第3話 才能と技術は別のもの
隣のパソコンから、低い起動音が聞こえた。
太蔵さんは椅子に座ると、慣れた手つきでキーボードを叩いた。二台目のモニターに、あたしがさっきまで見ていたものと同じゲーム画面が映し出される。
「今から一対一をやる」
「太蔵さんとですか?」
「そう。ただし、勝負じゃない」
太蔵さんはゲーム内に部屋を作り、あたしのアカウントを招待した。
表示されたのは、昨日あたしが初めて戦ったものより、ずっと小さなマップだった。
中央に倉庫。
左右に細い通路。
二階へ続く階段が二つと、倉庫の上を横切る渡り廊下。
「まず、銃は撃たなくていい」
「一対一なのに?」
「俺がこの中を動くから、どこから出てくるか当ててみて」
太蔵さんの言葉に、後ろで見ていたカグラが首をかしげた。
「かくれんぼ?」
「だいたいそんなもの」
「太蔵が隠れるの? 身体大きいのに?」
「ゲームの中では関係ないだろ」
太蔵さんのキャラクターが、画面の向こう側で動き始める。
「ナナミちゃんは、ここから動かないで」
「はい」
「俺の姿を探さなくていい。マップと音だけ聞いて、次にどこへ出るか言ってみて」
ヘッドセットの奥で、足音が鳴った。
硬い床を踏む短い音。
一歩。
二歩。
右側から聞こえていた音が少し遠ざかり、途中で金属を踏む音に変わった。
二階へ上がった。
マップを見る。
右側の階段から上がれば、すぐに渡り廊下へ出る。
けれど、そのまま進むと、あたしのいる場所から姿が見える。
太蔵さんは、あたしに見つからない場所へ移動しようとしている。
「左の階段を上がりました?」
「どうして?」
「右だと、渡り廊下を通るときにこっちから見えるから」
「続けて」
足音が止まった。
二階の左側には、小さな部屋が二つ並んでいる。
手前の部屋なら、もっと早く音が止まる。
奥まで進んだなら、足音の回数が今のものと合う。
「二階の奥の部屋」
「どっち側にいる?」
「入口から見て、右」
数秒後。
奥の部屋から、太蔵さんのキャラクターが姿を現した。
「正解」
「……本当にいた」
自分で答えたのに、驚いてしまった。
「もう一回いくよー?」
太蔵さんのキャラクターが、別の場所へ走り出す。
今度は階段を上る音がない。
一階。
途中まで一定だった足音が、急に小さくなった。
止まったのではない。
しゃがんでいる。
一階の右通路には、身を隠せる大きな箱が積まれていた。
「箱の裏」
返事はない。
しばらく待つと、箱の陰から太蔵さんが出てきた。
「正解」
「ナナミ、すご」
カグラが、あたしの肩越しに画面をのぞき込んだ。
「音だけで分かるの?」
「音だけじゃないよ」
「じゃあ、何が見えてるの?」
「見えてるっていうか……」
うまく説明できない。
平面のマップを見ると、頭の中に倉庫が立ち上がる。
床や壁や階段だけではない。
ここなら隠れられる。
ここを通れば見つかる。
こっちへ進めば、相手の後ろに出られる。
人が選びそうな道が、空間の中に線になって現れる。
「太蔵さんがどこへ行きたいのか考えると、使いそうな道が分かるんです」
「俺が行きたい場所?」
「見つかりたくないなら、あたしから見えないところへ行く。だけど、遠すぎるところへ行くと足音の数が合わないから……」
あたしは画面の地図を指でなぞった。
「使える道が、少なくなっていく感じです」
太蔵さんは、すぐには答えなかった。
「三回目」
またテストが始まる。
今度は、途中まで右へ向かっていた足音が、不自然に一度止まった。
それから、同じくらいの大きさで再び鳴り始める。
右へ行くように聞かせて、途中で向きを変えた。
「左です」
「どこ?」
「中央の壁の裏」
太蔵さんのキャラクターが、壁の陰から現れた。
「なんで分かった?」
「右へ進み続けたなら、二回目の足音はもう少し遠くなるはずだから」
「なるほど」
四回目は外した。
太蔵さんは、あたしが選ばないと思った道を、あえて選んでいた。
五回目は当たった。
五回のうち、四回。
太蔵さんが姿を見せる前に、あたしは出てくる場所を言い当てた。
「ナナミちゃん」
太蔵さんの声から、さっきまでの軽さが消えていた。
「はい」
「やっぱり、地図を読んでるだけじゃないね」
「違うんですか?」
「ナナミちゃんが読んでるのは、その空間で人がどう動くかだ」
「人の動き……」
「地形と音と、相手が何をしたいか。全部を一つにして、次に通る場所を絞ってる」
言葉にされても、自分がそんな難しいことをしている実感はなかった。
だって、地図を見れば自然に浮かんでくる。
そうなるように思える。
それだけだった。
「さっき言ったこと、訂正する」
太蔵さんが言った。
「ナナミちゃんには、ちゃんと才能がある」
胸の奥が、わずかに熱くなった。
「本当ですか」
「少なくとも、俺が初心者だったころには、こんなことはできなかった」
「じゃあ、あたしも上手くなれますか?」
「それは、今からもう一つ確かめる」
太蔵さんのキャラクターが、武器を構えた。
「次は撃ってみよう」
「はい」
「さっきと同じように、俺が出てくる場所を読む。分かったら、そこへ先に照準を置く」
太蔵さんが、画面の中央にある小さな印を指差した。
「ナナミちゃん、昨日のプレイではずっと地面を見てた」
「地面?」
「照準の位置。敵が出てきてから、慌てて銃口を上げてたんだよ」
言われてみれば、通路を進むとき、足元ばかり見ていた気がする。
「敵がどこから出てくるか分かるなら、先にそこへ照準を置いておけばいい」
「出てきてから狙うんじゃなくて?」
「出てくる前に狙う」
太蔵さんが動き始めた。
足音は左側。
途中で金属を踏んだ。
二階へ上がっている。
渡り廊下を通り、中央の階段から下りてくる。
あたしは階段の出口へ照準を合わせた。
「そこ。動かさないで」
一秒。
二秒。
階段から人影が現れた。
「あっ」
反射的にマウスを動かした。
照準が太蔵さんの身体を大きく通り越す。
慌てて戻し、引き金を引く。
弾は壁に当たった。
「今、動かさなくてよかったんだよ」
「でも、少しずれて見えて」
「もう一回」
今度は右側の通路。
出てくる場所は分かった。
照準を置く。
人影が現れる。
クリックする直前、また手が動いた。
弾は太蔵さんの肩の横を抜ける。
三回目。
外れた。
四回目。
撃つのが遅れた。
五回目は、早すぎて太蔵さんが出てくる前の壁を撃った。
「……あれ?」
来る場所は分かっている。
太蔵さんが姿を見せる前から、正しい方向を向いている。
なのに、出てきた瞬間、身体が焦る。
照準が合っているのに、合わせ直そうとしてしまう。
「もう一回お願いします」
「いいよ」
六回目。
外れた。
「もう一回」
七回目。
また、外れた。
マウスを握る手に力が入る。
指先が冷たくなっていた。
「分かってるのに……」
来る。
ここから出てくる。
そこまで分かっているのに、弾だけが違う場所へ飛んでいく。
「分かってるのに、当たらない」
太蔵さんは、すぐには答えなかった。
画面の中で武器を下ろすと、椅子ごとこちらを向いた。
「そうだね」
否定してほしかった。
けれど、太蔵さんははっきり頷いた。
「ナナミちゃんには、敵が来る場所が分かる。でも、分かることと撃てることは別だ」
「それじゃ、意味がないんじゃ……」
「どうして?」
「敵がどこにいるか分かっても、倒せないなら」
「FPSは、地図が読めるだけじゃ勝てない」
その言葉が、胸に刺さった。
「マウスを止める技術もいる。敵が出てくる高さへ照準を置く癖もいる。撃つ瞬間に手へ力を入れすぎないことも覚えなきゃならない」
太蔵さんは、自分の画面に設定画面を表示した。
「ナナミちゃんは、今までマウスを使ってゲームをしたこと、ほとんどないんだろ?」
「はい」
「なら、当たらなくて当然」
「でも、才能があるって」
「才能があることと、最初から何でもできることは違うよ」
太蔵さんは、あたしのマウスを少し動かした。
画面が大きく振れる。
「まず、感度が高すぎる。少し動かしただけで、照準が飛んでる」
「下げたら当たりますか?」
「下げただけでは当たらない。でも、止めたい場所で止めやすくなる」
太蔵さんが数字を調節する。
「照準の置き方も、マウスの動かし方も、練習すれば覚えられる」
「どれくらいで?」
「それは人による」
「じゃあ、いつ上手くなるか分からないんですね」
「そうだね」
あっさり言われてしまった。
「でも、ナナミちゃんが今やったことを、普通の初心者が何日練習したらできると思う?」
「分かりません」
「俺にも分からない。できないままの人の方が多いから」
太蔵さんは、さっき使っていたマップを画面に戻した。
「敵のいる場所を読む力は、もうある。撃つ技術はこれから作ればいい」
「作る……」
「最初から完成してる必要はないよ」
後ろから、カグラがあたしの肩を軽く叩いた。
「ナナミ、始めてまだ二日でしょ」
「そうだけど」
「あたしなんて最初、味方を敵だと思ってずっと追い回してたから」
「それは今もたまにやってるだろ」
太蔵さんが言う。
「たまにじゃないし。ごくまれだし」
「同じ意味だろ」
二人のやり取りを聞いていると、少しだけ肩の力が抜けた。
太蔵さんは練習用の画面を開いた。
何もない壁に、丸い的が一つ表示される。
「今日は、これを撃つ」
「動かないんですか?」
「動かない」
「敵も出てこない?」
「出てこない」
「地味ですね」
「上手くなる練習は、だいたい地味だよ」
カグラが立ち上がった。
「じゃあ、あたしココア作ってくる」
「俺の分も」
「自分で作れば?」
「ナナミ、砂糖は?」
「少なめ」
「妹から兄への敬意は?」
「さっきゴミの日に出した」
カグラが部屋を出ていく。
あたしは、もう一度マウスを握った。
画面の中央に、小さな丸がある。
照準を動かす。
行きすぎた。
戻すと、今度は手前で止まった。
「速くなくていい」
太蔵さんが言う。
「真ん中で止めることだけ考えて」
もう一度、ゆっくり動かす。
丸の中央で、照準が止まった。
「そこ。撃って」
クリックする。
銃声が鳴り、丸の中心に弾痕がついた。
「当たった」
「今の感覚を覚えて」
ただ、動かない的を撃っただけだった。
太蔵さんとの一対一では、一発も当てられなかった。
それでも、胸の奥にあった冷たさが、少しだけ消えていた。
分かっているのに、当たらない。
だったら、分かっている場所へ弾を運べるようになればいい。
次の的が表示される。
照準を動かす。
また少し行きすぎた。
あたしは慌てずに、ゆっくりと真ん中へ戻した。




