き渡り、香ばしいラードの匂いと肉が揚がる匂いが、喧噪に包まれていた客席へと暴力的なまでに流れ込んでいった。

「おっ!? なんだなんだ、すげぇいい匂いがしてきたぞ!」

「揚げ物だ! 女将、俺の分の唐揚げか!?」

騒いでいた隊員たちが、ピタリと動きを止めて厨房の方を凝視する。

栞は手際よく油の中で串を泳がせ、絶妙なタイミングで引き上げては油を切り、網の上に積み上げていく。きつね色に輝く衣は、細目のパン粉のおかげで驚くほど美しく、滑らかな表面を保っていた。

牛肉、玉ねぎ、レンコン、ウズラの卵、アスパラ、白身魚、チーズ。

数十本もの揚げたての串を、栞は巨大な大皿の上に山のように盛り付けた。

そして、傍らに生のキャベツの葉を大きめにちぎったものをたっぷりと添える。


「お待たせしました!」

栞は、その巨大な串の山が盛られた大皿と、波々と黒いソースが張られたステンレスの深型容器を、カウンターの中央にドンッと置いた。

「当店特製、大阪名物『大皿の串カツ盛り合わせ』です!」


「おおおおおっ!!!」

「すげぇ! 肉も野菜も、全部串に刺さって揚がってる!」

「美味そうだ! さあ食うぞ、俺は肉をもらうぜ!」

空腹の限界を迎えていた隊員たちが、歓声を上げて一斉に大皿に向けて手を伸ばそうとした。


「ちょっと待った!!」


ピシャリッ!!

栞の放った鋭く通る声と、まな板を手のひらで叩いた乾いた音が、店内の喧噪を一瞬にして凍りつかせた。

隊員たちは伸ばしかけた手を止め、目を丸くして栞を見つめた。いつも笑顔で優しい女将が、かつてないほど真剣な、そして毅然とした表情で彼らを睨みつけていたからだ。


「女、女将……? どうしたんだ、そんな恐い顔をして」

バルトルトが恐る恐る尋ねる。

栞はスゥッと深呼吸をし、店内に響き渡る声で、絶対の宣言を放った。

「皆さんに、この串カツを食べていただく前に、この『結』における絶対に破ってはならない、神聖なるルールを説明します」

栞は、並々と注がれたステンレスのソース容器を指差した。

「この串カツは、大皿から自分の好きな串を取り、そこの容器に入っているソースにたっぷりと浸して食べていただきます。……ですが、このソースは、ここにいる全員で共有する、たった一つの海です。ですから……」


栞の目が、鋭く光った。

「——『ソースの二度漬け』は、いかなる理由があろうとも、絶対に禁止です!!」


「に、二度漬け、禁止……?」

クラウスがポカンと口を開ける。

「そうです。一度口をつけてかじった串を、再びこのソースの容器に戻すことは、重大なマナー違反です。全員で使うソースを汚す行為は、共に卓を囲む仲間への『敬意』を欠く行為。もし二度漬けをした者がいれば、その瞬間にこの串カツはすべて厨房に下げさせてもらいます!」

栞の放った厳しい宣告に、隊員たちは息を呑んだ。

串カツという料理は、各々が小皿にソースを取り分けるのではなく、大きな容器に張られたソースに『全員で』串をくぐらせる。だからこそ、衛生面と仲間への配慮として『二度漬け禁止』という絶対の鉄則が存在するのだ。


「でも女将さん! 一口かじって、もしソースが足りなかったらどうすればいいんですか!? 味が薄いまま食べろって言うんですか!」

マルコが慌てて抗議する。

栞はニヤリと笑い、横に添えられた生のキャベツの葉を指差した。

「そういう時は、このキャベツの出番です。キャベツをスプーン代わりにしてソースをすくい、自分の串にかけてください。キャベツはもちろん、そのままソースをつけて食べても美味しいですよ。……さあ、ルールが理解できたなら、召し上がれ!」


静まり返った店内。

先ほどまでの無秩序な喧騒は消え失せ、隊員たちの間には、見えない『規律』の糸がピーンと張り詰めていた。

「……なるほど。全員で共有する海を汚さないための、仲間への敬意か。面白いルールじゃねぇか」

バルトルトがニヤリと笑い、先陣を切って一本の串——一角牛の牛串を手に取った。

隊員たちが固唾を飲んで見守る中、バルトルトはその牛串を、ステンレスのソース容器の中に静かに、しかし根元までたっぷりと沈み込ませた。

引き上げると、薄くきつね色だった衣が、漆黒のソースをたっぷりと吸い込み、艶やかに輝いている。


バルトルトは、大きく口を開けて一気に串にかぶりついた。


——ザクゥッ!!


「…………ッ!!!」

バルトルトの瞳孔が、極限まで見開かれた。

耳の奥で心地よく響く、細かくて軽い衣の圧倒的なサクサク感。そして、衣の中に閉じ込められていた一角牛の熱々の肉汁が、口内へ爆発的に溢れ出した。

そこに絡みつくのが、栞特製の『甘辛ソース』だ。

果実のフルーティな甘みと、スパイスのピリッとした刺激、出汁の奥深いコクが、肉の脂と完璧に融合している。ソースはサラッとしているが、衣の極小の隙間にしっかりと入り込み、全く味の物足りなさを感じさせない。

「う、美味ぇぇぇぇぇっ!!」

バルトルトは歓喜の声を上げた。

「なんだこの衣の軽さは! いくらでも食えちまうぞ! それにこのソース、酸味と甘みのバランスが絶妙で、肉の旨さを何倍にも跳ね上げやがる!」


隊長のその反応を見て、部下たちも一斉に串へと手を伸ばした。

しかし、先ほどまでの無秩序な奪い合いはない。

「おっと、ソースの容器は一つだ。順番にいこうぜ」

「クラウス、お前先に行け。俺はその後で漬ける」

皆がソースの容器の前に並び、一本ずつ慎重に、自分が食べる分だけをしっかりと、しかし一度だけ沈め、引き上げていく。

「熱っ! 玉ねぎ、中が信じられないくらい甘くて熱々だ!」

「このウズラの卵、ホクホクでソースとバッチリ合うぞ!」

「ああっ、ソースがちょっと足りねぇ……!」

マルコがレンコンの串をかじって叫ぶ。すると、隣にいた隊員が素早く生のキャベツを手に取り、ソースをすくってマルコの串の上から垂らしてやった。

「ほらよ、キャベツですくうんだろ。気をつけろよ」

「お、おう。サンキュー!」


いつの間にか、彼らの間には完璧な『連携』が生まれていた。

ソースの容器を中心に、声を掛け合い、譲り合い、足りない者がいればフォローに入る。それはまさに、戦場において互いの背中を守り合う、騎士たちの美しい陣形のようであった。

「おい、そっちの白身魚の串を取ってくれ!」

「おう、パスするぜ。ソースこぼすなよ!」

「隊長、アスパラが揚がりましたよ! ソース空いてます!」

「よし、もらうぜ! 明日の巡回ルートだが、この連携の通り、第二小隊から回していくぞ!」

「「「了解(ハッ)!!」」」


大皿の串カツを囲み、ソースの二度漬け禁止という絶対のルールを守りながら、彼らは見事なチームワークで食事を進め、同時に明日の作戦会議を完璧な統制の中でこなし始めていた。

一つのルールが、バラバラだった無法者たちを、再び誇り高き『騎士の集団』へとまとめ上げたのだ。


「ぷはぁぁぁぁっ!!」

バルトルトがキンキンに冷えた生ビールをジョッキで一気に飲み干し、口の周りについたソースを手の甲で拭いながら、厨房の栞に向かって親指を突き立てた。

「女将、俺の負けだ。お前のこの『串カツ』って料理と、そのルール……。隊長である俺の言葉よりも、こいつらの連帯感を強固にしやがった。美味い飯を前にして、ルールを守る。この緊張感と共有感が、最高のスパイスになってるんだな!」

「ふふっ。同じソースの海を共有する仲間ですからね。規律があるからこそ、ご飯はもっと美味しくなるんですよ」

栞は微笑みながら、新しく揚がったチーズの串カツを大皿に追加した。

「さあさあ、串はまだまだ揚がりますよ! キャベツもおかわり自由ですから、胃袋がはち切れるまで食べていってくださいね!」

「おおおっ!! 女将、一生ついていくぜぇぇぇっ!!」


王都の冷たい夜風を遮断した温かい店内。

油の弾ける心地よい音と、ソースの甘酸っぱい香り。そして、ルールを守りながら完璧な連携で串カツを頬張る、王都警備隊の男たちの弾けるような笑い声。

小料理屋『結』は、今日も最高の料理と少しの知恵で、異世界の戦士たちを立派に導く『裏の作戦会議室』として、大いに賑わいを見せているのだった。

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