第6話 知らない誰かに届く声
次の日の夜。
あたしは自分の部屋で、ヘッドセットをかぶっていた。
目の前には、お兄ちゃんからもらったパソコンとモニター。画面には、昨日まで何度も見ていたゲームのメニューが表示されている。
でも、今日は少しだけ違う。
画面の隅に並んでいるのは、練習用の的でも、太蔵さんが作った一対一の部屋でもなかった。
一般対戦。
知らないプレイヤーも参加する、本物の試合だ。
『ナナミ、聞こえる?』
ヘッドセットからカグラの声がした。
「聞こえてる」
『緊張してる?』
「してない」
『声、固いよ』
「カグラの気のせい」
『手汗は?』
言われて、マウスを握る手を見る。
「……ちょっとだけ」
『大丈夫。始まったらもっと出るから』
「安心させる気ある?」
カグラが笑う。
続いて、太蔵さんの声が入った。
『二人とも、準備できた?』
「はい」
『今日は五対五の通常戦をやる。俺たち三人のほかに、知らない味方が二人入るからね』
練習では、敵は太蔵さん一人だった。
どこへ行きたいのか、どの道を使いそうなのか。太蔵さんの考えだけを追えばよかった。
でも、今度は敵が五人いる。
味方も五人。
全員が勝手に動き、勝手に銃を撃ち、勝手に音を出す。
「ちゃんと分かりますかね」
『分からないと思う』
「即答ですか」
『最初から全部分かる方がおかしいよ』
太蔵さんが、対戦開始のボタンを押した。
『今日は勝つことより、練習したことを一回でも使えたら合格』
「一回でいいんですか?」
『一回できたら、次は二回できるからね』
マッチングが始まった。
数秒後、画面にプレイヤー名が並ぶ。
TATSU-RO。
KAGRA。
nana★ミ。
それから、知らない名前が二つ。
HACHI_8。
MOG。
『よろしくお願いします』
太蔵さんが言う。
『よろしくー』
少し低い男性の声が返ってきた。MOGという人らしい。
もう一人のHACHI_8は、短く『お願いします』と答えた。
あたしも続かなければ。
「よ、よろしくお願いします」
自分の声が、少し裏返った。
『nanaさん、初心者?』
MOGさんに聞かれる。
「昨日、始めたばかりです」
答えたあとで、余計なことを言った気がした。
昨日始めたばかりの人間が、いきなり一般対戦に入っている。
邪魔だと思われないだろうか。
『了解。じゃあ、最初は誰かの近くにいればいいよ』
返ってきたのは、思っていたより普通の言葉だった。
「はい」
『報告も無理にしなくていいからね』
優しく言ってくれたのだと思う。
それでも、胸の奥が小さく縮んだ。
初心者だから、黙ってついていく。
きっと、それが正しい。
開始までの数字が表示される。
三。
二。
一。
試合が始まった。
あたしは、カグラの後ろについて走った。
今回のマップは、昨日練習した倉庫よりずっと広い。
中央には吹き抜けの大きな建物。
左右に細い路地。
二階、地下、屋上へ続く道まである。
始まる前にマップは見せてもらった。
一度見ただけでも、建物の形は頭の中に浮かんでいる。
けれど。
銃声。
爆発音。
味方の足音。
遠くを走る敵の音。
ボイスチャットでは、太蔵さんと知らない二人が同時に話している。
『中央二人』
『右路地、詰めてる』
『一人削った』
『スモーク来るよ』
情報が重なる。
どれを聞けばいいのか分からない。
頭の中に組み上がったはずの建物が、音に揺さぶられて崩れていく。
あたしの世界は、うるさかった。
「ナナミ、こっち」
カグラのキャラクターが、目の前の角を曲がる。
慌てて追いかける。
左から銃声。
味方が一人倒された。
画面の端に表示が流れる。
MOGさんだった。
『左路地に二人いる』
太蔵さんが報告する。
敵が二人、左側。
正面にも銃声がある。
残りの敵は、どこにいる。
耳を澄ます。
右後ろから、かすかな足音。
味方のものではない。
あたしたちが通ってきた道を、誰かが追いかけてきている。
そのまま進めば、中央で戦っているHACHI_8さんの背後へ出る。
「……」
言わなければ。
右路地。
一人。
後ろへ回っている。
でも、本当に敵だろうか。
味方の足音を聞き間違えただけかもしれない。
一般対戦では、味方もあたしの知らない動きをする。
もし間違っていたら、HACHI_8さんは無駄に後ろを向いてしまう。
『ハチ、正面一人!』
太蔵さんの声。
HACHI_8さんが正面の敵と撃ち合う。
背後から近づく足音。
言わなきゃ。
「後ろ――」
声を出したときには遅かった。
HACHI_8さんの背後に敵が現れた。
銃声。
味方のキャラクターが倒れる。
『うわ、裏いたか』
HACHI_8さんの声に責める調子はなかった。
だからこそ、胸が痛んだ。
分かっていた。
少なくとも、敵が来るかもしれないとは思っていた。
それなのに、間違えるのが怖くて黙っていた。
そのラウンドは、あっという間に負けた。
画面に敗北の文字が出る。
次のラウンドが始まるまでの短い時間、誰もあたしを責めなかった。
「ごめんなさい」
『どうした?』
HACHI_8さんが聞き返した。
「さっき、後ろから来るの、分かってたんです。でも、間違ってるかもしれないと思って」
『ああ、そういうこと』
少し間があった。
『次、怪しいと思ったら言ってくれればいいよ。違ってても大丈夫だから』
「でも、邪魔になったら」
『死ぬよりはマシ』
軽い調子で言われた。
太蔵さんが続ける。
『間違った報告は、あとから訂正できる。でも、黙ってた情報は誰にも使えない』
昨日も、似たことを言われた。
カグラに伝えられなかったとき。
確信してから言おうとしたせいで、報告が遅れた。
『ナナミちゃん』
「はい」
『見えてるなら、言ってみよう』
次のラウンドが始まった。
今度は、全員で右側の路地へ進む。
あたしは太蔵さんの少し後ろを歩いた。
銃声が鳴る。
中央で敵と味方がぶつかった。
右路地は静かだった。
静かすぎる。
太蔵さんが角の手前で止まる。
『この先、一人いる』
太蔵さんが言う。
確かに、少し離れたところから足音が聞こえている。
一人。
でも、その音は少しずつ遠ざかっていた。
逃げている。
なぜ。
右路地を守るなら、こちらを待つ方がいい。
この先に一人いるように見せて、あたしたちを引きつけている。
別の敵が、反対から回ってくる。
頭の中にある建物を、少し高い場所から見下ろす。
右路地。
中央。
二階へ続く青い階段。
一人が右で音を出す。
もう一人が青階段を上り、二階の通路から味方の背後へ向かう。
そう考えると、足音の位置がつながった。
まだ確信はない。
それでも、今度は黙らなかった。
「青階段、一人」
声が少し震えた。
「二階から、後ろへ回ってます」
『了解』
HACHI_8さんが、すぐに返事をした。
でも、敵はまだ見えない。
足音が二階を走っている。
渡り廊下を越える。
階段を下りれば、HACHI_8さんの後ろへ出る。
あと何秒。
「三秒後、後ろに出ます」
『三秒?』
一秒。
足音が近づく。
二秒。
金属製の階段を下りる音。
三秒。
HACHI_8さんが振り向いた。
その瞬間、通路の奥から敵が現れた。
銃声。
敵のキャラクターが倒れる。
画面の端に表示が走った。
HACHI_8 → garo
『ナイスコール、nana★ミ』
「……はい」
たった一言だった。
それだけなのに、胸の奥が急に熱くなった。
あたしは敵を倒していない。
弾も一発も当てていない。
それでも、あたしの声で、知らない人が振り向いた。
あたしが見ていた場所を、その人も見た。
『ナナミ、次来るよ!』
カグラの声。
「え?」
正面の角から敵が現れた。
慌てて銃を構える。
照準は床。
敵を見つけてからマウスを上へ動かし、動かしすぎて相手の頭を通り越す。
撃つ前に倒された。
「あっ」
『今のは普通に下手だったね』
カグラが言う。
「分かってるよ!」
『でも、さっきの報告はよかった』
画面の中で、カグラたちが戦い続ける。
その試合は、最後まで接戦になった。
あたしは一人も倒せなかった。
敵の位置を読み違えたこともあった。
報告が遅れて、間に合わなかったこともある。
最終ラウンド。
味方が一人ずつ倒され、最後は太蔵さんも撃ち負けた。
画面に敗北の文字が表示された。
二対三。
試合には負けた。
あたしの戦績は、ゼロキル四デス。
昨日と同じように、数字だけ見ればひどい。
『お疲れさまでした』
MOGさんが言う。
『お疲れ』
HACHI_8さんも続けた。
そのあと、少しだけ間を置いてから言った。
『nana★ミ、ほんとに昨日始めたばっかり?』
「はい」
『撃つ方は、まあ、見れば分かるけど』
「そんなにですか」
『かなり』
はっきり言われた。
『でも、コールは助かったよ。裏を二回止められたし』
「二回目は外しました」
『一回当たれば十分。次は二回当てればいい』
太蔵さんと同じことを言う。
HACHI_8さんの名前が、画面から消えた。
知らない人だった。
顔も、本当の名前も知らない。
たぶん、もう二度と同じチームにならないかもしれない。
それでも、その人はあたしの言葉を聞いて、振り向いてくれた。
カグラに伝わったときとは、少し違う。
カグラは、あたしを知っている。
あたしを信じようとしてくれた。
でも、さっきの人は千波ナナミを知らない。
知っていたのは、画面に表示された名前だけ。
nana★ミ。
『どうだった?』
太蔵さんが聞く。
「怖かったです」
『うん』
「間違ったことを言ったら、迷惑になると思って」
『実際、間違えば迷惑になることもある』
「そこは否定してくれないんですね」
『でも、だからって黙ってたら、ナナミちゃんの見えてるものは存在しないのと同じになる』
画面には、さっきの試合結果が残っている。
0キル。
4デス。
2アシスト。
立派な数字ではない。
それでも、一キル十二デスだった最初の日とは、少し違って見えた。
千波ナナミには、まだ、自慢できるものは何もない。
銃も当てられない。
知らない人と話すだけで緊張する。
間違うのが怖くて、声が出なくなる。
でも、nana★ミには、一つだけできることがあった。
誰かが来る場所を見つけること。
そして、それを誰かに伝えること。
「もう一回、やってもいいですか」
『もちろん』
太蔵さんが、次の対戦を探し始める。
新しいプレイヤー名が、画面に並んでいく。
また、知らない人たちだった。
あたしはマウスを握り直し、ヘッドセットの位置を整えた。
今度は、最初から声を出してみようと思った.。




