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Shadow hides ──その犬たちは少女の番をする  作者:
【第一章】吠声の行方
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第3話(1)

 奇妙なほどに無音なオフィス。

 巨大な窓硝子に囲まれ、そこから広がる景色を一人の女性が見下ろしていた。


「報告。No.09を拠点とする勇義組の壊滅を確認しました。構成員は数名逃亡、いかがされますか」


 彼女の背に敬礼し、男が言う。白と黒のアシンメトリーな制服が揺れた。


 赤みがかったブロンドヘアの女性は、電子タバコを片手に息を吐く。碧眼を縁取る長い睫毛は影を落とすほどで、口から漂う白煙を見つめた。


「放しておいてもよくてよ。それよりnombre(ノンブル)mille(ミル)の所在は?」

「ざ、残念ながら未だ掴めておらず」


 鼻にかかる声は蛇のように男の足元へ這う。毒牙をちらつかせ、思わず彼は言葉を詰まらせた。

 対して女性は柔らかく微笑み、ゆっくりと身を返す。その胸に煌めくのは、二つのLが並んだ紋章のバッチだった。


「そう。残念ね」


 色白の彼女は、どこか遠くを見つめてそう言った。


 ✶


 時刻は十八時を過ぎる。昨日よりも伸びた日の長さに、烏たちが茜色の空を横切っていく。

 雑居ビル・千条第一ビルの一角、アパートに近い手狭な室内にて明かりが灯った。


「え、フリュー漢字読めないの」

「簡単なのは読めますよ。学校行ったことないけど、アニキたちが教えてくれたんで」


 和室にてスケッチブックを広げる幼い組長に、少年は頬杖をついて答える。その何もない首にはチョーカーのような影が落ちていた。


 少し離れた台所から野菜を切る音が聞こえる。夕食は今季最後の鍋だ。エプロンを身に纏った詩歌が白菜を鍋に滑り込ませる。


「じゃあ自分の名前はなんて書くか分かる?」


 微塵の愛想もない響の言葉に、彼は口を歪ませながら唸った。差し出された鉛筆を受け取り、雑に握る。


 その近くで深雲は寝転がりながら液晶画面をタップしていた。ふと軽い通知音が鳴り、眠たげな目を擦ってそれを開く。


「風に竜って書く、たぶんこう。キョウさんはなんて書くんですか」

「キョウじゃない、(ひびき)

「それってキョウって読むんじゃないんですか」

「読むけど、わたしはヒビキ。まぁ好きに呼んで」


 少女は覇気のない声で言う。風竜は白地に這う汚い文字たちを見下ろした。


 他方、急に金髪の青年がむくりと起き上がる。キッチンで包丁を握っていた詩歌へ、スマホの画面を向けて何かを言った。よく聞こえなかったが誰かが帰ってくるそうだ。

 対して茶髪の彼も、間に合いそうで良かったと緩く笑った。


 彼らのやり取りを見ていた少年は、黙々と絵を描く(あるじ)に問う。この古い家にはまだ住人がいるのかと。響は手を止めずに頷いた。


「カイって言うの。言影は持ってないんだけど強いんだよ」


 名前を脳内で反芻し、風竜は机に頬を付ける。自分以外にも力を持たない一般人がいることに少し驚いていた。

 続けてどんな奴かと尋ねると、少女の手が止まる。彼女は短い両腕を組み、数秒目を閉じた。懸命に考えた彼女は、大きなワンちゃんだと言う。


「あなたと同じ。そういえば、また普通の人を飼っちゃったな」


 ぶつぶつと響は呟きながら再び鉛筆の先を躍らせる。先ほどから何を描いているのか全くわからないが、本人が楽しければいいかと、風竜は立ち上がった。


 出汁の良い香りが漂う。


 彼は台所へ向かい、長髪の青年に話しかけた。丁度あとは煮るだけになったらしく、彼は快く応じてくれる。


 少年はちらりと和室を見遣り、あの組長が飼う犬は何匹いるのかと尋ねた。詩歌は左手で二本の指を立てて答える。


「君ともう一人だけ、霞人(かひと)という子だ。堅物で近寄りがたいかもしれないけど、仲良くやってくれ」


 彼の説明によると、霞人――(あるじ)にはカイ――と呼ばれる青年は常にこの街を歩き回り、パトロールに似たことを日課としているそうだ。千万路組の中でも体術は抜きん出ており、言影持ち相手でも引けを取らない実力者なのだとか。


 そもそも、千万路組はNo.09の秩序を保つ役目を負っている。そこに暮らす者から金を貰う代わりに、他の組勢力やLL(リーレ)から守るという構造になっているのだ。


 詩歌は彼の肩に手をぽんと置くと、いずれ風竜にも仕事を任せると言った。


「命張んの? 仲間でもないのに?」

「金のやり取りがある以上、下手な守護はできない。そのうち分かるようになるさ」


 長髪の彼は通り過ぎ、食器棚から取り皿を出し始めた。


 元野良犬の彼がすぐに理解することは叶わなかったが、満更でもない表情をして和室へと戻っていく。とりあえず今は、この幼い組長に解雇されないようにしなくてはならないのだ。


 不意、深雲のスマホが泣き出す。

 慣れた手つきで着信音を切ると、彼は耳元にそれを寄せた。同時に少女が、ばきりと鉛筆の芯を折る。その目は据わっていたが、緊張の糸が映っていた。


 ピアスの青年が電話に出ると、瞬く間に気怠げだった声色が変わる。詩歌も反応した。


 一人、風竜だけが呑気な調子で周囲を見渡す。電話を切った深雲が立ち上がって言った。


(てらし)が危ねぇかもしんねぇ」

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