第7話 そこへ来るなら、撃てる
次の対戦相手が決まった。
画面に、新しいプレイヤー名が並んでいく。
味方は、あたしとカグラと太蔵さん。それから、知らない名前が二つ。
前の試合とは違う人たちだ。
あたしはヘッドセットの位置を直し、マウスを握り直した。
今度は、最初から声を出す。
そう決めたはずなのに、喉の奥にはまだ少し力が入っていた。
『よろしくお願いします』
太蔵さんが先に挨拶する。
『よろしくー』
『お願いします』
知らない二人の声が返ってきた。
あたしも続く。
「よ、よろしくお願いします」
今度は声が裏返らなかった。
『ナナミ、成長したね』
カグラが笑う。
「挨拶しただけなんだけど」
『昨日始めた人にしては大きな一歩』
「余計に初心者っぽくなるから言わないで」
『二人とも、試合前だよ』
太蔵さんが軽く咳払いをした。
画面が切り替わり、今回のマップが映し出される。
中央には、二階建ての駅舎。
線路を挟んだ向こう側には、倉庫とコンテナが並んでいる。
駅舎の左右には細い路地。
地下一階には、二つのホームをつなぐ連絡通路がある。地上と地下を結ぶ階段は四か所。二階には吹き抜けを囲むように通路が走り、ホームを見下ろせる窓が並んでいた。
あたしは、表示されたマップを見つめた。
平面に描かれた壁が、頭の中でゆっくりと起き上がる。
一階の床が広がる。
その上に二階が重なり、下には地下通路が沈んでいく。
階段が、それぞれの高さを斜めにつないだ。
屋根が消え、壁が透き通る。
頭の中に、駅舎を小さくしたような立体模型ができあがった。
そこへ、自分たちの開始位置を置く。
あたしは右側。
カグラはすぐ前。
太蔵さんは中央寄り。
知らない味方二人は、左路地と駅舎の入口へ向かう予定だ。
まだ敵はいない。
見えていないから、置くことができない。
それでも、敵が通れる道は見える。
地上から正面へ入る道。
地下から回り込む道。
二階へ上がって、味方の背後へ出る道。
何本もの細い線が、模型の中へ伸びていた。
『ナナミちゃん』
太蔵さんに呼ばれた。
「はい」
『報告することだけに夢中にならないようにね』
「分かってます」
『自分の画面も見る。銃も持ってる。撃たれたら隠れる』
「子どもみたいに言わないでください」
『昨日、敵が目の前に出てきたのに、マップ見たまま撃たれてたから』
「それは……」
『事実だね』
カグラまで加わった。
「今日は大丈夫」
自分の銃を見る。
大丈夫かどうかは、あまり自信がなかった。
それでも、前の試合では一度だけ、知らない味方へ情報を伝えられた。
あたしの声で、その人が振り向いた。
あの感覚を、もう一度確かめたかった。
試合開始までの数字が表示される。
3
2
1
味方が一斉に走り出した。
カグラが右路地。
太蔵さんが駅舎正面。
知らない味方の一人が左へ向かい、もう一人は中央から二階を目指す。
頭の中の模型に、青い点が五つ置かれる。
点から伸びる線が、それぞれの通路を進んでいく。
銃声が鳴った。
『正面、一人』
太蔵さんが言う。
駅舎の入口に、敵を示す点が一つ加わる。
『地下にもいる』
知らない味方が続ける。
左側の階段から、もう一つ。
まだ二人しか分からない。
残りの三人は、模型の外にいるように感じた。
右前方から、金属を踏む音が聞こえた。
足音だけなら、二階へ向かっているとしか分からない。
あたしは頭の中の二階建ての駅舎──へ、その音を置いた。
右側にある青階段。
そこから上がれる二階の通路は、途中で二つに分かれる。
一つは、ホームを見下ろす窓際。
もう一つは、吹き抜けを回り込み、味方の背後へ続く道。
窓際へ進めば、中央にいる太蔵さんと正面から撃ち合うことになる。
背後へ回れば、左側で戦っている味方を挟める。
敵にとって得なのは、後者だ。
頭の中で、背後へ続く線が太くなる。
「青階段、一人。二階から裏へ来ます」
あたしは迷わず言った。
『了解』
味方の一人が振り返る。
カグラも、二階へ照準を向けた。
でも、敵は来なかった。
一秒。
二秒。
三秒。
青階段に置いたはずの敵の点が、その先へ進まない。
足音も止まっている。
「……あれ?」
次に聞こえた音は、階段を下りるものだった。
敵は、途中で引き返している。
その間に正面から銃声が鳴った。
あたしの報告で後ろを向いていた味方が、横から撃たれて倒れる。
『裏、いないじゃん』
知らない味方が軽く言った。
責めるような口調ではなかった。
それでも、胸の奥が縮んだ。
「ごめんなさい」
『いや、いいけど。正面だったね』
そのラウンドは、そのまま押し切られて負けた。
画面に敗北の文字が表示される。
前の試合では、声を出したことで味方を救えた。
今回は、あたしの声で味方が違う方向を向いた。
『ナナミちゃん』
太蔵さんの声がした。
「はい」
『さっき、敵が裏へ来るところまで分かってた?』
「青階段を上って、そのまま二階を回ると思いました」
『見えていたのは、青階段を上っていたことまでだね』
「でも、正面には太蔵さんがいて、裏へ回った方が敵には有利で……」
『うん。予想としては筋が通ってる』
「じゃあ、どうして」
『相手は、ナナミちゃんの頭の中に引いた線の上を、絶対に歩くわけじゃないから』
返す言葉がなかった。
頭の中では、一番太い線だった。
でも、一本しかなかったわけではない。
階段を上りきらずに戻る道も、最初から存在していた。
『今のは、“青階段、一人。裏の可能性”だ』
「可能性」
『見た情報と、考えた情報を分ける』
太蔵さんが続ける。
『姿を見た。足音を聞いた。味方の位置がここにある。そこまでは現在の情報。その情報から、この道を選ぶだろうと考えるのは予想』
「予想を言っちゃ駄目なんですか?」
『逆。予想こそ言ってほしい』
「でも、外しました」
『だから、予想だと分かる言い方をするんだよ』
短い間を置き、太蔵さんが言う。
『“青階段、一人。裏の可能性”。足音が消えたら、“止まった”。戻る音がしたら、“戻ったかも”』
それなら、味方は裏を警戒しながら、正面も捨てずにいられる。
『ナナミちゃんの読みは、答えじゃない』
少しだけ胸が痛んだ。
でも、太蔵さんは続けた。
『味方が次の動きを選ぶための、地図だ』
次のラウンドが始まった。
今度は駅舎の中へ入る。
頭の中に立ち上げた模型へ、もう一度味方を置いていく。
カグラは一階中央。
太蔵さんは右側の窓。
知らない味方二人は、正面入口と地下階段。
味方が見ている場所には、敵は簡単に入れない。
中央は太蔵さんの射線が通っている。
右路地はカグラが見ている。
地下には味方が一人いる。
敵が安全に近づける場所が、少しずつ狭くなる。
そのとき、赤階段から足音が聞こえた。
一人。
地下へ下りている。
でも、赤階段の途中には踊り場がある。
そこから引き返すこともできる。
「赤階段、一人。地下へ来る……可能性」
声が小さくなった。
『了解』
カグラは正面を見たまま、地下通路も見られる角度へ少しだけ移動した。
完全には振り返らない。
太蔵さんも何も言わない。
敵の足音が、さらに下へ移る。
頭の中の点が、赤階段の踊り場を越えた。
そこから地上へ戻るには、今来た階段を引き返すしかない。
しかし背後では、味方が入口を押さえている。
敵が逃げるなら地下通路へ進む方が早い。
残っていた線の一本が消える。
「赤階段、一人。地下へ下りました」
今度は、少しはっきり言えた。
「中央地下へ来ます」
『了解』
カグラが照準を置く。
地下通路から敵が姿を現した。
銃声。
カグラの弾が当たり、敵が倒れる。
『ナイス報告』
知らない味方が言った。
「……今度は合ってた」
『予想から確定に変わったんだよ』
太蔵さんが言う。
『相手が選べる道が減ったことも、ちゃんと見えてた』
敵を耳だけで見つけたわけではない。
味方がどこにいるか。
どの道が危険か。
どこへ進めば姿をさらすか。
それを頭の中で重ねた結果、敵が使える道が一本になった。
音は、その線の上に敵がいることを教えてくれただけだった。
試合は続いた。
あたしは二度、報告を外した。
一度は、敵が途中で止まった。
もう一度は、味方が通路を移動したことで、敵が予想とは別の道を選んだ。
そのたびに、
「止まりました。まだ青階段です」
「違いました。右路地へ変えたかも」
と訂正した。
知らない味方は、少し笑っただけだった。
『了解』
その一言で終わる。
間違えても、頭の中の地図を書き直せばいい。
線は決まった道ではない。
敵と味方が動くたびに、太くなったり、細くなったり、消えたりする。
あたしは、ようやくそのことを理解し始めていた。
そして、最終ラウンド。
味方が一人、また一人と倒された。
左側の味方が地下で倒れる。
その位置を、頭の中の模型から消す。
今までその人が塞いでいた地下通路が、空く。
次に太蔵さんが正面の撃ち合いで倒された。
中央に通っていた味方の射線が消え、敵が使える道が一本増える。
カグラが二階で敵を一人倒した直後、別の敵に撃たれた。
『ごめん、ナナミ。右に一人』
「分かった」
画面に表示が出る。
残りは一対一。
生き残っている味方は、あたしだけ。
敵も一人。
銃声が止んだ。
味方の足音もなくなる。
突然、戦場が広くなったように感じた。
あたしは物陰に隠れ、頭の中に駅舎をもう一度立ち上げた。
自分の位置。
一階中央の柱の陰。
カグラが倒された場所。
二階右側の通路。
敵は、そこから移動を始める。
敵があたしの場所まで来る道は、三本あった。
一つ目は、二階の窓から一階へ飛び下り、正面から来る道。
最短だけれど、着地すると大きな音が出る。
二つ目は、赤階段から地下へ下り、連絡通路を通って背後へ回る道。
姿は隠せるが、かなり遠い。
三つ目は、二階右側から青階段を下り、壁沿いに進んであたしの横へ出る道。
距離は中間。
遮蔽物も多い。
敵は、あたしが一階中央にいることを知っている。
正面から飛び下りる可能性は低い。
地下を回れば安全だけれど、試合終了までの時間が足りない。
残るのは、青階段。
まだ、敵の足音は聞こえない。
それでも、頭の中の三本の線のうち、二本が薄くなっていく。
右側。
青階段。
壁沿い。
角。
敵が顔を出す場所まで、一本の線がつながった。
そのとき初めて、遠くで金属を踏む音がした。
青階段。
予想した線の上に、敵が乗った。
あたしは銃を構えた。
照準が少し下を向いている。
第三話で太蔵さんに教わったことを思い出す。
敵が出てきてから狙うんじゃない。
出てくる前に、照準を置く。
角から頭が出る高さまで、ゆっくりと照準を動かす。
少し行きすぎた。
戻す。
手に力が入る。
照準が小さく震えた。
『ナナミ、落ち着いて』
観戦しているカグラの声。
『もう、その辺でいい』
太蔵さんも言う。
『敵を追わなくていい』
頭の中のマップを見る。
自分がいる。
敵がいる。
その間に一本の通路がある。
ほんの一瞬だけ。
あたしは画面の中に立っている自分を、少し高い場所から見下ろしたような気がした。
柱の陰にいる、小さな自分。
壁沿いに近づいてくる敵。
二人をつなぐ一本の線。
でも、その感覚はすぐに消えた。
視界は、いつもの一人称へ戻る。
今のは、何だったのだろう。
考えている余裕はなかった。
足音が近づく。
一歩。
二歩。
角の向こうで止まった。
敵も、こちらを警戒している。
手汗でマウスが滑りそうになる。
姿が見えたら、また照準を動かしたくなる。
合わせ直したくなる。
でも、もう置いてある。
敵が通る場所に。
次の瞬間。
角から、敵の頭と肩が現れた。
クリックする。
一発目。
弾は壁に当たった。
敵がこちらへ銃を向ける。
あたしは大きくマウスを動かさなかった。
二発目。
敵の身体に当たる。
三発目。
敵がその場に倒れた。
画面の端に、文字が表示される。
nana★ミ → mo_mon_Ga
少し遅れて、勝利を知らせる文字が画面いっぱいに現れた。
「……倒した?」
『倒した!』
カグラの声が、ヘッドセットの中で弾けた。
『ナナミ、今の見た!?』
「自分でやったんだから、見てたよ」
『そうだけど!』
知らない味方たちからも声が飛ぶ。
『ナイス!』
『本当に初心者?』
太蔵さんだけは、すぐには何も言わなかった。
試合終了後、リプレイを開く。
敵が青階段を下りる。
壁沿いに進む。
角から顔を出す。
あたしの照準は、その前から同じ場所に置かれていた。
『今のは、足音だけで敵を見つけたわけじゃないね』
太蔵さんが言った。
「はい」
『どこを通ると思った?』
「道は三本ありました。でも、正面は音が出るし、地下は遠すぎるから」
『残った道が青階段だった』
「そこへ足音が重なったので、たぶん来るって」
太蔵さんが、小さく息を吐いた。
『ナナミちゃんは、敵の場所を当てたんじゃない』
リプレイの画面で、敵が角へ近づいている。
『敵が選べる場所を減らしたんだ』
あたしは、さっき一瞬だけ見えた光景を思い出した。
少し高いところから、自分と敵を見下ろしたような感覚。
けれど、もう同じようには見えない。
「さっき、一瞬だけ……」
『何?』
「いえ。まだ、よく分からないです」
言葉にできるものではなかった。
勘違いかもしれない。
ただ、あの一瞬。
あたしは戦場の中にいるのではなく、戦場そのものを見ていたような気がした。
画面には、試合結果が表示されている。
1キル。
3デス。
2アシスト。
立派な数字ではない。
でも、最初の日の一キルとは違う。
あのときは、夢中で撃っていたら偶然当たった。
今回は、道を絞った。
敵が来る場所へ照準を置いた。
そして、自分の指で撃った。
画面の中に、自分の名前がある。
"nana★ミ"
今度の一発は、偶然じゃない。
あたしは、あの人が来る場所で待っていた。




